第17話 JULY


 七月、夏本番。試験を終えて晴々と帰る一団を、教室の窓から見おろす湯村は、小さくため息を吐いた。試験のでき、、はいまいちで、採点後の返却まで気分は上がらない。科目によっては追試を考えていると、水島が肩へポンッと手を乗せてきた。



「そんな暗い顔すんなよ。せっかくいい天気だし、午後の時間を有意義につかおうぜ」


「……暑すぎて、屋外そとで遊ぶ気にはなれないよ。水島は、もう帰るの?」


「ああ。家の用事があるからな」



 テストが終わった直後でも、祖母の在宅介護は日課なのだろう。湯村は「そっか」と手をふり、廊下へ星野を持たせていることも、気づかないふりをした。


 

 ……ねぇねぇ、水島くんと星野さんって、つきあってると思わない? やっぱり? 少しまえから、なんかあやしいと思ってたンだぁ。いいな~、あたしも彼氏ほしい~。ねぇ、夏休みどうする? みんなで海とか行く? キャンプとかバーベキューもいいよね。



 女子学生の声が湯村の耳にはいる。じぶんとの関係をうたがわれたときにくらべ、だいぶマシな話題につき、聞き流した。トートバッグを手にして廊下にでると、大学の敷地内に建つ図書館へ向かった。鷹尾が書いた設計図について、調べるためだ。なにより、しずかで涼しい場所は、なにかとさわがしい構内で、いちばんおちつく場所だった。


 大学の夏休みは一カ月半から二カ月と長く、そのあいだの図書館は、自習や研究レポート、休み明けの大学院試験に向けての勉強など、学生が利用できるよう開放されている。天井までとどく巨大書架を横目に、まずは資料検索機をつかい、設計図にかかわる情報を集めた。図面とは、グラフィカルな言語手段であることがわかった。鷹尾は「解き明かしてみろ」という。たしかに、専門的な知識がなくても、調べていくうちに正解をみちびきだすことはできそうだ。思わず、宝の地図を手にした子どものように、未知の領域にわくわくしてしまった湯村は、ハッとして、われにかえった。



「ぼく、愉しんでる?(すっかり、あのひとのペースに巻きこまれているなぁ)」



 鷹尾はキレ者につき、湯村では、とうてい太刀打ちできない。図面の謎を解き明かしたとき、どんな正解が待っているのか、それだけは気になるところだ。



「なにか、重要なメッセージがかくされているのかもしれないし……」



 相手の思惑を見抜くより、図面を調べたほうが得策である。湯村は、夏休み中も図書館へ足を運ぶことにした。



 思ったとおり、定期試験の結果は散々で、補講を受けることになった湯村は、早朝のバス停で、クロスケの頭をなでた。


「おまえはいいな。いつものんびりしててさ」


 小分けパックのキャットフードをあたえ、到着したバスに乗りこむと、待合室のベンチで丸くなるクロスケを見つめた。飼い主のあらわれない迷い猫だが、地域の人々に見まもられている。交通量が多くなる日中はどこかへ姿を消すため、怪我をする心配は少ない。走りだしたバスにゆられ、湯村はまぶたをとじた。



 次は◯◯大学総合体育館まえ~

 次は◯◯大学総合体育館まえ~


 プシューッ、ガタンッ

 ピロリンッ、ブロローッ



 ざわざわと葉音をたてる木立ちのかげに、人影は見あたらない。待ちぶせを警戒して視線が泳ぐ湯村は、トートバッグのなかで携帯電話の着信音が鳴りひびくと、ドキッと心臓が短くはねた。


「もしもし」


『おはよう、湯村。今、どこにいる? 家か?』


 通話の相手は水島である。「大学についたところだよ」とこたえると、水島は数秒ほど沈黙したあと、『補講だもんな。悪い』と前置きして、『これからメールするから読んでくれ。返事は急がなくていいからさ』という。


「うん、わかった」


 わざわざ電話をかけておきながら保留にするとは、どんな用件だろうか。メールを受信すると、歩きながら画面を確認した。


「これ、鷹尾さんだ」


 水島からのメールには、画像が添付されていた。まっすぐレンズを見て笑う鷹尾は、現在より少し若々しい表情をしている。筒型ホルダーの図面ケースを肩がけにしているため、入学式がすんで、幾日か経過した写真だと思われた。構内のどこかで撮影したらしく、背景にはほかの学生もうつりこんでいた。画像では見切れていたが、鷹尾の左手は、となりの人物の肩に添えられている。水島の情報によると、鷹尾と同期の女子学生が、センター試験で史上最高点をたたきだした男の写真は、なにかご利益がありそうだといって、撮影した一枚らしい。われわれの先輩となる女子学生は、偶然、星野の知りあいだった。


 水島が星野と知りあいを経由して入手した画像を、ごみ箱送りにしては罪悪感がある。不本意だとしても、鷹尾の写真をアルバムに追加して保存する湯村は、無意識にため息をいた。



「こんな写真に、なんのご利益があるのさ。あのひとより、ぼくが知りたいのは……」



 学部も名前もわからない。誰にもうちあけていない恋心は、いまもなお、しずかに湯村の胸を熱くがしている。オープンキャンパスの出逢いから、再会を果たせずにいる男は、湯村の心をとらえることに成功しておきながら、いっこうに正体をあらわさない。日増しに募る思いをよそに、鷹尾の存在にふりまわされる湯村は、ふたたび深いため息を吐いた。



「ぼくが逢いたいひとは、どこにいるの。どこをさがせば、見つけられるの……」



 湯村は、切ない気持ちを空へ吐きだすと、気のすすまない教室へ向かった。



✦つづく

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