第3話 高野聖2

 チリーン。とささやくような音を立てて風鈴が揺れる。

 

 十歩も歩けば端から端まで歩けるような小さなカフェの入り口が開くと、生暖かな昼下がりの空気が軒先に吊るされた硝子を泳ぐつがいの金魚を躍らせる。


「やっほー、明菜!」


 よく見知った顔だ。高校時代からの友人、柳田遠乃はがっちりとした体格の好青年の開けたドアから我先にと入って来る。その後ろから彼はまるでボディガードのように入りドアを閉めた。ボディーガードの好青年の名は、確か、四谷君だったと思う。二人はもともと幼馴染だったらしく、この春入学した地元の大学で一緒になったそうだ。


 二人は入口にあるケーキの並んだショーケースには目もくれず、まっすぐカウンター席のほうへと向かってくる。


 エプロン姿のわたしは水とおしぼりを持ってカウンターの内側から対面する。メニュー表は、どうせいらないだろうから持って行かない。


「それじゃあ、アイスコーヒーを二つね」


「はいはい。いつものやつね」


 遠乃達はアイスコーヒーが特別好きなわけではない。ただ、この店のメニューの中で一番安いものを選んでいるだけだ。はっきり言ってしまえば遠乃はわたしに会いに来てくれているのだ。


高校を卒業したわたしは、春からこのカフェで見習いとして働いている。従業員はわたしだけで、お店はマスターと二人だけで回している。とはいうものの郊外の小さなカフェじゃランチタイム以外はお客さんもそれほど多くない。昼下がりのこの時間になるとマスターは決まってどこかにふらりと出かけてしまうため、わたしが一人で店番をすることが多かった。

そこを狙って遠乃達は遊びに寄ってくれているのだ。言ってしまえばちょっとした息抜きタイム。


「それにしても明菜、だんだんと手つき慣れてきたわね。もう一人前のシェフってカンジ?」


「まさか、全然よ。まだ料理なんてほとんど触らせてもらえないし」


「でも、私は安心したよ。出会った頃の明菜なんてさ、『実はわたしさ――』」


「ちょ、ちょっと待ってよ! その話はナシナシ。もう、なかったことにして! 四谷君に変に思われちゃうじゃない!」


 その設定はわたしにとっては黒歴史。まさか遠乃が憶えていて、それをこのタイミングで蒸し返してくるとは思わなかった。


「ふーん。明菜はさ、海斗に変に思われると困るの?」


「いや、そういうんじゃなくってさ」



 ――わたしは幽霊の姿が見える。


わたしには彼らがまるでこの世界に普通に生きて生活しているように見えているの。


これが、わたしの中学生時代の設定だった。当然友達なんてひとりも出来ず、周りはわたしのことを『痛い子』という意味で〝イタコ〟と呼んでいた。それをわたしは東北地方の降霊術を扱う巫女の〝潮来〟のことだと思い込み、すっかり調子に乗ってしまっていた。


わたしは小さな時から髪が黒いことがコンプレックスだった。わかめみたいだとからかわれることもあったけれど、そのことを自慢にしていた母親からは長く伸ばすように言われていた。今でこそ自慢に思えるようになった長い黒髪だけど、母親は我が子の黒髪が泥や埃で汚れることを嫌った。母親に嫌われたくなかったわたしはなるべく屋外で遊ぶことを避けた。おかげで肌は色白で血色も悪くなり、性格はどんどん内にこもるようになっていった。そんなだから幽霊みたいだと言われることも一度や二度だけではなく、周りの子たちは気味悪がって誰も近づいてきてはくれなかった。


高校に進学してもその設定を貫いてしまい、またもや友達作りに失敗。


そんなわたしに気さくに声を掛けてくれたのが柳田遠乃だった。


中三の冬、わたしは大病を患って入院することになった。

幸いにもドナー提供者が現れたおかげで奇跡的に回復し、高一の夏ごろには学校にも通えるようになった。


でも、入学するタイミングのズレたわたしに、友達はできなかった。更に最悪なことに、長く入院している間にわたしは病気で死んでしまったことにされてしまい、中学時代の同級生はわたしのことをさんざん幽霊扱いして笑った。

そんなわたしに、柳田遠乃は声を掛けてくれた。クラスは違ったけど、彼女はわたしの初めての友達になってくれた。


彼女は美人でクールで、それなのにいつも一人でいた。はじめて目線があった時、遠乃はわたしにやさしく微笑んでくれた。

仲良くなりたいとは思ったわたしはどんな会話をしていいかもわからず、またもや


『幽霊が見える』なんて設定を引っ張り出してしまったのだ。


「そういうの、やめた方がいいよ。友達とかできなくなるから」


 いわれなくてもわかっている。過去に同じ過ちをして、友達作りに失敗したのだ。だけどわたしは、これ以外にコミュニケーションを図る術を持ち合わせていなかった。


 それなのに、今現在目の前にいる遠乃がそれを言うのは話が違うのではないか。わたしは遠乃に皮肉交じりに言う。


「友達ができなくなるから言ってはダメと言ったの遠乃でしょ。どうして友達として紹介した四谷君にそんなことを言ってしまうのよ」


 それに対して遠乃は、「海斗は特別だからよ」と答えた。


「特別。それってつまり遠乃と四谷君が付き合っているっていうこと?」


 それは以前から思っていた疑問だ。


「え、そんなふうに思っていたの? 私たちのこと」


「だって二人はとても仲がよさそうに見えるし、モデル体型の遠乃とがっちりとした四谷君は並んでいてとてもお似合いじゃない」


 その言葉に遠乃はパンパンと二回手をたたきながら笑って言った。


「だってさ、海斗。よかったじゃん。それってつまり、海斗がそれなりに魅力があるっていう意味だよ」


「柳田とお似合いだっていうことが魅力的な意味だってとったんなら、お前のほうこそ自信ありすぎだぞ」


「で、どうなの? ふたりは付き合っているの?」


「あはは、違うよ。私たちは単なる幼馴染だからさあ」


「ふーん、そうなの? でもさ、考えてみれば遠乃が男の人と一緒にいるところって見たことがないなあって」


「それは、私が明菜といつも一緒にいるからよ。多分、女友達と一緒にいるところも見たことないんじゃいかな」


「あ、うん。そういえば……」


 たしかに学生時代から男女を問わず、遠乃が誰かと一緒に過ごしている姿を見た記憶はないかもしれない。遠乃は明るく社交的で友達も多そうに見えるのに、いつもわたしなんかと一緒にいるのはなぜだろうと考えたことだってある。


「でもさ、そんなに気になる? 私と海斗がつきあっているかどうか?」


「え、何よ。やけにつっかかるじゃない」


 わたしは思わず四谷君のほうを見た。視線が一度ぶつかり、彼は慌てたように視線をそらし、まるでずっと外の景色を見ていたかのようにふるまった。四谷君は無口だ。


「私さ、海斗と明菜はきっとお似合いなんじゃないかって思っててさ。ねえ、よかったら二人、付き合ってみない?」


「おい、いきなり何言いだすんだよ。失礼だろ」


 ずっと黙っていた四谷君もさすがに口を挟む。もしかすると四谷君は遠乃のことが好きで、遠乃はそれに気づいていないだけ、というのはありうるかもしれない。下手に隠すより、正直に言っておいた方がいいのかもしれない。こういう話するの、実は苦手なんだけど。


「ごめんね。わたし、今はそういうこと、考えていないから」


「……」


 一瞬の間、空気が張り詰め沈黙が訪れた。こういうの〝霊が通った〟とか言うんだっけ?


 遠乃は四谷君の肩に手を置き「ごめん」とつぶやいた。「私が余計なこと言っちゃったせいでフラれちゃったね」


「おいおい、まだ恋もしてないうちからフラれるとか勘弁してくれよ」


「あ、今〝まだ〟って言ったよね? 言ったよね? それはつまり、これから先恋に落ちるっていう意味でいいのかな?」


「いい加減にしろよ。そんなに俺をみじめにして面白いか」


「アハハハハ、冗談だよ冗談」


「まったく」


 とはいえ、なんだかんだと言いながら仲のいい二人だなと思う。恋人同士ではないにしても、遠乃はやはり四谷君のことが好きなのではないかと疑わざるを得ないほどだ。



 ――思えば過去の自分とはずいぶん変わってきた。こうして友達も出来て笑いあったりできるようになったのは、全部遠乃のおかげだ。

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