矢七の機転、文太の才能

「妙案を得た……!」

と、声をあげたのは誰であったろうか。八杉八右衛門と井上善右衛門は、琴絵から告げられた混迷の情況を知って愕然となった。本来の目的は、御城から盗まれた先代将軍家光の書状奪還とそれに関わる賊どもの征伐であった。さらに加えて盗賊空狐からぎつねの残党狩りと鹿野藩が放った忍び鹿しか番衆を領外へ追いやり、対岸の幕領代官長谷はせ多聞たもんへの挨拶巡行をも視野に入れていた。

 ……ところが。

 琴絵によれば、配下の御筆組密偵たちの多くはひそかに討ち取られ、個人的に探しに来た琴絵の祖父、木下太左衛門の行方も判明せず……とのことであった。

「討ち取られた? とはどういうことじゃろう」

 そこが井上善右衛門には得心がいかない。御筆組は藩公直属の組織だということは噂に聴いている。それが赤子あかごのごとくひねり潰されようとは信じられないのだ。

「敵は……」

 琴絵がつづける。「……どうやら一組いちくみではないようなのですよ。複数の敵が、相互に連携しているのか、それぞれ単独で動いているのかはわかりかねますが宿泊客に混じってうごめいています……」

「そ、それにしては……悠長に構えておられるな。なにか策を講じられたのか?」

 善右衛門なりの洞察で琴絵の表情の変化を感じ取ったのであったろう。

「策というほどのものではございませぬが、らとおなごを十数人呼び寄せました」

文太ぶんたのような童のことか?」

と、横から八右衛門が口を挟んだ。

「はい、ぶんはすでにしん様の匂いを嗅ぎつけました。まもなく、所在を突き止めるはずです」

「においを……?」と、なおも八右衛門が続けようとするのをとどめたのは、善右衛門で、琴絵が自信ありげにおとなではなく童たちをことの意味を考えたからである。

「ならば……」と、善右衛門が続けた。

「……真之介どのは、ご無事なのだな」

「はい、そうおもいます」

 琴絵が答えた。宿内の配下はもう二名しか残っておらず、一人は城へ走らせ、一人は文太らを伴って戻ってきたらしい。

「妙案を得た……!」と、このとき声を挙げたのは、井上善右衛門、八杉八右衛門がほぼ同じ。互いに顔を見合わせたが、八右衛門は歳上の善右衛門に先言を譲った。

「れいの仇討ち騒動を利用させてもらえばいいのではないか!」

「あ……いや、それはいま拙者が言わんとしたこと」

 八右衛門が口を挟んだとき、焦燥した顔が飛び込んできた。勢い余って琴絵にぶつかりそうになり、

「ひゃ、と、とんだご無礼をば……」

と、尻餅をつきそうになったのは矢七やしちであった。

「おおっ、矢七、はよう報告せぬか」

 善右衛門がいうと、

「ええ、ええ、ごもっとも」

と、矢七は答え、文太からの伝言を告げた。

「……真さん、木下太左衛門どの、ともにご無事です。無傷で、次なる策を練っておられるとか」

「ほ、それで」と、善右衛門。

「はい、井上の旦那はどのと協力し、仇討ちを敢行すべし、とのこと」

「いやそれは、いましがた、わしらが述べたこと」

「ええと、でございますね。おふたりは、それぞれ小野寺次郎右衛門、源吾さんの助太刀として闘い、おふたりがですね、おふたりを斬るべし、とのこと……」

「ん……? まったくわからぬぞ」

 八右衛門がいい、善右衛門がうなづいた。矢七は事細かく解説した。

 ……この仇討ちをとおして、敵を一掃するのである。さらに、小野寺と源吾の二人を斬り殺されたことにして、かれらの第二の人生の出発点にしようというのが、真之介と企図きとした概略である。

「……つきましては、まずどのには外で準備を整えていただきたく……」

「まだ雨がやまぬぞ」

「夜半には雪に変わりそうだと女将さんもおっしゃってました。仇討ちのまねごとは、積もった雪のなかになりそうなんで、鮮血代わりの獣の血なども必要。賊を逃さぬよう、西側だけをのぞき、囲みをつくるべし……と」

「さようか……では山際の小屋に待機させておる配下にも伝えておかねばの」

 急ぎ出ていった八杉八右衛門の背をみて、矢七はふぅと安堵の息を洩らした。

 それを見咎みとがめたのは琴絵であった。

「矢七どの……物言わぬあの文太が、そのような細かい指示を伝えたとは、とうてい思われませぬが……」

「うっ……いや、それは……」

「さあ、真実を吐露してくださいませ」

「ぶ、文太は喋ることができるようになったのですよ」

「そ、それは……」

「おヨネ婆……なる者が、文太の喉を圧迫していた木の実を取り除いた……とか、あっしには意味がよくわからんのですがね」

 矢七がことばに詰まった。

 けれど琴絵は瞬時にすべてを理解した。御筆組の幼年者には、一様に喉奥に石なり木の実を詰め込み、数年間は喋ることを禁じているのである。これも修行の一環であった。残酷なようだが、こうして感情や動揺を表に出さない、ことばを安易に弄ばないことを幼年期から自らまなび取るのだ。

「……それを解いた者も、まだ忍びの者」

 琴絵はそのことを悟った。そんな恐るべき相手と真之介がともに居るということはどういうことなのか。それが琴絵にもわからない。

「おヨネ婆……というのだそうですぜ。の旦那とは、なにやら因縁深き者だそうでして……」

「ですから八杉様を宿の外へ出したのですね」

「さようです。こちらで、仇討ちを演じている間に、真さんはそのおヨネ婆と、木下太左衛門様とご一緒に、川を渡り、幕領代官に会いに行くのだそうです」

「お祖父様も……」

「長谷代官は旗本。木下様がお殿さまの代理として乗り込むのだと……」

「………」

 琴絵は即答ができないでいた。善右衛門も口をさしはさもうとはしなかった。

「そ、それに、代官の娘をかたるあのという女は、柳生忍群を率いる者だそうでして、わっしにはもうなにがなにやらわからんのですがね」

 矢七がいうとまわりに湿った吐息の名残りだけがちた。

 雨音もゆるくなってきた……。

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