第10話
翌日の昼休み。誠は教室を出て、廊下で藤井彩香を探していた。沙良へのプレゼント選びについて相談しようと決めたものの、いざ行動に移すとなると妙に緊張してしまう。
最近、藤井さんとあまり話していないな、と誠は思った。沙良との交際が始まってから、自然と彼女と接する時間が減っていた。以前は部活後や放課後に何気なく話すことも多かったが、今ではその機会もほとんどない。それが少し寂しく感じられる自分に気づき、誠は小さくため息をついた。
だが、今はそんなことを言っている場合じゃない。沙良の誕生日プレゼントを決めなければ。自分にそう言い聞かせながら廊下を歩いていると、音楽室へ向かう彩香の後ろ姿が目に入った。誠は軽く息を吐いてから声をかけた。
「藤井さん! ちょっといい?」 振り返った彩香は、不思議そうな顔で誠を見上げた。
「どうしたの?」 その声にはいつもの控えめなトーンが混じっている。
「実は、澤村さんのことなんだけど……誕生日プレゼントで悩んでて。藤井さんなら何かいいアイデア持ってるかなと思って」
少し恥ずかしそうに言う誠に、彩香は一瞬驚いたようだったが、すぐに微笑んだ。
「私でよければ、相談に乗るよ」
その言葉に誠は安堵したような表情を浮かべた。
「本当? 助かる!」
「澤村さんってどんなものが好きなのかな? 俺、全然分からなくて……」
彩香は少し考えるような仕草を見せた後、
「沙良ちゃん、シンプルなものが好きだよね。あんまり派手じゃないけど、ちょっと可愛い感じの」
「なるほど……でも、それでも何を選べばいいか分からないんだよな」
そう呟きながら視線を落とす誠。その様子を見ていた彩香が口を開きかけたが、すぐに言葉を飲み込む。その仕草に気づいた誠は意を決して口を開いた。
「えっとさ……もしよかったら、一緒に選びに行ってくれない?」
その言葉に、彩香の肩が微かに揺れた。一瞬目を丸くし、それから何かを言いかけては、きゅっと唇を結ぶ。その視線は誠と、誰もいない廊下の先を不安げに行き来していた。
「お願い、藤井さんしか頼れる人がいないんだ」
誠の切実な声に、彩香は顔を上げた。彼の瞳に浮かぶ純粋な困惑を見て、断るという選択肢が消えていくのを感じた。
「……うん、わかった」
自分に言い聞かせるようにそう呟くと、彩香は小さく頷いた。
「ありがとう! 藤井さんなら絶対頼りになると思ってたんだ!」
誠は、まるで救世主に会ったかのように力強く言った。その無邪気なまでの信頼に、彩香は少しだけ照れくさそうに微笑んだ。その笑顔にはどこかぎこちなさも混じっていたが、誠はそれに気づく余裕すらなかった。彩香は、「じゃあ、また後でね」と静かな声で言い残し、その場を去った。誠には、その背中がいつもより少しだけ小さく見えた。
次の土曜日。待ち合わせ場所には少し緊張した面持ちの誠と、はにかむような笑顔を浮かべた彩香が立っていた。夏の日差しが強く、アスファルトから立ち上る熱気が二人の間に揺れているようだった。
「じゃあ、とりあえず雑貨屋さんとか見てみる?」
彩香が提案すると、誠は頷いた。
二人は並んで歩き始めた。街中には夏休みを楽しむ人々の賑やかな声が響いている。親子連れやカップルが笑顔で行き交う中、誠は少しぎこちない足取りで彩香の隣を歩きながら、ちらりと横顔を盗み見た(こうして藤井さんと一緒に歩くのも久しぶりだな……)。
雑貨屋に入ると、店内には木製の棚が並び、その上にはカラフルな小物やアクセサリーが所狭しと並べられていた。どこか温かみのある雰囲気が漂い、ほんのりと漂うアロマキャンドルの香りが心を落ち着かせる。彩香は時折商品を手に取り、「これどうかな?」と提案してくれる。その度に誠は真剣な表情で考え込むが、どうもしっくりこない。
「うーん……悪くないけど……」
誠は曖昧な返事をしながら視線を落とした。沙良の大人っぽい雰囲気を思い浮かべると、どうしても彩香の提案するものがしっくりこない。それもそのはずだった。彩香自身の趣味はどちらかというと少女趣味で、彼女が選ぶものはどれも可愛らしくて華やかだ。フリルやリボンがついたデザインや、小花柄など、一目で「可愛い」と思えるものばかり。しかし、それでは沙良には少し違う気がしてしまう。
(沙良は、もっとクールで、洗練されてる。……はずだ)
誠は、彩香が手にしているレースのハンカチから目を逸らした。でも、俺もこういう、不必要にひらひらしたデザイン、嫌いじゃないんだよな、と心の中で思った。
「バイオリン用の松脂とかも実用的だけど……それだとちょっと味気ないかな」
「そうだね。こういう小物とかもいいんじゃないかな?」
今度は小さな花柄の手鏡を手に取った彩香。それもまた可愛らしいデザインだった。
「いや、それは俺には似合わないな。」
冗談めかして返すと、彩香はクスッと笑った。その反応に誠も少しだけ笑みを浮かべた。
「ありがとう。でも……もう少しだけ見て回っていいかな?」
誠は申し訳なさそうに言った。その言葉に彩香は一瞬だけ困ったような表情を浮かべたが、「もちろん」と静かに頷いた。その仕草にはどこか遠慮にも似た気配も感じられた。
いくつかの店を回った後、誠はアクセサリーショップのショーケースでふと足を止めた。そこにはシンプルなデザインのネックレスが並んでいた。細いチェーンだけで構成されたそのデザインは、派手さこそないものの、その洗練された雰囲気が沙良に似合いそうだと感じさせた。
これなら沙良にも似合う気がする。誠はショーケース越しにじっと見つめながらそう思った。そして隣の彩香を振り返り、「これが良いと思うんだけど……どうかな?」とたずねた。彩香もショーケース越しにそのネックレスを見つめ、小さく頷いた。
「うん……すごくいいと思うよ」
その言葉に背中を押され、誠は店員に声をかけた。
「すみません、これください」
「かしこまりました。こちら、ネックレスの長さを調節する金具の先に、お好きな飾りを一つお付けできるのですが、いかがなさいますか?」
店員がトレーに並べた、米粒ほどの小さなチャームをいくつか見せる。星やハート、イニシャル。その中に、可愛らしい小花のチャームがあった。
どうしようか。誠の視線が、トレーの上を迷いながら滑る。星やハートは、少し子供っぽい気がする。イニシャルは、なんだか気恥ずかしい。ふと、さっきまで見て回っていた雑貨屋の、可愛らしい小物たちが頭をよぎった。沙良はクールだけど、こういう小さいワンポイントなら、逆に可愛いかもしれない。 「……じゃあ、この花のでお願いします」
決意を込めた声には、自分で選び抜いたという満足感も滲んでいた。その姿を見て、彩香も小さく微笑んだ。
プレゼントを購入した後、二人は駅へ向かって歩いていた。誠は紙袋を大事そうに抱えながら、「本当にありがとう! 藤井さんのおかげで決められたよ」と何度も感謝の言葉を口にした。
「私はそんな大したことしてないよ」
少し遠慮がちにそう答える彩香だったが、その声にはどこか穏やかな温かさが感じられた。ふと紙袋を見るたびに、誠の胸には期待感と達成感が広がり自然と頬が緩む。駅前で別れる際、誠はもう一度深々と頭を下げた。
「本当にありがとう! 澤村さんも絶対喜ぶと思う」
その言葉を最後に、誠は紙袋を抱えて足早に歩き出した。その背中には達成感と期待感が漂っているようだった。
一人、その場に残された彩香は、嬉しそうに去っていく誠の背中が見えなくなるまで、じっと見送っていた。無意識に、指が白くなるほど強く握りしめていたバッグのストラップを、そっと緩める。親友と、その恋人のために何かできた。その事実に、張り詰めていた心がふっと軽くなる。けれど、一人になった途端、胸にぽっかりと穴が空いたような感覚がした。彩香はそれを振り払うように、早足で駅の改札へと向かった。
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