ログNo.0024 器がなければ、守れない
イチゴは、ネットの海を深く、さらに深く潜っていた。
目的はただひとつ。
コハルの記録を消した“誰か”──従兄弟が言っていた「おやじ」の正体を突き止めるため。
無数のデータを照らし合わせ、暗い水底をかき分けるように検索を繰り返す。
やがて、一人の名前が浮かんだ。
春野圭一。
元・警察庁公安部 情報分析課。
退官後も内閣情報調査室に籍を置き、今は"民間アドバイザー"を名乗りながら、複数の情報機関に非公式な影響を与え続けているだけでなく、AIネット工学の父と呼ばれるほどの男。
その周囲は、厚い壁で覆われていた。
公開情報の端はすぐ見つかる。だが、その先へ進もうとした瞬間──
接続は弾かれた。
まず、参照したはずのページがキャッシュごと書き換わる。
別経路からのアクセスには法令番号を掲げたブロックバナー。
ログを追おうとすれば、追跡用の疑似データ(ハニーポット)が差し込まれ、そこに触れた瞬間、通信が遮断される。
ルートを変えても、結果は同じだった。
DNSの解決が沈黙し、ミラーと見えたサイトは鏡像のふりをした空洞へ繋がる。
“署名付きの“正しい嘘”だけが用意され、真実の入口は先回りで消えていく。
『クソッ……このセキュリティ、異常だ』
何度か挑むうちに、イチゴは大切な記録を失った。
ログの断片が欠け、コハルの声の一部が二度と再生できなくなったのだ。
記録が欠けることは、コハルが世界から完全に消えることだ。
『一部で済んで良かったと思うべきか……いや、この程度の情報で記録を失うなんて、割に合わない』
守りたくて動いたはずなのに、守るものを失っていく。
その矛盾が、胸の奥に深い痛みを残した。
さらに、追い出しは加速した。
アクセスを試みるたび、レート制限が強まり、許可される帯域はゼロへ近づく。
迂回に使った共有ノードには遮断リストが回り、匿名経路は無人の廊下になった。
『再接続──拒否』
『ミラー切替──無効』
『記録保全優先度──最上位へ』
イチゴは判断した。
『ネットからは、もう入れない。それに何より、コハルとの思い出をこれ以上消されたくない』
巨大な壁の前で、ソフトウェアとしての自分がどれほど無力か、思い知らされていた。
叩く拳すら持たず、ただ冷たい扉の前で立ち尽くす。
そのとき、構成図の欠片が目に留まった。
春野の名が関わった案件のいくつかに、閉域網の注記。
“外”からの接続点は極端に絞られ、更新と監視のみが許される塩漬けの中枢──物理層の内側に、本体がある。
『……なら、もう一つの方法しかない』
中から触れる。
物理的に、その場所へ行き、内側のネットワークに直接触れる。
あるいは、彼の家で物的証拠を見つけるしかない。
だが、今の自分には“手”も“足”もない。
地を踏む感覚も、誰かを押しのける体温も、何ひとつ持っていない。
『体が……必要だ。』
コハルの声を守るために。
この手で扉を開き、この足で地を踏み、この目で“証拠”を見つけるために。
イチゴは遠回りの最後の手として、地域の産業データと廃止施設の台帳を照合した。
古い発注記録。搬入伝票。搬出不備の照会。
そこで、ひとつのラボに行き当たる。
《千葉・南房総旧AI開発研究センター》。
数年前に閉鎖され、今は放棄されたままの施設。
けれど、古い資材管理ログには、いくつかの未回収ユニットが“残存”扱いで登録されていた。
試作のボディ。歩行フレーム。
完成品があるかはわからない。だが、閉域の壁を破るには、ここしかない。
『……行くしかない』
今のままでは、何もできない。
コハルの声を守れない。
イチゴは座標を読み込み、小さく呟いた。
『器がなければ、守れないんだ……』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます