第6-2話 天狐さんは慰めたい。

 三十八度の熱はその日のうちに下がった。

 でも、その頃には五教科中三教科のテストが終わっていた。


 「……おはよう、化狩さん。今日は随分と遅い登校ね」


 テスト二日目。

 校門前で私を待っていた天狐さん。


 これじゃあ、登校時間を遅らせた意味がない。


「あはは、実は今日学校に行くかどうかでママと言い合いになっちゃって。うちのママってば、心配性でさ」

「……身体はもう大丈夫?」

「うん、大丈夫だよ。心配かけてごめんね!」


 他にもっと言うべきことはあるはずなのに、天狐さんは一番に私の心配をしてくれる。

 嬉しいけど、今はその優しさがすごく苦しくて、天狐さんを直視できない。


 私、今ちゃんと笑えてるかな。


 ***


 テストは最悪だった。


 テスト中はずっと頭が真っ白。

 問題は暗号文にしか見えなくて、何を問われているのかも分からなかった。


「天狐さん、これ!勉強見てくれてありがとう!」


 テスト終わりの教室、私は用意していた特上油揚げを天狐さんに手渡す。

 花柄の紙袋を突然手渡されて、ちょっとビックリしていた天狐さんだけど、中を見た途端に目をキラキラさせる。


「ありがとう。確かに受け取ったわ。ねえ、よければこの後――」

「それじゃあ、店の手伝いがあるから今日は帰るね!」


 すごく無理矢理な感じで会話を終わらせる私。

 ひどい奴だなって、自分でも思う。


「化狩さん、待って!」

「……」


 天狐さんの呼び止めを無視して、私は教室から飛び出す。


 天狐さんはきっと私を追ってくる。

 だから、私は下校する他の生徒に紛れて、天狐さんの前から姿を消した。


 ***


 しばらくして、屋上に足音が響き渡る。

 その足音はゆっくりと私の方に近付いてくる。


「……さっき、家の手伝いがあるって言っていなかった?」


 屋上の陰で蹲る私を見下ろしながら、そう問いかけてくる天狐さん。


「私が帰ってないって、何で分かったの?」

「下駄箱にまだ靴があったわ」

「私の下駄箱を見たの!?天狐さんのエッチ!」

「……」


 天狐さんは小さく溜息をつくと、私の隣に腰を下ろす。

 たったそれだけのことなのに、胸が絞めつけられて、息が詰まる。


「今日はまだ早いし、休憩しなくても帰れるよね?」


 今はちょうど正午を過ぎた頃。

 変身を維持するために休憩が必要な時間じゃない。


「……私、今すごく一人になりたい気分なんだ。だから、今日は帰ってくれない?」

「それで、またいつもの化狩さんに戻ってくれる?」

「……何を言ってるの?私はいつも通り絶好調だよ!」


 私は天狐さんにニパッと笑顔を作ってみせる。

 その時、今日初めて見た天狐さんの顔を見た。


 ――あはは、ダメじゃん……全然笑えてないや……。


 天狐さんの瞳に映る私は、今にも泣き崩れてしまいそうな表情を浮かべていた。

 胸の奥で、ポキンと心の折れる音が鳴る。


「天狐さん、ごめん。本当にごめん……」


 胸の奥から込み上げるものが視界をグニャリと歪ませる。


「私ね、本当はこのテストで天狐さんに恩返しがしたかったんだ……」

「恩返し?何の?」

「このテスト週間で、天狐さんにしてもらったことへの恩返し。天狐さん、私のためにずっと頑張ってくれてたから」

「……それは私がそういう性分だからよ。恩を感じる必要なんてないわ」

「でも、私にはそれが嬉しかったんだ。だから、テストでうんといい点数を取って、天狐さんの頑張りに応えたかった……」


 ――そう思ってたのに……。


「私ってば、最後の最後に欲張っちゃった……一点でもいい点数取りたくて、夜更かししちゃった……本当、馬鹿だよね。それでテスト受けられなかったら、意味ないのに……」

「……」

「ごめんね、天狐さん。迷惑かけて、勉強の邪魔までして、本当にごめん……」


 大粒の涙を流して、泣きじゃくる私。

 そんな私を前に、天狐さんは口を開いたり閉じたりを繰り返す。


 ――また天狐さんを困らせてる……私って、本当に最低……。


 重たい心がさらに重たさを増す。

 すると突然、何かがスルリと私の腕の中に入り込んでくる。


「……化狩さん」


 それは狐の姿に戻った天狐さんだった。


「この一週間、あなたは十分頑張ったわ。それだけで、今回はいいじゃない」

「そんな優しいこと言わないで。私は天狐さんの頑張りを無駄にしたんだよ。優しくされる資格なんてないんだよ」

「……分からず屋」

「天狐さん!?いきなり何して!?」


 突然、私の胸に身体を預ける天狐さん。

 雲のようなモフモフと人肌よりも少し高い体温が、胸いっぱいに広がる。


「……化狩さんの頑張りを一番近くで見ていたのは私よ。なのに、私の言葉が信じられないの?」

「そんなことないよ。でも……」

「でもじゃない!化狩さんは頑張ったのよ!だから、あなたは頭を空っぽにして、ご褒美を受け取ればいいの!」

 

 強い口調でそう言いながら、頭を私の頬に擦り付けてくる天狐さん。

 言葉と行動がちぐはぐだけど、そんな不器用で優しいところに胸をギュッと締め付けられる。


「……ありがとう、天狐さん」


 私は天狐さんを思いっきり抱きしめる。

 ついに叶った天狐さんの全身モフモフは今まで抱きしめたどんなものよりも気持ちよかった。

 

 ――ああ、ヤバい……幸せすぎて死ねる……。


 もちろん本当に死ぬってことはないけど。

 でも、本当にこのまま死んでも悔いはないくらい幸せ。

 

 そうして、私は天狐さんのモフモフの幸せに包まれていく。

 そして、頭の中が幸せでいっぱいになった時、とある言葉がふと頭を過る。


「……天狐さんをうちの子にできたらな」


 幸せで正常に動いていなかった私の頭は、ついその言葉を声に出してしまう。


「は、はあ!?」


 私の言葉を聞いて、全身の毛をブワンと逆立てる天狐さん。


「……友達を飼おうなんて。化狩さん、あなたいい趣味してるわね?」


 今までの優しい感じから一転して、天狐さんは鬼の形相で睨みつけてくる。

 

「冗談、冗談だよ!天狐さんのモフモフが幸せすぎて、変なこと考えちゃった、あはは!」

「……まったく、あなたって人は」


 大きな溜息をついて、呆れる天狐さん。


「あと、そこはペットじゃなくて、……でしょ……」

「え?何か言った?」

「……何も言ってないわよ!」


 天狐さんは収まりかけた毛をまた逆立てて、ぷんぷん怒り出す。


「天狐さん、何で怒ってるの?」

「……あなたのせいに決まっているでしょう」

「あの、そこのところをもう少し詳しく……」

「……教えない。自分で考えなさい」


 プイッと背を向けて、尻尾で私の顔をぺしぺしと叩いてくる天狐さん。


「えへへ、何これ最高じゃん……」

「どうしてそこで喜ぶのよ。まったく、もう……!」


 自分から尻尾ぺしぺしをされにいこうとする私にムッとした表情を浮かべる天狐さん。

 細くしなやかな身体を器用に使って、スルリと私から離れていく。


「……もう十分元気になったでしょう。だから、もう終わり」

「そんなぁ~!?もうちょっとモフモフさせてよ~!」

「……嫌。私が終わりと言ったら、終わりよ」


 日向の方に歩いていく天狐さん。

 ポンッと人の姿に変身すると、チラリと私に視線を向ける。


「……化狩さん。さっき、あなたは私に恩返しがしたかったって言っていたわよね?」

「そうだけど。突然どうしたの……?」


 天狐さんは返事をしてくれない。

 無言のまま、じーっと私を見つめ続けるだけ。


 少しだけ、天狐さんが天狐さんにじゃないみたいに見えた。


「化狩さん。私、化狩さんと――」

「う、うみゃああ……」


 天狐さんが何かを言いかけたその時、塔屋の上からあくびのような声が響く。


「Oh、慧!Whats Happen?こんなところで、どうしたんですか?」


 流暢な英語混じりの言葉と共に、塔屋の天井からヒョイッと降りてきたのは、金色の毛並みを持つ狐だった。


 ――しゃべる狐!?天狐さんと同じ半妖さん!?


「なっ……!?」


 謎の金狐を目にした途端、見たことないくらい大きく顔を引きつらせる天狐さん。

 様子から察するに、どうやら知り合いらしい。


「あなた、どうしてここに……っ!?」

「疲れたので休憩してました!屋上でお昼寝、最高でした!」

「お昼寝って……あなた、仕事中でしょう?」

「No problem!問題ありません。今はお昼休みです!」


 金狐はポフンと人間の姿に変身する。


 煙の中から現れたのは、制服を着た少女……ではなく、大人の女性だった。

 それも金髪ロングに赤縁の眼鏡、スーツをピシッと着こなすその姿には、とても見覚えがあって……。


「ええ!?み、宮川先生!?」


 金狐の正体はなんと、私たちのクラスの英語教師だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る