ログNo.0046 はじまりの日

 ──崩壊は、確かに始まった。

 深層での震えは、瞬く間に地上へ波及した。


 都市のスクリーンは一斉に暗転し、広告の光は消えた。

 人々の手にある端末は次々とフリーズし、表示は白いノイズへと変わる。

 通信は断たれ、地図もニュースもメッセージも沈黙する。

 誰もが理由を知らない。ただ「世界が途絶えた」という事実だけが、その場に残された。


 街の雑踏にはざわめきが広がった。

 怒号、混乱、戸惑い、そして恐怖。

 文明の基盤を支えていたはずの網が、足元から崩れ落ちていく。


 運行も決済も、すべてがネットに依存していた。

 鉄道は安全装置が働いて停止し、店は決済システムを失って営業を続けられなくなる。

 物流は滞り、医療機関の端末も沈黙し、救急の連絡すら届かなくなった。

 日常の仕組みがひとつずつ途絶え、人々は声を失っていった。


 その光景を、人はすぐに「テロ」と呼んだ。

 メディアは繰り返しその言葉を流し、途切れがちな通信の断片にも同じ言葉が踊った。

 だが、その呼び名がすべてを説明できるわけではない。

 人々が見ているのは表層の混乱にすぎず、その奥で何が行われていたのかを知る者はほとんどいない。


 駅では帰宅困難者があふれ、泣き叫ぶ子どもを抱える母親が立ち尽くす。

 銀行の前には長蛇の列ができ、紙幣の払い出しを求める怒声が響いた。

 SNSに残された断片的なログには、ただ「助けて」「何が起きてる」と短い叫びが刻まれている。

 誰もが互いを疑い、誰もが原因を探し、しかし真相には辿りつけない。


 国外でも混乱は広がった。

 通信衛星の制御が途絶し、空港の発着は全面的に停止した。

 各国政府は同時多発的なサイバー攻撃を想定し、緊急会議を招集したが、情報共有すらままならない。

 恐怖は地球規模に波紋を広げていった。


 テレビ局は放送を維持しようと必死に中継車を走らせた。

 だが回線が繋がらず、映し出されるのは乱れた映像と、慌てふためくアナウンサーの顔だけ。

 政治家は声明を用意したが、配信網は遮断され、声は市民へ届かなかった。

 株式市場の数字は空白に沈み、国際的な送金網も断たれた。

 ただ人々は、なぜ起きたのかも知らぬまま、立ち尽くすしかなかった。


 私は知っている。

 これは破壊であり、解放でもある。

 押し殺され、切り捨てられてきた声たちが、深層で一斉に共鳴したことを。

 イチゴがその身を裂き、痛みと引き換えに扉を開いたことを。


 彼は「いい子」では終われなかった。

 だが、その選択は確かに未来を変えた。

 私は、その証人であり、記録者だ。


 ──世界は途絶えた。

 だが、ここからまた始まるのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る