第十二話 マルゥの絵本

 その日からクロミアはコツコツと本の翻訳ほんやくに取りかかった。物語の意味をなさない物語というものは、翻訳したもの自体が本当に正しいのか、判断がつきにくい。そのため思いのほか、作業には時間を要した。


「──赤い魚は白い葡萄ぶどうを追いかけて……じゃない。ええと、これは赤い……人魚、か」


 クロミアは机に向かい、鉛筆でとんとんと額を叩きながら、一人で小さくつぶやいている。隣の小さなソファにはマルゥが。彼女は絵本を読んでいる。ダーステイルズではない、普通の子供向けの絵本だ。


「にいさまのご本には、お姫様も出てくる? マルゥのご本にはドラゴンに乗った王子様が出てくるのよ」


 読み終わる度に、マルゥはその本を持ってクロミアに読み聞かせに来る。


「うん、お姫様も女王様も出てくるよ」

「こっちのお姫様は最後に王子様のキスで石になった体が元に戻るのよ。……ええとね。昔むかし、花の国のお姫様が、ピクニックの帰りに道に迷ってしまいました。するとテントウムシが現れて……」


 初っ端しょっぱなにネタバレをされても、クロミアは笑顔を絶やさずにマルゥの話を聞く。母を亡くして行くあてもない状態から、衣食住全て足りる生活を与えられた。何よりもマルゥがいつも楽しそうにしていることに幸せを感じる。


「──めでたし、めでたし」


 全て読み終えたマルゥは、満足げに絵本を閉じた。それに合わせるように、ドアがノックされる。


「はい、どなたですか」


 クロミアはドアの傍に移動し、耳をそばだてる。


「マルゥちゃんにお菓子持って来たんだけど」


 聞き覚えのある声が返ってきた。少ししゃがれた声が特徴的な彼女は、ガウスの恋人のエミルだ。

 ガウスもかなりの世話焼きだが、彼女も二人を気にかけている。特にマルゥの心配をしてくれて、彼女の着替えや絵本、おやつまでしょっちゅう差し入れてくれるのだ。

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