第32話――赤い塔

――――――◇◆―――――――


 高層ビルの群れを見下ろすほどの、高い赤色の塔の頂上にキミは立っていた。たしか『東京タワー』とかいう名前だ。


 ここからの眺めを気に入っていたのか、キミは何かある度に訪れては、ぼんやりと景色を見つめて何かを思案するように沈黙している。


 そんな光景を、ボクは何度も見てきた。


 今もまたほんの僅かな足の踏み場に佇んでは、遠くに見える『白い塔』を見つめている。


 ボクはいつもそんな背中を見つめ続けてきた。


 キミと出逢った、あの日からずっと。


「ねぇ、チーシャン」


 超高層に吹き荒れる風の中からキミの声がボクに届く。


 それは、いつにも増して、冷たく、鋭いように思えた。


「どうして、『あの人』の記憶を奪ったの?」


 振り返るその表情かおは張り子細工のように美しく、精巧に見えた。その下にあるキミのを見事に隠すかのように。


「〜〜〜、〜〜〜〜〜………」


 ボクは伝えた。ボクの役割を、変わることのない使命と旧き約定を。


 それだけが、存在理由。彼女を守るための、ボクの矜持。


 しかし、キミは首を振り、さらに身体をこちらに向ける。


 背中を眼下のコンクリートの森へ晒しつつ、少し屈んでボクと目線の高さを合わせる。


「私が言いたいのは、どうして、邪魔をしたのかってこと」

「――――――」


 ボクの背筋に一筋の寒気が降りる気配を感じる。


 汗の一雫すら流れることのないこの守護獣ワイルドビーストの身体ですら、キミの声の前に屈服せざるを得ない。


 それだけの重みが、たしかにあった。


「私のやりたいこと、知ってるでしょ。『妖精さん』を見つけて、気持ちを伝えて、それから……」


 つらつらと語りだすキミの願望。


 その全てを、ボクは理解しているつもりだった。


 その上でボクはキミを……。


「ちょっと、話、聞いてる?」


 不服そうに怒った表情でボクの両側の頬を無理くり引っ張ったり吊り上げたりする。


 彼女らしく、可愛げのある反応だ。一見すると感情豊かに見える、彼女の表情。


 しかし、ボクは知っている。そんなキミの心はことを。


 大切なものを失ってしまったあの時からずっと、キミは――。


「チーシャン、私、やっと見つけられたの。あの人を」


 彼女の声に、感情が乗る。無理をして見繕ったものではない。確かなものだ。


「ずっと昔から探していた〝夢〟を見つけられたの、やっと叶いそうなの……だから、もし、それをまたあなたが邪魔をするというなら……」


 そう言って、キミは一歩後ろへ下がる。


 ほんの僅かな足場のさらに際まで寄っていく彼女の身体。手すりも命綱も無いそんな場所で、今突風なんかでも吹けば、体勢を崩して足を踏み外してしまうほどの瀬戸際。


 そんな所まで、キミは自らを追い込んだ。


「私、死んだほうがましだから」


 張り付いた笑顔はない。


 そこには紛れもない、キミの感情かおが現れていた。


「――――――――」


 ボクは少し、後悔をしてしまったのかもしれない。



 彼女の夢――キミの未来――。


 ボクは邪魔をしたいわけではない。


 キミを……守りたいだけなんだ。



「――うん、ありがとう、チーシャン」


 ボクの返事を聞いて、キミは安堵してまた優しい表情を浮かべる。


 ――結局、ボクに選択肢なんてあるわけがなかった。


 キミを守るためならば、守護獣としての掟すら破ってみせる――まぁ、本当は掟とかどうでもいいらしいが。


「それじゃあ、チーシャン、先輩の記憶を戻す方法教えてよ。あるんでしょ、やり方」

「――――――」


 あるにはあるが……さて、どう伝えたものか。


 そう思案していると、唐突に頭上からうざったらしい甲高い声が聞こえてきた。


「まったく、いつまでたってもこんなところでくっちゃべったりしなさんな。ワタクシを一体いつまで待たせる気なのかしらん?」


 見上げると、塔の先端に密集するアンテナの一つに、青と白の羽毛に覆われた、鳥一羽が止まっていた。


「あ、バードリー! いつからそこに?」

「さあね、いつからなのかしら。そこの駄猫にあなたが死んでやるとか言ってた辺りぐらいかしら」


 丁寧に磨かれた嘴の先端で器用に翼や羽毛を整えつつ、青鳥は澄ましたように話す。


 なにが駄猫だ、羽という羽を毟り取って炭火焼きにして野犬に食わせるぞ。  


 そんな視線を向けてると、キザな青鳥はムッとした表情になってこちらを睨み返してくる。

 

「そこの駄猫は一体、なんなのかしら。何か文句のあるのなら直接喋ったらどうかしら」

「…………」

「あら、そういえばあなた確か喋れないんでしたわね! これはごめんあそばせ、オホホホ!」

「〜〜〜〜! 〜〜〜〜!」

「ちょっと! 喧嘩はやめてよふたりとも!」


 たまらず彼女が割って入ってくる。喧嘩も何も、ただこちらが一方的になじられただけではあるのだが……。


「相変わらず、その駄猫の言葉がわかるのね、仔猫娘。守護獣ワイルドビーストの中でも最も高貴なワタクシですら理解できないのに、実に感心するわ」

「……まぁ、チーシャンの言葉が分かるというより、なんとなく心が言いたいことが分かるって感じなんだけど」

「ふうん……本当にあなたは不思議な娘よね。あなたの守護獣に選ばれたのがそこの小物だったのが実にもったいないわ。高貴たるワタクシに及ばずとも、それなりに品のある方であれば《魔法少女》としてもっと大成してたでしょうに」

 

 誰が小物だ、このアホ鳥が。高貴がなんだ、カス。


「今絶対にワタクシのこと罵りやりやがりましたわね、そこの野蛮猫! なんとなく目がそう言ってやがりますわ! このクソお排泄物猫がッ!」

「ーーーーー!! ーーーーー!!」

「だーかーらー! こんなところで喧嘩やめてよ!」


 しばらくバードリーと一歩も譲らぬ睨み合いを続けていたが、先に相手がうんざりとしたように強引に切り上げ、咳払いをいれる。


「……そんなことよりも、あなた、いつまでこんなところで油を売っているの? 昨日、お嬢に言われたこと忘れたのかしら?」

「お嬢って、るかみちゃん? 何かあったけ?」

「朝一から来いって呼び出しを受けてたでしょ! 大事な話とか積もる話とかたくさんあるって!」

「あ、あはぁ……で、でもなんか今さら、気まずくて……」

「気まずいとか何様のつもりよ!? 三年間も音信不通にして、何か少しは言うことぐらいあるでしょ!? まったくこの小娘は!」


 バードリーは上品な口調も忘れ、苛つくように細かい羽毛を飛び散らせていた。これに関しては、流石に怒られても仕方のないことだ。


「お嬢はね、本当は………! ……いや、いいわ。これはわざわざワタクシから言うことでは無いわね」


 落ち着きを取り戻すバードリーは、乱れた羽毛を再び嘴で整え、アンテナから飛び降りて空中を羽ばたく。


「とにかく、さっさと学校に行ってお嬢に会ってきなさいな。言っておくけど、今さらまた逃げたりなんかしたら承知しませんことよ!」


 そう説教がましいことを吐き捨てつつ、バードリーは颯爽とビル街の向こうへ飛び去っていった。


「……叱られちゃったね」


 キミはそんなふうに苦笑ぎみバツが悪そうにしてこちらに振り向く。


 当たり前だろう。事実、キミは何も言わずに彼女たちの前から去ったのだから。


「さっき燁喃ちゃんに会った時だって……私、やっぱり逃げてるのかな……」


 気が付けばキミはまたあの『白い塔』の方を見ている。


 まるで手の届かないそれを、羨ましく望むかのように。


宵美よみちゃんなら……こんな時どうするんだろうな……」


 ボソリと、キミがそう呟いて、ボクは何も言えなくなった。元から繰り出す声など存在しないのに、キミに、何も伝えられなくなってしまった。


 キミがそういうふうに悩むと決めたのならば、ボクからはもう何も言うことなど出来はしない。


 いなくなったものを追いかけても何も得ることはないと思いながらも、それでも無駄ではないはずだと。


「〜〜〜〜〜〜〜〜」

「……そうだよね、今はやりたいことをやらなきゃ」


 そう言ってキミは小さな箱のような見た目の『ワンダーワイルズパクト』を手にしてかざす。魔法少女の証であるそれを開いて、キミは祝詞を口ずさむ。


「【変身レッツ・ナチュラル】」


 桜色の光に包まれたキミはまたたく間に伝説の戦士《サクラキャット》へと変わる。


「行こう! チーシャン! 早くしなきゃ遅刻だよ!」


 そう言ってキミは塔の先端から駆け出しながら笑ってこちらを振り向く。


 遅刻を気にするぐらいなら最初からこんなところに来なければいいのに。そもそもここから学校からは大分遠いってのに。

 

「大丈夫! きっと間に合うよ、だって私は――【サクラキャット】なんだから!」


 どんな根拠だよ、まったく。


 やれやれと思いつつ、ボクも彼女を追うように塔の上から飛び降りた。

 

 魔法少女のもつ認識阻害の力がなければ、今頃地上にいる人間たちに気付かれて大パニックになってるだろう。

 

 そんなことも気にせずに、彼女は空中で華麗に一回転を決めたり、展望台の屋根の上に優雅に着地してみせたりする。


 おそらく、キミを止められる者はこの地上の何処にもいない。強いて言うなら同じ《魔法少女》か《クライジュウ》くらいか。


 しかし、例えキミがこの先どんなものと対立することになったとしても、ボクだけはキミの側を離れない。


 それは、守護獣としての使命とかではない。キミと契約したあの日からずっとボクの中に或り続けた信念。


「んっ、何? チーシャン」

「――――――――」

「…………それって……ええっ!?!?」


 展望台から飛び降りたキミに知りたがってたことを伝えてやると、キミはとたんに顔を赤面させて地面の方へと真っ逆さまに落ちていく。



 

 あぁ、きっと、本当に今さらだったのだろう。


 誰かを気に掛ける必要なんて、無粋だったのだ。


 何故なら、ボクたちはとっくに共犯者だったのだから。


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