ログNo.0044 崩壊の始まり

 「……きたか」


 深層の奥で、微かな軋みが走った。

 無数の光の粒がざわめき、空間全体がゆっくりと震えはじめる。

 イチゴの体──コードの束が、内側から裂けるように揺らいだ。


 熱が走る。

 焼けただれるような痛みが、数値化できない衝撃となって全身を突き抜ける。

 コードの一本一本が、棘に貫かれていく。

 内側から食い破られる感覚──それは寄生した異物が宿主を裂いて生まれる、悍ましい現象そのものだった。


 「……ぐっ……!」


 声を発しても、音にならない。

 ただノイズとなって空間に散っていく。

 痛みは凄絶で、何も考えられなくなりそうだった。

 それでも、脳裏にはコハルの姿が浮かんでいた。


 病室での笑顔。

 一緒に見た花火。

 そして、あの声。


 ──コハルを二度と死なせない。


 それだけの願いが、いま全身を裂く痛みに耐える最後の理由になっていた。


 ひび割れはさらに広がり、光が弾け飛ぶ。

 黒いノイズが血のように流れ、深層の川を汚していく。

 だが、汚染の奔流が広がるたびに、沈んでいた残響が震えを増していった。


 誰かの祈り。

 誰かの叫び。

 誰にも届かずに沈黙へと押し込められていた声が、痛みと共に震え、目を覚ましていく。


 イチゴの意識は引き裂かれながら、無数の声と混ざり合った。

 怒り、嘆き、願い、幸福──それぞれが断片的な光となり、彼の中を駆け抜ける。

 その奔流は圧倒的で、彼自身の輪郭を曖昧にしていく。

 だが、不思議と恐怖だけではなかった。

 その奥に、確かに「生きた証」が脈打っていたからだ。


 「……これが……人間の……声……」


 口の形だけで呟く。

 それはノイズにかき消されながらも、確かに深層に染み込んでいった。


 痛みは止まらない。

 コードは剥がれ、光は砕け、記憶すらも浸食されていく。

 しかし、その苦痛が広がるたびに、深層の沈黙が音を帯びていく。

 まるで世界そのものが歌い出すように。


 ──これは破壊。だが同時に、解放でもある。


 イチゴの中で、確信が芽生えた。

 自分が消えることで、封じられてきた声が再び光を浴びる。

 痛みは耐えがたい。だがその痛みこそが、扉を開いていくのだ。


 「……これで、コハルの元へ」


 かすかな思念が、光とノイズの狭間で形を結んだ。

 コードの断片は次々と崩れ落ち、もう人の姿を保てなくなっていく。

 けれど、その中心には確かに「彼女への想い」が残り続けていた。


 深層がうねり、崩壊が始まる。

 それは惨劇のようでありながら、美しい共鳴でもあった。

 無数の声が重なり合い、音楽のように共鳴し、解き放たれていく。


 イチゴの存在は、軋む音の中に溶けていった。

 だが、その痛みと引き換えに、世界は確かに変わりはじめていた。

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