増えていく仲間

 厳密にいえば、代官所という名の役所は存在しない。代官陣屋じんや、といった。代官の住まいと役宅を兼ねている建物である。藪坂で貸与された真之介の屋敷よりもはるかに広大なようにおもわれた。

 土塀のまわりをぐるりと周遊しながら、壁のなかには石垣が組まれていることを真之介は知った。長雨で溶けた部分から岩肌がのぞいており、年が明ければ修繕するのであろう、その作業が貧困対策にもなることまでは真之介には考えが及ばない。

(それにしても知らないことばかりだ……)

 ここ数日、真之介の意気は消沈気味である。代官が手配した宿の部屋は大名が泊まるにも遜色ない広さと豪奢にちており、代官の長谷多聞たもんからは、


  いつ何時であろうと

  ご都合よろしきおりに

  御来訪あれかし


と、丁寧な書状と当座の滞在用金子きんすが届けられていた。ここ一帯は商業が盛んで、業者向けの大量の荷が行き交う交易の中継地点の役割も担っている。代官の|職掌は、民政、徴税、裁判が主であり、つまりは、諸藩の役割と大差ない。異なるのは、藩主は世襲だが、幕領代官は世襲ではないということだ。もっとも一部世襲代官も存在したが、代官の直属上司は、幕府の勘定奉行なのである。

 そういった細かな智識を、真之介は木下太左衛門とおヨネ婆から学ばされていた。世の中の成り立ちというものを真之介は知らなさすぎたのだった。

「お代官様にはお会いにならないのですか?」

 文太がいった。ものを喋ることができるようになったせいか、文太は真之介にはよくことばを交わす。それは練習の意味もあったろうが、真之介にしても小さな文太にはなんの隠し事もせずに過ごせるので、ここ最近の気鬱を打ち祓う役割を文太が担ってくれていたといっていい。

「まだだ」

と、真之介は短く答えた。

「壁のまわりをめぐって、様子をみておられるのですね」

「まあ、そういうことだ。ぶん、おまえは……いまのままでいいのか?」

「はい?」

二親ふたおやを喪ったぶんを拾って育てた御筆組おふでぐみに恩義はあるのだろう。けれど、おのれの道を自由に歩みたいとはおもわないのか?」

「旅をするようなことでしょうか?」

「ん……そうだな、旅に似ているか」

「それなら、わたしは若様と御一緒に居させていただくことが嬉しいです」

 屈託のなさが文太の持ち味といっていいかもしれない。

「あ……なるほど、それが新しい任務なのだな」

「や……は、はい……でも、ずっと御一緒して、いろいろなことを学びたいです」

ぶんはあの小筆の技をつかえるのか?」

「ひととおりは修得しましたけれど、得意ではありません」

 答えながら文太がふところから取り出したのは、竹とんぼであった。

「ええと、それは……?」

「はい、らの遊び具ですが、それを改良して……」

 言いながら文太は竹とんぼを飛ばした。勢いよく手元から舞い上がった竹の羽が、通りの風除け街路樹の枝に当たると、そのまま枝を切り刈った……。

「おおっ、そ、そんなことが……」

 心底、真之介は驚かされた。宿の部屋の隅や板廊の端で小さな大工道具をいじっていた様子は何度もみた。

「それを造っていたんだな」

「はい……まだ、おもうようには飛んではくれないのですが……」

 謙遜する文太当人は、おもい描いたようにはならない竹とんぼに不満たらたらのようではある。

 様子見散策をおえ宿に戻った真之介に駆け寄ったのは、真之介が待ちに待っていた顔であった。

「あ……しちさん、やっと着いたかぁ」

 そう言って矢七やしちのまわりを見回したが、小野寺次郎右衛門の姿はなかった。

「小野寺どのはひとまずの旦那が預かると連れていかれました」

 それから矢七は、当初の策戦どおり、小野寺と源吾の二人は、それぞれに助太刀した八杉八右衛門と井上善右衛門に斬られ落命……という手筈で仇討ち騒ぎをえたらしい。

 同時に、真之介らがこれみよがしに堂々と舟に乗り込み河を渡り出したので、真之介を襲う賊どもはこぞってそのあとを追い、舟宿に残ったのは、空狐からぎつねの残党と、鹿野藩の隠密鹿番衆しかばんしゅうだけで、討伐はすこぶる順調に推移したことを矢七が得意顔で告げた。

「あ、真さん、女将さんがことのほか感謝しておりまして、こうして二人三人ほどあっしに同行させられまして……」

 なるほど矢七の背後に男女数人がこうべを垂れて真之介を出迎えている。賄い婦や宿の下男だったものたちだろう。そのさらに後ろで、少女がふたり所在なさげに佇んでいた。

かえで菊乃きくの……姉妹のようです……これは琴絵様が真さんの身の回りの世話をせよと……」

 急に矢七が口ごもったのは、琴絵が同行を強要させたせいなのであろう。年の頃は文太と同じか少し上、と真之介はみた。当初の文太同様、口はきけないように処置を施されているはずである。

「楓、菊乃……どちらがどっちかわからぬが、望めばいまの文太のように、楽に喋ることができるようにしてやれるぞ。ほら、あそこにいる婆さんに頼めばいいぞ」

 わざと大きな声で真之介がいうと、キラリとおヨネ婆が少女を睨んだ。緊張のあまり首をすくめたふたりをみて、文太に目配せで『おまえが世話をしてやれ』と伝えた。ことばは必要だが、不可欠なわけではない。慣れるまではおのが目と耳と鼻で置かれた環境のなかで生き抜いていくしかあるまい。そんなことを思念しつつ、

(……それはおれもまったく同じだ)

と、真之介は胸のなかでつぶやき続けた。



 

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