花天月地【第66話 運命の渦】

七海ポルカ

第1話


 長安ちょうあんの都は晴れていた。


祖鑑そがんの兄貴」


 長安の都を少し遠くに、都の恩恵を受ける界隈に立つ旅籠に寄りつき、男は昼間から酒を煽っていた。


「おう。戻ったか」


「はい……」

「顔色が悪ぃな。そうか。洛陽らくようにも目ぼしい情報無かったか」

「まだ許都きょとの方が司馬仲達しばちゅうたつの情報ありましたぜ。まあどの噂も役に立たねえもんでしたが」

「そうか。いや別にいいんだよ。洛陽の方があいつの実家の河内かだいに近いからな。もしかしたらと思ったが、洛陽に期待は出来ねえってのは予想してた。

 その確認が出来ただけでも長安に集中出来らあ」


「長安では」


「面白ぇ話は聞けた。

 曹丕そうひ……あの曹操の息子がなんでも涼州に遠征軍を送ったんだとか」

「涼州に?」

 やって来た二人の部下が、目を丸くする。


「なんでまたこの時期に」


 彼らの本拠地は呉とはいえ、武器商として徒党を組み大陸全土を行き来して商売をしている男達は、涼州の事情も知っていた。

「これから冬ですぜ」

「分からねえ。思いついたらすぐに命令を飛ばす本当のアホなのか、

 それとも逆に、相当切れ者なのかもな。

 俺らだってこの時期の涼州は商いですら諦める。

 涼州側だってそうだと思うぜ。

 これから冬支度だなんて言ってるこの時期にいきなり長安から侵攻軍が送られてくるなんて予想してねえはずだ」


「しかも曹魏なんてこの間赤壁せきへき大敗したばっかじゃないっすか。

 よく曹操が遠征なんて許しましたね」


 祖鑑そがんはゆったりと椅子にもたれかかりながら頬杖をついた。


「だからの中じゃすでに権力移行は無事に進んでるんだろうな。

 曹操の勢力が強ければ、まだ王位も引き継いでない息子にこの時期涼州遠征の軍は出せねえよ。

 出したとなると、曹丕そうひが相当順調に権力を引き継いだんだろう。

 司馬懿しばいが右腕として腕を振るい、曹操の重鎮達も曹丕を支持してるってことだ。

 曹操の権力が強い時は曹丕と司馬懿は遠ざけられてたからな」


司馬仲達しばちゅうたつは長安ですかい?」


「いや。どうやらこの涼州遠征を率いてるらしい。

 まだ噂だが。どうりで街で噂を聞かねえわけだ。あの野郎の容姿なんざ、街をうろついてたら一発で町人が喋るはずなのにな」


「侵攻軍の顔ぶれはどういう感じなんですかね」


「探らせてはいるが、まだ詳しいことは分からん。しかし司馬仲達が率いてるなら物見遊山の面子じゃねえだろうよ」


 祖鑑そがんは頬杖を付いた。


「……【干将莫耶かんしょうばくや】もどうやら少しだけ、遅かったか」


 全く北に来てから思い通りの情報は得られていないが、やはりここまで来ると呉にいただけでは聞けない様々な噂が入って来る。

 祖鑑はそれなりに楽しかった。

 豪奢な旅籠の見慣れぬ天井を見上げる。


 一度見たことのある、宝剣を朧気に思い出した。


 美しい雌雄の孔雀の装飾、二十八宿にじゅうはっしゅくの凝った意匠。

 

 祖鑑が前に見かけた時は、彼が「三国一の馬鹿」と呼ぶ袁術えんじゅつがこの剣を手にしていて、剣が美しくて立派な分、持ち主の器量の無さが際立ってて、あれじゃ【干将莫耶】も大層な迷惑だぜと思ったのをよく覚えている。


 果たして今、あの剣は誰の傍らを飾っているのか。


 真偽はともかく存外、そのことをあれやこれやと想像するのは楽しかった。


 わいわいと賑やかしく、やって来る。

「祖鑑さまぁ~っ お仕事まだ終わんないの~?」

「もう江東こうとうに帰りましょうよ~っ」

 色とりどりの着物をそれぞれに際どく着崩しつつ纏いながら、十人ほどの女たちが下りてくる。

「だから俺はまだ帰らねえって言ってんだろ……お前らだけ帰ればいいじゃねえか。船は出してやるから」


「あー! そんなこと言って長安の女とイチャつくつもりでしょ!」

長安ちょうあんで酒池肉林の宴でも催す気⁉ 祖鑑そがん様! そんな董卓とうたくみたいなことしないでよ!」

「誰が酒池肉林の董卓だ。俺の今回の目的は武器だよ武器!」

「武器ぃ~っ?」

「帰ろうよーっ 祖鑑さまぁ」

「晴れても降ってても寒いのよこの国~! 馬っ鹿じゃないの! なにこの気温!」

「あたしやっぱり北の街と男は肌に合わないわ!」


「寒いのはこの地の問題じゃ無くて冬にそんな肩とか足とか尻とか胸の谷間とかおめーらが丸出しにしてっからだろ。服着りゃいいじゃねーか。裸みたいな格好でこれから冬に向かう北に来て寒い寒いっておめーら馬鹿だろ」


江東こうとうはこれでも平気だったもん!」

「なに言ってんのよ。服なんか着たらあたしのこの素晴らしい曲線美が隠れちゃうでしょ!」

「帰りましょうよ祖鑑さま~~っ!」

「船用意してやるから二、三日待て」

「祖鑑様は帰らないのー?」

「こんな美女たちを一人で江東に返す気⁉ どーすんのよ! あたしたちが川賊に襲われちゃったら! ちゃんと館まで送ってよ!」


「襲うか! おめーらみたいな大盗賊集団みてぇな女の軍団を!」


「なによぉ!」

「これでも長安でも許都きょとでも街に入ると男共が釘付けだし声かけられまくってるのよ!」


「おう、それだよそれ。お前ら街に送り込んでるのは兵士崩れみてぇな奴とか城に出入りしてる男とかから情報得るためだぞ。なんかねーのかよ」


「知らないわよシバイとかいう女のことなんて!」

司馬懿しばいは女じゃねえって何万回言ったら分かる」

長安ちょうあんロクな男がいないわよ。かん王朝とか偉そうにしてても全然大したことない!」


「料理はなかなか良かったかな」

「えーっ? そーお? あたし酒も飯も江東の方がずっと美味しかったわよ」


「いい加減シバイなんて女は忘れなさいよ!」

「シバイもだけどナントカバクヤとかいう女も忘れなさいよ! そんなどこにいるかも分かんないような女より私たちの方が何十倍も夢見心地にさせてあげるわよ!」


「長安の酒味気なかったわよね」

「あら。あのあっさりした感じがあたしは好きよ」

「あんな酒飲んでるようじゃ、長安の男なんかねやでも淡泊でたかが知れてるわね絶対」

「でもさー 長安の城には強い男がうじゃうじゃいるんでしょ?」


「曹操も今は長安にいるって祖鑑そがん様言ってた!」

「曹操は女道楽で山ほど子供もいるって聞いたことある」

「きっと色んな閨の技知ってるわよ♡」

「一度でいいからどんなもんか楽しんでみたいわぁ」

「女道楽で側室もいっぱいいるらしいわよ」

「じゃ、祖鑑様と一緒ね♡」

「みんなで乗り込んで曹操の女の趣味を見てやりましょうよ。絶対あんな風に偉ぶってる奴ほど正妻大したことないブスよ」


曹操そうそうなんてもう六十近いジジイじゃないの。何言ってんのよみんな」

「でも【乱世の奸雄かんゆう】なんて言われてる男よ。絶対タダ者じゃ無いはずよ!」


「曹操はともかく息子の方よ。息子の曹丕の嫁はなんでも本当に絶世の美女とか言われてるらしいわ。長安でも聞いたもん」

「前は長安にも頻繁に来てたらしいわ」

「でも曹操とそいつ仲悪いんでしょ?」

「だから~嫁だけ来てたのよ」

「あら。旦那と旦那の父親に二股掛けるなんてやるわねそいつ」

「きゃ~っ やだぁ♡」

「じゃあ江東帰る前にいっぺんその絶世の美女とかいう女見てやろうじゃ無いのよ」

「大体そんなこと言っても大したことないに決まってる」


「曹丕は長安じゃ無くて許都にいるから嫁もそっちよ」

「なによ。あたしたちが来たから臆して逃げたわね」


「曹操軍は強い男他にもたくさんいるわよ。

 だって黄巾こうきんの乱から勝ち残ってきた連中なんでしょ? 街なんかちんけな男しかいないわよ。城よ城! 乗り込みましょうよ!」

「あんたどいつにする?」

「あたし聞いたことある! 曹操の側近の夏侯惇かこうとん将軍は、隻眼の偉丈夫だって!」

「きゃーっ♡ 興味あるう~っ」



「……全然役に立たねえなこいつら……」



 さすがに祖鑑そがんは自分の情婦たちの空っぽさに半眼になっている。

「なによー。祖鑑さまあたし達に賢さなんてちっとも求めてないくせに」

「まあ求めてねえけど。実際お前らが本当に城に潜り込めて曹操そうそうだの、夏侯惇だの、司馬懿しばいだのと寝てこれるようなタマなら頭撫でてやんだけどな」

「ほんとー?」

「まあ無理な話だ。諦めな」


「何が無理な話なのよ祖鑑さま! あたしたちは江東こうとうの女の中じゃ身体は一級品よ!」

「城の門番でも誑し込みゃ、すぐに城になんか入れるわよ。ねっ! みんな!」


 おーっ! と女たちは十人くらいで元気いい歓声を上げた。


「そうと決まればこんなナリじゃさすがに城に入れないわ! 城下で豪華な服や装飾買いましょ!」

祖鑑そがんさまお金ちょーだい!」

「ここ来る時に壺いっぱいの金やったじゃねーか」

「あんなもんとっくに使い切ったわよ!」

「山賊みてぇに金使う連中だなおまえら……」

 祖鑑は呆れ返った。

「おかねーっ!」

「ああ分かった分かった。三彌さんやに言って金もらって行ってこい」

「きゃーっ♡ だから祖鑑さま好き!」

「まったく女に甘い男ねえ♡」


 女たちはきゃっきゃと言いながら出て行った。


「……いいんですかい? 兄貴……あんまり街中で目立つと、あいつらしょっ引かれたり斬られる可能性も……」

 心配そうに立っていた側近が声を掛けるが、祖鑑の表情を見て気付く。

「なるほど。それが狙いですかい」

「しょっ引かれるのはおもしれえな。警邏に潜り込んで、あいつらなら俺に得られねえ情報を得てくるかも知れねえし。

 まあ斬られることに関しては、そんな可愛い奴らじゃねえよ……」


 くっく、と笑っている。


「あいつらのことだ。手ぶらで戻って来たりはしねえさ。

 丁度いい。白露はくろ、俺らもそろそろ城の内部に探り入れろ。それから西も探れ。

 涼州遠征が本当なら、近隣の村の連中が魏軍を必ず見てるはずだ」


「【干将莫耶かんしょうばくや】にはもう飽きたんで?」


「――いや。今も夢中だ」


 祖鑑そがんの返事を聞くと部下はニッ、と笑い部屋をすぐに出て行った。


 陸伯言りくはくげんの容貌は非凡なので、軍隊の中にいると目立つ。

 涼州遠征に司馬懿が向かったなら、陸遜りくそんは側にいる可能性がある。

 そうなると涼州遠征軍を見かけた人間の中に、陸伯言や【干将莫耶】の一度見たら忘れられない意匠いしょうを、見てる人間がいるかもしれない。

 街中ではそういう話すら聞かなかったから、やはり城に囚われているか、余程司馬懿しばいの側に置かれているのだと思う。


 もし途上で確かな情報があれば、このまま祖鑑は商いがてら涼州に行くのも辞さない気分だった。


(面白いものが見れそうだからな)



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