第四章 カスミとハルカ

第16話 おねーさんの隣に立つひと

「この人、香澄。今日から1ヶ月だけなんだけど、仕事の都合で102号室貸すことになったの」


 はるかがそう紹介すると、玄関先に立つ人物にしずくは目を丸くした。

 無理もない。


 髪は赤とピンクがまだらに混じったベリーショート。光を受けてきらりと色味が揺れ、視線を奪う。首元から覗く小さなタトゥーは、まるでアクセサリーのように存在感がある。笑えば舌ピアスがきらりと光る。

 キャミソールにゆるく羽織ったジャケット、厚底サンダルをコツコツと鳴らす立ち姿。街の喧騒に混ざればそのまま雑誌の一ページになりそうな派手さと堂々さを纏っていた。


 一方その隣に立つ自分は、黒髪を後ろに束ね、無地の白Tシャツにデニムという至極シンプルな服装。香澄と対照的な自分の姿に思わずはるかは小さく苦笑した。


「香澄です。よろしく〜」


 軽やかに言って豪快に笑う声は、場の空気を一瞬でかき回す力があった。

 香澄はひょいと手を上げると、そのまま自然な流れで、はるかの腰へと両腕を回した。寄り添い、肩に顎を乗せる動作も、まるで長年の習慣のように当たり前で。

 その距離感は、遠慮の欠片もない。「ここが自分の定位置」と告げているように見えた。


「中学からの同級生。部活で一緒だったんだ。香澄が部長で、私が副部長」

「香澄、この子はしずくちゃん。高校生で、お隣さん」

「まじ?JKなんだ!かわいい〜」


 香澄はにかっと笑い、しずくを覗き込む。

 その視線に射抜かれたしずくは、思わず背筋をぴんと伸ばした。


「……よろしくおねがいします」


 しずくの返事は小さくて、声がかすれていた。

 はるかの目には、その顔がどこかこわばって見えた。

 慣れない大人の空気。香澄の破天荒な雰囲気に呑まれているのだろう。


「あ、今日ハルの部屋で飲むんだけど、しずくちゃんも来なよ〜」

「この子未成年だから飲ませないでね」

「わかってまーす」

「…しずくちゃん、よかったら来て?ご飯も何か用意しとくし」


 はるかは優しく微笑みかける。その穏やかさにしずくは少しだけ肩を緩め、こくりとうなずいた。


***


 その夜。


「んじゃ、再会に、かんぱーい!」

「かんぱーい」

「しずくちゃんは?」

「バイトだから、終わったら寄るかもって」


 グラスをぶつけ合う軽い音が響く。

 香澄のグラスの中では、ビールの泡が白くふわりと立ちのぼる。それが照明に揺れてきらめいた。


「ぷはーっ、やっぱビール最高!」


 豪快に喉を鳴らして飲んでニカッと笑顔になる香澄。その仕草や表情は昔から変わらない。


 一方、はるかの手元にあるのはレモンチューハイを入れたグラス。

 ひと口、喉へ流し込む。炭酸が舌を刺激して、ほのかな甘みが広がった。

 胸の奥にアルコールがすっと沁みていく。


 香澄は喉を鳴らしてグラスを一気に空け、豪快にハアと息をついた。

 グラスをテーブルに置く仕草も大きい。グラスの音がガチャンと跳ねる。


「香澄、また奇抜な髪型にしたね。一発で分かった」

「緑の刈り上げ飽きちゃってさ〜。赤の方が似合ってるっしょ?」

「……うん、似合ってる。ユキも、似合うって言いそう」

「はは、あいつは呆れるかもね」


 香澄は一瞬、口元を緩めてグラスを揺らした。

 その笑みに混じる影は、はるかの胸の奥を少しだけ掠める。


「ハルは学生の時からずーっとその髪型だよね〜」

「なんか冒険するの怖くて」


「昔と変わらないね」

 自然に口をついて出るやりとりは、学生時代とまったく同じ調子だった。


 グラスの泡が少しずつ溶けていく。その間、近況報告や笑い話が絶え間なく続いた。

 仕事の愚痴、身近で起こった面白い話、共通の知人の近況。

 香澄はオーバーな身振り手振りで話し、はるかはときどきツッコミを入れる。

 そのやりとりに、二人して声を上げて笑う。


 時間は、あっという間に過ぎていった。


 けれど、笑い声の余韻がふっと途切れたとき。

 香澄は新しく開けた缶ビールをグラスに注ぎながら、ぽつりとつぶやいた。


「……この日に飲むの、もう三年目だね」

「……うん」

「まだ、行ってんの?」

「うん」


「すごいね。まだ"約束"、守ってるんだ」

「……まあね」


「ハルって、そういうの一番ハマらないタイプだったじゃん」

「……ふふ、そうだね」


 はるかが苦笑すると、香澄も短く笑ってグビっとグラスの中のビールを飲み干した。


 その笑みの奥で、一瞬だけ沈んだ色がちらりと覗いた。

 はるかは、それを見なかったふりをした。

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