第31話――現れた少女⑥

「ダンジョン専攻科の設立……?」


 その文言を目にして思わず口に出して読み上げると、目の前の天願院が呆れたようにため息を吐き出した。


「機密という文字が読めないのですか貴方は。迂闊に声に出すのはやめて頂きたい」

「えっ、あっ……ごめん……!」

「……まぁいい。まずは私から説明を――と、その前に……貴様らはもう用済みだ、とっとと部屋から立ち去れ!」


 天願院がギロリと割れたテーブルの上に突っ伏す学園長と理事長を睨みつけると、殺気を感じたのか即座に二人は飛び起きる。


「ひ、ひぃ! 天願院さま!」

「は、はひぃ!」


 あわあわと顔面蒼白にした二人が急いで立ち上がり部屋を飛び出していく。


「……さて、これは今月の理事会で提出する予定だった計画書です。鹿のせいで多少なり修正が必要になるでしょうが、それでも大筋に変更はありません」

「それじゃあ、これって……」


 そう言って俺は先程目に入った『ダンジョン専攻科の設立』という項目が乗ったページに再び視線を落とした。


 この項目をそのまま読み解くのならば、この学校にダンジョン関連の授業を織り込むということなのだが……。


「……これ、本気ですか?」


 資料を読み進める源先生が厳しめな表情で天願院を見つめるが、彼女はさも涼しい表情で先生を見据えていた。


「もちろんです、源文華先生。多少の遅れはあるでしょうがが、早ければ来年度にでも実現可能でしょう」

「ら、来年度って……」


 いくらなんでも無茶過ぎないだろうか。生徒の募集をかけるにしても教師や設備を整えるのに時間はかかるだろうに。


 そもそもこの事業計画とやらをこんな強引に押し進める価値があるのか。多くの人間にダンジョンに対する知識と技術を育てるという意義は確かに理解はできるのだが……。


「それにこれはあくまで計画の最終段階にしか過ぎません。今回あなた方に説明したいのは、この前段階のお話です」

「前段階……?」

「ええ、この計画の実効性を確かめるための実証実験です。その為の手伝いをあなた方にしてもらいたい」

「手伝いって……具体的に何させようっていうんですか?」

「そうですね……詳しい話はまた放課後にでもさせていただきます。実験の試験者たちの顔合わせもその時に出来ればと」

「ちょっ……ちょっと……!」


 俺は慌てて天願院に詰め寄った。


「ほ、放課後っていうのは……」

「もうじき始業ですし、昼休みも私には予定があって動けないのです。また、試験者の一人は校外の生徒を起用する予定ですので、放課後の方が都合がつきやすいと……」

「あ、いやそうじゃなくて……俺、今日はバイトが……」

「……そんなもの、休みの連絡を入れれば良いでしょう」


 天願院はため息まじりに、そんな風にさも当然のように言い放った。


「い、いや……いきなり休むなんてできるかよ。このところ事件続きでろくにバイト先に顔出せてないのに……」

「そもそも、たしかこの学園はアルバイトの類は校則で禁止のはずでは? 特等生のあなたがそんなことをしていて良いのですか?」

「そ、それは……俺には家庭の事情があって、経済的に苦しいから……」

「……しかたない」


 言い訳がましい俺を前に、天願院は何やら呆れたようにしながら刀を持つ手を横の玖条さんに差し出すと、刀と交換するように黒革の学生カバンを受け取った。


「だったら……浅田先輩、いくら欲しいですか?」

「えっ、い……いくら?」

「いくら、金が欲しいですか?」


 そうして彼女はカバンの中から何かを取り出して俺に向けて差し出す。


「な…………っ」


 思わず、声が漏れ出し、固まった。


 分厚い札束、それも一万円札のそれが三つ重なって天願院の手の平の上に収められていた。


「ここに、三百万円ほどあります」


 天願院が淡々と説明しながら見せられるそれに、俺は視線が釘付けになっていた。


「急なことだったので持ち合わせが無いですが、今はこれでバイト代の代わりになりますか?」

「か、代わり……?」

「この計画が始動すればあなたにはバイトをする余裕などないでしょう。これはせめてもの手間賃です」

「だ、だからってこんな額……」

「私たちには時間が無い。今は猫の手も借りたい状況なのです。その為の投資だと思えばこんなものです。この計画を完遂した暁にはこれ以上の何倍の報酬も用意いたしますよ」


 天願院はさも容易く、当然だと言いたげな態度だ。


 確かに、今の俺には余裕などない。


 遥の治療費のためにバイトして、倹約して、特待生制度まで利用して、日々お金を捻出している。正樹叔父さんも直美叔母さんも俺と遥のために身を切るような思いをして協力してくれている。


 そんな中、差し出された三百万円の札束。


 今の俺が丸一ヶ月、いや一年かけてバイトをしてもたどり着けないであろうそれが、奴は懐からまるで子供に渡す小遣いかのように俺に差し出した。


 それが如何に甘すぎる罠のようなものだったとしても、あまりに魅力的だった。


 俺や叔父さんたちのこれまでの苦労を思えば、そして、遥のことを思えば、それは喉から手が出るほどのものだ。


 だけど……。


「……ふざけるな」

「……なに?」

「俺がそんなもののためだけに生きていると思ったら大間違いだ!」


 自然と、俺の口から感情が溢れ出す。そして、一度そうなってしまえば止まらなかった。


「人の弱みに付け込んで、プレッシャーをかけて、結局命令する奴が違うだけでそっちも学園長とやることが同じじゃないか!」

「…………」

「ちょっ……浅田くん……!」


 凍り付いた場の空気に源先生が堪らず後ろから俺を抑えようとする。

 だが、俺はそれに構わず天願院を睨みつける。


「第一なんなんだよこの計画は! 一体どれだけの人間が振り回されるんだ。いくら金持ちだからってなんでも出来ると思うなよ。ろくに説明もしないくせに一方的にバイト休めだのなんだの言いやがって。どうせ参加しないとか断ったら俺の特待生も剥奪するとか――」

「貴方こそ、何も理解していない」


 黒髪の隙間から、天願院の鋭い視線が突き刺さる。


 まるで獅子をも制すような、重圧さと冷たさと覇気が、俺の言葉を強引に封じた。


「貴方の言う通り、我ら天願院家が主導するこの計画には莫大な資金と人員が動いている。貴方がたの視点からすれば、ただの道楽に思えるかもしれない。しかし――」


 天願院は一歩踏み出し、そのまま上目遣いに俺の目を見据える。


「私は本気だ」


 その気迫に、思わず冷や汗とともに息を呑みこんだ。


 俺よりも背が低く、体格もかなり小さいにも関わらず、間近で見る彼女はまるで巨人のような圧倒的な雰囲気に押し潰されるかのような錯覚さえする。


「……例え貴方が辞退すると言っても、特待資格を剥奪するなんてケチなことはしない。しかし、貴方の持つ許可証ライセンスの方はどうかな?」

「…………!」

「例の【ダンジョン】の件が明るみになれば、貴方は間違いなく処罰され、許可証ライセンスも剥奪となるだろう」

「それは……!」


 彼女の言う通りなのであろう。ダンジョンの存在を秘匿する行為が違法となるのなら、そうと知ってダンジョンの探索をしていた俺たちも違法行為となる。学園長に言いくるめられ、半ば強制的にだったとしても、通報もせずにいたことは咎められるであろう。 


「だが、今ここには『日本ダンジョン会』の重鎮がおられる。彼の口利きがあれば、あのダンジョンのことが知られたとしても、そのようなことにはならない」

「…………!」


 一瞬すぐ横の萬代さんの方に視線が向くと、何故か彼は頭をゆらゆらとさせていた。


「……コホン」

「――――おっと、失礼」


 玖条さんのさりげない軽く咳払いによって萬代さんがしゃきと姿勢を正すのを傍目にし、天願院は続けて言葉を俺に浴びせる。


「それに、私には警察やマスコミ、政治家連中にも顔が利く。貴方がたは不起訴どころか名前も所属すら公表されぬだろう」

「な……なんでそこまで……?」


 源先生ならばともかく、俺なんてただの子供で学生にしか過ぎないのに。


 そんな心中を読み解くように、彼女は剣呑な表情を緩め、小さく笑みを溢した。


「それだけ、貴方に期待しているということですよ、浅田先輩」

「んな……」

「これは貴方を買収するためのものではない、いわば投資です。貴方の活躍が今後我々のためになると……これはそういう金です」


 天願院はそう言って手にした札束を俺の手の平に無理やり乗せて、そのまま強引に俺の胸の方へと押し付けた。彼女のあまりにもさりげない動作に、思わず札束を受け止めてしまった。


「貴方はバイトなりなんなりご自由に。そして、貴方が計画の不参加を決めても問題ありません。警察の検挙や許可証の件もご心配なく。機密情報を口外しないことを守って下されば、私からは何も言いません」

「えっ……あ、おい……」

「では、これで」


 そうして俺が札束を返す間も無く、天願院はすたすたと離れ、ガチャリと学園長室の扉を開けて外へ出ようとした。


「ちょっ……ちょっと待てって!」

「わ、わわっ! 浅田くん!?」


 慌てて札束を側の源先生に渡しながら天願院の後を追いかけて、一度目の前で閉まった扉を俺はすぐさま開け放って廊下へ出た。


「てんがっ……あれ……?」


 廊下の何処にも天願院の姿は無かった。


 右も左も、念のため学園長室の中の方にも振り返ってみたが、やはり彼女は忽然と消失してしまっていた。


「あ、あいつ……いったい……」


 胸に抱えた燻るようなもどかしさ。


 あの謎の少女“天願院るかみ”。


 その時の俺はただ、屈辱に似た感情を胸の内にくすぶるばかりであった。

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