神奈川編:第5話
第五話
自転車のサイドバッグに食料や水、救急用品を詰め替えると、あたしは静かにペダルを踏み出した。
目指すのは国道二四六号線――神奈川県から静岡方面へと抜ける幹線道路だ。
走り出しても街は相変わらずの有様だった。瓦礫と焼け跡、崩れかけた建物が並ぶだけの荒廃した光景がどこまでも続き、人の気配など一片も感じられない。時折、建物の隙間や倒壊したブロックの影からスライムが顔を出すが、すべて無視だ。倒してもゲームみたいに経験値やアイテムが出るわけじゃない。危険を冒すだけ損というものっす。
道すがらの建物を漁っていると、市役所で見かけたあの“肉塊の芋虫”を何度か見かけた。試しに遠くから石を投げつけてみたら、全身から無数の針が突き出し、近くのものを容赦なく貫いた。コンクリートの壁すら穴だらけにする威力で、間近でくらったら即死確定っすね。幸い、あいつもスライム同様に動きは鈍重で、こちらから近づかなければ追ってくる様子もない。建物の陰に隠れてやり過ごすのが一番安全だ。問題は、屋内でバッタリ出会ったとき。あの針に刺される未来だけはごめんっす。
そうしてあたしは物資を探しながら箱根町方面へと南下していった。二四六号線をそのまま辿れば、いずれ沼津市へ出られるはず。そこから海沿いを走れば、静岡市に入れるだろう。
ペダルをこぎながら、ふと記憶がよみがえる。そういえば、この道の途中には自衛隊の駐屯地の表示があったはずだ。もし無事なら物資や情報が手に入るかもしれない。廃墟とスライムだらけの世界で、人の痕跡を探せる場所は限られている。
「……寄れたらいいんすけどね」
独りごちつつ、あたしはハンドルを握りしめ、荒れ果てた街道を進んでいった。
国道を走っていると、ふと視界に緑色の看板が飛び込んできた。
大型のホームセンター――看板は色あせているが、まだ文字は読み取れる。
「……寄ってみるっすかね」
自転車のサイドバッグのおかげで荷物に余裕がある。せっかくだし、ここでも何か物資が拾えれば旅がぐっと楽になるはずだ。
自転車を入り口近くに停め、ライトを左手、鉄パイプを右手に構え、真っ暗な店内へ足を踏み入れる。折り畳みシャベルは両手が塞がるから今回はお休み。
中は思った以上に荒れていて、商品棚が倒れ込んで奥まで見通せない。入り口周辺の商品はほとんどなくなっていて、使えそうなものは見当たらなかった。残されたポップを読む限り、防災用品の特設コーナーがこの辺りにあったようだが……もちろん根こそぎ持ち去られている。
さらに奥へ進むと、夏物のコーナーが現れた。お盆向けの商品や扇風機の家電コーナーが続き――そして目に入る。
「……おぉ、良いのがあるじゃないっすか」
そこはアウトドア用品のコーナーだった。
花火や水鉄砲といった子供向けの夏休みグッズから、キャンプ用のテントや寝袋、BBQ道具まで揃っている。意外にもこの辺りは手付かずで、疎らにではあるが商品が残っていた。
一人用の小型テントを見つけた瞬間、あたしの目は輝いた。折り畳めば自転車のサイドバッグに収まりそうだ。これがあれば野宿も少しはマシになる。
さらに寝袋、携帯コンロ用のガスボンベなども発見し、次々とリュックに詰めていく。
そして奥の園芸コーナーに足を踏み入れると――
「……へぇ、こんなのもあるんすね」
鳥避け用のスリングショットが目に留まった。
これなら遠くに石を飛ばしてスライムや芋虫を誘導できるし、うまく狙えばスライムくらいなら倒せるかもしれない。危険を避けるための選択肢が増えるのは大きい。
「これもありがたくいただいていくっす」
思わぬ収穫に胸を躍らせながら、あたしはさらに店の奥を探索していった。
店内を一通り回り、回収できそうな物資はすべてリュックに詰め込んだ。
テントに寝袋、ガスボンベ、スリングショット……もう十分だ。あとは撤収するだけ。
そう考えて入口方面に向かう。
だが、店に入ってからずっと気になっていたことがあった。
――スライムがいない。
これまで探索した建物なら、どんなに狭い空間でも一匹や二匹は潜んでいた。
しかし、この広大なホームセンターで一度も遭遇していないのだ。
「……この雰囲気、どっかで……」
思わず小さく呟く。
そうだ。目が覚めた病院の五階。あそこも妙に静かで、不気味だった。
その瞬間、耳の奥をくすぐるような音が響いた。
鉄を擦り合わせるような、細い刃がこすれ合うような音。
「……何か、いる?」
ライトで周囲を照らす。けれど、商品棚の影にも、床にも、天井にも異常は見当たらない。
気のせいだろうか。そう思いかけた時、再びあの音が響いた。
気のせいではない。確かに何かが動いている。
全身の毛穴が総立ちになる。
視線を巡らせていると、壁と商品棚の隙間に、一瞬だけ黒い影が滑り込むのが見えた。
長く、うねるような――触角。
「……っ!」
思わず息を呑む。
あんな巨大な触角がある生き物なんて、この世界にいて良いはずがない。
あたしは入口の方へ後ずさりしながら、ライトを触角が見えた隙間に向け続ける。
あと数メートルで出口に届く――そう思った、その瞬間だった。
ドンッ、と鈍い衝撃音。
目の前で商品棚が弾け飛ぶように倒れ込み、埃が舞い上がる。
そこから姿を現したのは、何メートルにも及ぶ巨大なムカデだった。
無数の脚が床を這い、装甲のような外殻がライトの光を鈍く反射する。
ぎらりと動く顎が鳴るたび、鉄を削るような音が耳を突き刺した。
「……マジっすか」
喉が凍り付く。
スライムや芋虫とは比べものにならない。
圧倒的な存在感が、そこにあった。
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