第18話 夏休み


 無事に補講が終わると、いよいよ長い夏休みがはじまった。水島は二輪バイクの運転免許を取得するため、教習所の合宿へ申し込み済みである。鷹尾の写真については、湯村の体質を承知したうえで、じぶんとは真逆の男につき、好みのタイプではないかと思いちがいをしたらしい。


「ぼくの理想は、もう少し筋肉質なひとだよ」


「それって、おれのこと?」


「ばか。ちがうから」


 湯村は受け身だが、そばにいてたよりになる水島になびかない理由は、体格にかぎったことではない。水島とは、良好な人間関係を築けている。互いを信頼できる友人の存在は、当人たちが思うよりずっと切実で、湯村にとっては、より貴重な経験だった。


「なにかあれば連絡をよこせよ。次に逢ったとき、湯村が痩せこけていないか、心配だからな。しっかり食べて、夏バテしないように」


「だいじょうぶだよ。水島って、案外、心配症だな(世話焼き上手と云いかけてやめた。おばあちゃんに失礼だと思った)」


「じゃあ、またな」


「うん、またね。水島も気をつけて」


 自転車のペダルに足をかけると、バス停にたたずむ湯村に手をあげて走りだす。水島の背なかを見送って、しばらくするとスクールバスが到着した。


 大学では、高校までのときのように、終業式を執りおこない一斉に夏休みがスタートするわけではなく、前期試験や授業が終わった学生から順に全休となる。むろん、始業式もなく、後期の日程にはいって最初の授業へ参加した時点で、夏休みは終了するといったシステムだ。学年や選択した講義によっては、夏休み期間中に実習をおこなう場合もあり、一週間ほど集中して大学へ通う学生もいた。



 夏休み初日、気ままに自宅で過ごした湯村は、翌朝からいつものスクールバスに乗りこんで、大学の図書館へ向かった。スクールバスには運休日があるため、あらかじめ時刻表を確認しておく。



 次は◯◯大学総合体育館まえ~

 次は◯◯大学総合体育館まえ~


 プシューッ、ガタンッ

 ピロリンッ、ブロローッ 



 長袖のカーディガンをはおる湯村は、強い日ざしに目を細めると、図書館が開く時間まで、木立ちのかげで足をのばしてすわっていた。トートバッグから図面を取りだしてじっくりながめていると、アッというまに一時間が経過した。開館時刻となり、さっそく図書館へ足を運ぶと、すでに学生の姿があった。


「さてと、がんばって調べよう」


 鷹尾のよけいな意見にしたがい、サークル活動への体験入部を先送りにした湯村は、建築関連の資料を何冊か選び、壁ぎわの席についた。


 鷹尾は、建築科の四年生である。周囲の噂によると留年しているため、実年齢は不明だ。以前、本人をさがしまわり、問いつめたことがある。しかし、今はもう、真相をたしかめようと思わなかった。個人情報は、好奇心や興味本位でさぐるものではないし、知ったところで、返すことばを失くすかもしれない。謎めいた鷹尾のふるまいは、いつも湯村の心をゆさぶった。



「……設計図っても、どれも同じに見えるなぁ」



 空間認識能力というものがある。三次元空間における物体の形状や状態、間隔や位置といった関係を、正確に把握する能力である。平面に記載された図形などを立体的にイメージするさいにも、こういった能力は必要だ。紙に書かれた図形を頭のなかで視覚化し、立体物として理解する。湯村はトートバッグから筆記用具を取りだすと、設計図と同じようにノートへ書いてみた。定規や消しゴムを何度もつかい、ようやく書き写したとき、ぐぅっと、腹の虫が鳴いた。


 荷物をまとめ、いったん図書館をでると、食堂までゆっくり歩いた。夏休みまえの学生も多く、テーブルはあちこち埋まっている。ミニサラダ付きのオムライスと炭酸水を注文した湯村は、トレイの端を両手で持ちながら空席をさがした。通路側の席で、からあげ定食をほおばる男子学生がいた。ふと、夜宮で水島とシェアすることができなかった件を思いだした湯村は、次は、からあげ定食を注文しようときめた。


 ようやく見つけた席につき、スプーンでオムライスを口へ運んでいると、にわかに廊下がさわがしくなり、食堂にまで声がひびいてきた。



 なあ、知ってるか? 建築科の鷹尾春馬が、後期から復学するって話。ああ、それな。女子から聞いたことがあるぜ。なんでも、校長室にはいって行くところを見たとかなんとか。……大学側に呼びだされたンじゃなくて? べつに、問題児だったわけじゃないだろ。まあな、変な噂は聞かないし。それに、先輩たちいわく、かなり美形らしいぞ。マジかよ。頭がよくてイケメンなんて、ずるいだろ~。密かにファンクラブもあるとか。はははっ、そいつはすげぇや! 



 湯村は、スプーンを持つ手をやすめ、炭酸水をのんだ。すると、なぜかうまくのどを流れていかず、ゴホゴホと咳込んだ。本人の姿は見あたらないのに、鷹尾の名前が耳へはいった瞬間、にわかに動揺してしまう心理状態が情けなかった。

 


✦つづく

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