増えていく仲間
厳密にいえば、代官所という名の役所は存在しない。代官
土塀のまわりをぐるりと周遊しながら、壁のなかには石垣が組まれていることを真之介は知った。長雨で溶けた部分から岩肌がのぞいており、年が明ければ修繕するのであろう、その作業が貧困対策にもなることまでは真之介には考えが及ばない。
(それにしても知らないことばかりだ……)
ここ数日、真之介の意気は消沈気味である。代官が手配した宿の部屋は大名が泊まるにも遜色ない広さと豪奢に
いつ何時であろうと
ご都合よろしきおりに
御来訪あれかし
と、丁寧な書状と当座の滞在用
そういった細かな智識を、真之介は木下太左衛門とおヨネ婆から学ばされていた。世の中の成り立ちというものを真之介は知らなさすぎたのだった。
「お代官様にはお会いにならないのですか?」
文太がいった。ものを喋ることができるようになったせいか、文太は真之介にはよくことばを交わす。それは練習の意味もあったろうが、真之介にしても小さな文太にはなんの隠し事もせずに過ごせるので、ここ最近の気鬱を打ち祓う役割を文太が担ってくれていたといっていい。
「まだだ」
と、真之介は短く答えた。
「壁のまわりをめぐって、様子をみておられるのですね」
「まあ、そういうことだ。
「はい?」
「
「旅をするようなことでしょうか?」
「ん……そうだな、旅に似ているか」
「それなら、わたしは若様と御一緒に居させていただくことが嬉しいです」
屈託のなさが文太の持ち味といっていいかもしれない。
「あ……なるほど、それが新しい任務なのだな」
「や……は、はい……でも、ずっと御一緒して、いろいろなことを学びたいです」
「
「ひととおりは修得しましたけれど、得意ではありません」
答えながら文太が
「ええと、それは……?」
「はい、
言いながら文太は竹とんぼを飛ばした。勢いよく手元から舞い上がった竹の羽が、通りの風除け街路樹の枝に当たると、そのまま枝を切り刈った……。
「おおっ、そ、そんなことが……」
心底、真之介は驚かされた。宿の部屋の隅や板廊の端で小さな大工道具をいじっていた様子は何度もみた。
「それを造っていたんだな」
「はい……まだ、おもうようには飛んではくれないのですが……」
謙遜する文太当人は、おもい描いたようにはならない竹とんぼに不満たらたらのようではある。
様子見散策をおえ宿に戻った真之介に駆け寄ったのは、真之介が待ちに待っていた顔であった。
「あ……
そう言って
「小野寺どのはひとまずはちはちの旦那が預かると連れていかれました」
それから矢七は、当初の策戦どおり、小野寺と源吾の二人は、それぞれに助太刀した八杉八右衛門と井上善右衛門に斬られ落命……という手筈で仇討ち騒ぎを
同時に、真之介らがこれみよがしに堂々と舟に乗り込み河を渡り出したので、真之介を襲う賊どもはこぞってそのあとを追い、舟宿に残ったのは、
「あ、真さん、女将さんがことのほか感謝しておりまして、こうして二人三人ほどあっしに同行させられまして……」
なるほど矢七の背後に男女数人が
「
急に矢七が口ごもったのは、琴絵が同行を強要させたせいなのであろう。年の頃は文太と同じか少し上、と真之介はみた。当初の文太同様、口はきけないように処置を施されているはずである。
「楓、菊乃……どちらがどっちかわからぬが、望めばいまの文太のように、楽に喋ることができるようにしてやれるぞ。ほら、あそこにいる婆さんに頼めばいいぞ」
わざと大きな声で真之介がいうと、キラリとおヨネ婆が少女を睨んだ。緊張のあまり首をすくめたふたりをみて、文太に目配せで『おまえが世話をしてやれ』と伝えた。ことばは必要だが、不可欠なわけではない。慣れるまではおのが目と耳と鼻で置かれた環境のなかで生き抜いていくしかあるまい。そんなことを思念しつつ、
(……それはおれもまったく同じだ)
と、真之介は胸のなかでつぶやき続けた。
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