カウス・ルルプドの警告

千石綾子

プロローグ1 生死の間で見た夢


『どこまでも どこまでも 落ちていく夢を見た』


           ********



 あれは確か私が5歳の頃だったろうか。

 突然の高熱に私は生死の境を彷徨っていた。

 普段なら薬師くすしでもある母の看護ですぐに回復した私だが

 この時ばかりは全くその甲斐もなかった。




『 私は苦しさも感じずにただ夢を見ていた 』


『 とても静かに ひどくゆっくりと 落ちて行く そんな夢だ 』


『 深い海の底に降り積もるという雪のように 』 


『 この空のどこかに舞い落ちるという天女の髪のように 』


『 まるで止まっているかとさえ錯覚させるような速度を保ちながら 』


『 私の体は 静かに下降して行く 』


『 この世の あらゆる すべてのものを 引き連れて 』



            ********




「正直思わしくない」


 灰色の口髭を蓄えた初老の医者は少年の白い胸から聴診器を外し、小さく息を吐いた。


「手は尽くしたんだがね。これ以上この高熱が続くとなると……」


 少年に付き添っていた母親はその言葉に表情を変えることもなく、ただ静かに我が子の銀の髪を撫でている。


 医者はそんな彼女の様子をじっと見、今度は長く静かに息を吐いた。


「今夜が山になるだろう」


 その声は重く簡素な部屋に響き渡る。

 母親は立ち上がり、掛けてあったコートを医者に着せ帽子を手渡した。医者は帽子を深く被り襟を立てる。


「今日は医者として言いたくない言葉しか口にできん日のようだ」


 己の無力さを責めるかのような苦い言葉に対し、母親はほんの少し微笑んで首を振る。

「こんな遅くに、有難うございました」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る