第5話 酒場の弁護士


 リディアは、昼過ぎに街に出かけることにした。彼女は家令に声をかけた。

「お父様に言われた通り、来月のパーティーのためのドレスを仕立てに行こうと思って」

「仕立て屋を呼びましょうか?」

「いいえ。気分転換に街を歩きたいの」


 伯爵令嬢が1人で街歩きなど許されない。お目付け役として侍女のジェーンが付き添って、馬車に乗って街に出ることになった。

 商業地区の中でも衣類を扱う店が集まる地区で、リディアとジェーンは馬車を降りた。馬車を御者に任せて、2人は歩き出した。


「お嬢様?そちらに仕立て屋はありませんよ」

 すたすた歩くリディアにジェーンが声をかける。リディアの向かう方角には大衆的な飲食店や酒場が並んでいる。本日の彼女の目的地は、実は仕立て屋ではなく酒場であった。


「ちょっと喉が渇いて」

「いけません。淑女がこのような店に入っては」


 リディアが入ろうとしたのは、酒場パブだ。兄に教えてもらった行きつけの店である。変な店ではないことは兄から聞いているが、女性2人で入るのは勇気がいる。

 リディアは窓から店内を覗き込む。まだ明るいうちから酒盛りをしている者は少なく、食事をしている者が多い。料理屋と酒場の中間のような店だ。満席ではないがなかなか繁盛している。多様な階層の客がいるが、全員が男性である。


 中に入ろうとするリディアとそれを引き留めるジェーンが店の前でもみ合っていると、背後から声がかけられた。


「失礼ですが、グレイ家の方ではありませんか?」


 声の方を見ると、若い男性だった。20代くらいだろうか。仕立ての良い灰色のスーツを着こなした端正な顔立ちの金髪の男性。リディアは彼の顔に見覚えがあった。


「あ……弁護士の?」

「はい。お久しぶりです。弁護士のオスカー・モリスです」


 アーネストとの婚約破棄の協議でモリス家側の弁護士であった男性だ。それ以前にもモリス家のタウンハウスですれ違ったことが何度かあった。たしかモリス家の遠縁でもあると紹介されたことをリディアは思いだした。


「こちらの店にご用事が?」

 オスカーに問われ、リディアは頷いた。

「はい。ビールを飲んでみたくて」

「ビールを」


 令嬢が酒場にビールを飲みに行きたがるのは珍しいのであろう。オスカーは目を丸くした。少し恥ずかしくなったリディアは、本当のことを言った。


「本当はビールを飲みたいのではなくて、ビールの入れ物を見たいのです」

「入れ物。ビアマグを?」

「はい。でも女2人で入るのが怖くなって」


 オスカーは少し考えてから、

「何か事情がありそうだ。僕がご一緒しましょうか?」

と言った。

「ぜひ!」

 そうリディアが即答すると、ジェーンが悲鳴を上げた。

「いけません、お嬢様!」


「ちゃんと責任を持ってお送りしますから」

 イケメン弁護士にそう約束され、ジェーンはしぶしぶ頷いて、3人は酒場に入った。


*****


 店内は思っていたよりも明るく清潔であった。先客たちは入ってきたリディアたちをちらっと横目で見たが、すぐに興味をなくして自分の酒や食事や会話に意識を戻した。初めての酒場に緊張していたリディアは、安堵のため息を吐いた。


 4人がけの席についたオスカーは、

「エールを3つ。あと適当なつまみをいくつか」

と給仕に注文した。

 しばらくして、エールがやってきた。エールビールは、陶器のビアマグに入っていた。大きなビアマグにはなみなみとエールが満たされ、非力なリディアは片手で持つことができなかった。


「乾杯」

 片手でビアマグを持ち上げたオスカーがそう言って、口を付けた。リディアは右手で輪っかの持ち手を掴み、左手で本体を支えてビアマグを持ち上げ、「乾杯」と言って一口飲んだ。ジェーンもしぶしぶ自分のエールを飲んだ。


「あ、美味しい」

 淡い色のエールは良く冷えており、街を歩き廻って疲れた体に染み渡った。アルコールの度数も低めで、お酒に強くないリディアもこれなら飲めそうだ。


 エールを楽しんでいると、おつまみのスコッチエッグが運ばれてきた。揚げたての香ばしい匂いをさせており、エールに合いそうだ。


 スコッチエッグは、茹で卵を挽肉のタネで包んでパン粉をまぶして揚げた料理だ。リディアは、スコッチエッグにナイフを入れ、半分に切った。外は揚げたてのカリカリ、中はとろりとした手応えがナイフから伝わる。ナイフを外すと、切り口から湯気と共に半熟の卵の黄身がとろりと溶け出た。リディアは冷めるのが待てず、熱々の一切れをフォークに刺して頬張った。


「あ……熱ッ」

 口の中を火傷しそうな熱さに、リディアは慌ててエールを飲んで冷やした。オスカーは、彼女の淑女らしからぬ振舞いを見ないふりしてくれたが、肩が小刻みに震えていた。リディアが睨むと、

「失礼。あまりに可愛らしかったもので」

と言って笑った。


「それで、念願のビアマグの感想はいかがですか?」

 そうオスカーに問われ、リディアはビアマグを両手で持って眺めた。


「そうね。思っていたより大きくて重いわ。陶器かしら」

「この店のものは陶器ですね。金属製のものもありますよ」

「もう少し小さければ私も片手で持てるのに」

「あまり小さいと何度もお代わりしなければならず面倒ですよ」

「そうね……でも、この形は良いわ。このような取っ手が1個付いた茶碗ティーカップ、絶対売れるわ!」

 リディアがそう言うと、オスカーは困惑した顔になった。


「茶碗……ですか?」

「ええ。今の紅茶のお茶碗って飲み辛くない?今度領地の窯で取っ手の付いた茶碗を作ってもらおうと計画しているの。兄にビアマグの話を聞いて、どんなものか直に見たかったのよ」

「……これ、私が聞いてしまっても良い話なんですか…?」

「え?」

「領地経営にかかわる話を聞いてしまったのですが……」

「あら……でも、まだ計画の段階で……」

「計画でもなんでも、部外者にはお話にならない方が良いかと……」


 オスカーにそう言われ、リディアは自分の迂闊さを恥じた。

 黙り込んだリディアに、オスカーが語りかけた。


「……特許は調査なさいましたか?」

「特許?いいえ」

「もしご令嬢の考えている茶碗の特許が既に取られている場合、同じものを作って商売しようと思ったら、その特許を持っている方にお金を払わなければならないかもしれません」


 なんてことでしょう!とリディアは驚嘆した。彼女は単にわずらわしい作法のいらない茶碗が欲しいだけなのに、話がどんどん大きく複雑になって行く。


「ご令嬢、私を雇いませんか?とりあえず特許の調査だけならたいしたお金はかかりません。類似の特許がまだなかった場合は特許取得に移るという方向で。そうすれば私は依頼人の利益を守るため、今のお話を秘密にできます」

「ぜひ!弁護士の方ってそんな調査もなさるんですね」

「私の専門は知財ではないのですが、もちろんできますよ」

「まあ、ご専門は何ですの?」


 リディアがそう問うと、オスカーは気まずそうな顔で

「……相続や婚約や離婚や…………破談」

と言った。


 そう言えば、この弁護士とは婚約破棄の話し合いの場にもいたのだった、とリディアは苦い記憶を思い出した。


 正式な契約は後日、父親であるグレイ伯爵同席のもと結ぶことにし、リディアたちはエールとおつまみを楽しんだ。この酒場は料理が美味しいことで有名な店であり、スコッチエッグの他にも白身魚とジャガイモのフライやキドニーパイがテーブルに運ばれてきて、どれも絶品だった。


「まあ、衣にビールを加えるんですか」

 最初は酒場に入ることを渋っていた侍女のジェーンも白身魚のフライをいたく気に入り、マスターに作り方を質問するほどであった。なんだかんだ結局、彼女が一番酒場を楽しんだ。


 夕方前に帰宅したリディアは、弁護士に特許の調査を依頼することを父親に告げた。

 仕立て屋にドレスを注文に行ったはずの娘がほろ酔いで帰宅し、仕立て屋ではなく弁護士に仕事を依頼してきたことを聞いたグレイ伯爵は、どうしてこうなった、と頭を抱えた。


*****


 初回はオスカーがグレイ家のタウンハウスを訪問してグレイ伯爵同席のもと特許調査の契約を交わしたが、以降の面会は、リディアがオスカーの弁護士事務所を訪問して調査の報告を受けた。なお、調査費用は、リディアの持つ慰謝料の一部が充てられることになった。


「茶葉を布の小袋に入れた物、ですか」

「はい。こちらが見本になります」


 リディアは、弁護士事務所でオスカーに茶葉の入った絹の小袋を見せた。オスカーの事務所は王都の商業地区にあり、先日出会った酒場の近くであった。


「これを茶碗に入れまして、お湯を注ぎます」

 小袋を空の茶碗に入れたリディアが合図すると、侍女のジェーンが事務所の台所からお湯の入った薬缶ケトルを運び、茶碗にお湯を注いだ。小袋からじわりと杏色のが滲み出す。


「このように、急須ポットいらずで簡単に紅茶を入れられる小袋です」

「なるほど。この小袋を入れたまま飲むのですか?」

「いいえ、入れっぱなしにしては渋みが出てしまうので、すぐに取り出します」


 そう言ってリディアはスプーンで小袋を取り出そうとしたが、つるつる滑ってうまく取り出せない。最終的にジェーンが取ってくれたが、その頃には紅茶は色も味も出きってすっかり冷めていた。


「これは、紐かなんかを付けて取り出しやすくする工夫が必要ですね」

「検討します」


 リディアは、先日酒場で話し合った通り、オスカーに取っ手付き茶碗の技術調査を依頼した。その際、オスカーから

「他にも紅茶関連のアイデアがあれば、一緒にお安く調査しますよ」

と言われ、リディアは紅茶関連のアイデアをいくつも出した。


 このような茶葉の小袋の他にも、取り外し式の茶漉しが付いた茶碗や、冷やして飲むアイスティー、粉砕して粉末になった茶葉をお湯に入れて飲むインスタント紅茶、柑橘類の香りを移したフレーバーティーなどなど……。


 次から次に湧いてくるアイデアに、ジェーンは、

(お嬢様は、お茶会でぼんやりしていることが多かったけど、こんなこと考えていたのね)

と呆れた。リディアが常日頃から感じていた紅茶に対する不満が暴走し、アイデアが大爆発を起こしていた。


 調査の結果、取っ手付き茶碗と小袋ティーバッグには類似の特許や出願が確認できなかったため、この2つの特許を取得することになった。特許を出願するにあたってまた新たにお金がかかるのだが、そこから先はグレイ家の領地経営に関わってくるため、家の事業として父親が支払ってくれることになった。特許の権利は発明者のリディアにあるので、これは願ってもない申し出であった。


「はあ、特許ってこんなに面倒でお金がかかるんですね。特許って申請したらすぐにお金ががっぽがっぽ入ってくるものだと思っていました」


 取っ手付き茶碗の図面を引きながらリディアがぼやく。以前作成した落書きのような図面がオスカーに駄目出しされたのだ。これだけ苦労して申請しても拒絶されることが多いと聞いて、彼女は絶望した。


「………」

 そんな彼女を見て、オスカーは無言で微笑む。まだ付き合いは浅いが、この表情の彼は、何か言いたいことを我慢していることをリディアは知っている。


「何ですの?言いたいことがあるならはっきり仰って」

「いえ、依頼人のリディア様に言えるようなことでは」

「構わないわ」

「そうですか?では一言」


 そう言うとオスカーは咳払いし、

「特許なめんな」

と言った。

 まったくもって彼の言う通りなので、リディアは反論しなかった。

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