第11話 朝の教室で③
早朝のまだ誰も登校していない教室で一人でそんなことを考えていると、昨夜起こったことの何もかもが夢だったように思えてくる。
佐橋咲。サバシサキ。彼女はいったい何者だったのだろうか。あれは本当に現実の出来事だったのだろうか。実は俺は真夜中の裏山などには行っておらず、ただ夢を見ていただけ。謎の後輩に会ったことも、録音の音声を聞かされたこともすべて夢の産物。全部俺の妄想。そう思ってしまいたかった。のだが——、
「この記録自体は夢じゃないんだよな……」
机に放り出したスマホ。画面に表示されたファイル名。ここには、あの音声データと画像データが保存されている。
俺自身の声と写真のデータ。覚えのない会話。いつのまにか倒れていた姿。俺の記憶にない記録——。
いっそのことファイルごと削除してしまおうと何度思ったかわからない。
でも、できなかった。
すべてが偽造という可能性もなくはない。写真は合成。録音に関しても俺の声をもとにしてそれらしい音声をつくり出してしゃべらせることは技術的には不可能ではないだろう。だが、仮にそうだとして何のために? そんなことをあの後輩がわざわざ一人でやったというのだろうか?
わからない。
考えれば考えるほどに思考が隘路に迷い込むような感覚に陥る。
これは精神衛生上よくない。
やはり、こんな不気味なデータは早く消してしまったほうがいいのでは——、
何度目かの逡巡の末に、俺が机上のスマホに手を伸ばしかけたそのとき。
「おお? 転校生じゃん、今日は随分と早いな」
声がしたので顔を上げると、同級生の男子がちょうど教室に入ってきたところだった。背の高い男子だ。名前は——
短期間での家族の死や引っ越しの連続で余裕がなかったというのもあるし、俺とかかわることであの呪いが伝播してしまうのではないかという危惧もあった。だから、クラスのグループに割って入ることも、誰かの誘いに乗って新たに人間関係を構築することもしなかった。いまの俺にクラスメイトの友人はいなかった。
現状の俺と閼伽野谷の関係を一言で表すなら、同じクラスにいるだけの他人。たまたまクラスが同じで、たまたま席が近いだけの他人だ。友人とも知り合いとも言えない。そういう認識だ。そのはずなのだが、
「いやー、今日は俺が一番乗りだと思ったんだけどなあ。先を越されちまったなあ」
閼伽野谷は親しげに笑いかけながら近づいて来ると、俺の隣の席にどかっと腰を下ろした。そういえばこいつ、隣の席なんだったっけ……。
「なあ。漆野って、いつもギリギリに登校してきて、放課後もさっさと帰ってるよな? なのに、今朝はどうしたんだ?」
いけない。このままでは会話が続いてしまう。俺の内心としてはとてもじゃないが普通に世間話をしているような精神状態ではなかった——のだが、当然、閼伽野谷はそんな事情は知らないわけで、むしろここで黙って無視するほうが不自然に思われてしまうだろう。だからと言って、会話を長引かせて下手に勘ぐられるのも面倒だ。せめて、なるべく手短かに済ませなければ。
「あー……、その、たまたまいつもより早く目が覚めただけだよ」
俺はそれだけ返答してやり過ごそうとした。しかし、閼伽野谷はすでに隣に着席しており、この後も会話を求められる公算が大だ。ここは一旦席を立って、授業が始まるまでトイレか校舎裏にでも隠れていたほうがよいのだろうか……。そう思ったのだが、直後の閼伽野谷の発言を聞いて気が変わった。
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