四月三十日朝 「父と娘と一戸建て付、庭」
周囲にはまだ田畑の残る片田舎の一軒家。
春とはいえこの地方の朝はまだ寒い。
そんな中、鼻歌混じりに庭の植物たちに水を掛ける男がいた。
唄が古いのか、はたまた音痴なのか曲名はわからない。
身につけているのは紺色に白い縦ラインのジャージ、さらに健康サンダル。
親父くさい格好だが、実際に親父なのだからこればかりは仕方がない。
男の名は 藤中 誠一郎(ふじなか せいいちろう)今年で五十歳になる。
これでも一応、刑事を職業としている。
もっともこのあたりは平和な農村部が大半を占める田舎の部署、事件はあってもせいぜい空き巣、引ったくり、万引き程度。
定時に出勤、定時に帰宅。
朝と夕方は庭いじりという刑事とは思えないほど規則正しい生活を送っている。
今朝も自慢のガーデンで花殻を摘み、剪定を終え、最後の仕上げに散水を行っている真っ最中だった。
酒もタバコもやらない誠一郎にとって、唯一の趣味がこのガーデニングだった。
そのためだけにこの家を買ったといっても過言ではない。
家の大きさに対して広すぎるほどの庭、もともと農家だった家を改築しているため過剰なほどの庭が土地の大部分を占めている。
誠一郎に言わせればここは【庭付き一戸建て】ではなく【一戸建て付き庭】ということになるらしい。
誠一郎が散水用のホースを巻き取り終えるのを見計らったかのように、家の扉が開き、誠一郎を呼ぶ声が広い庭に響いた。
「おとうさーん、朝ごはんできたよー」
声の主は開け放たれた縁側から身を乗り出すように私を呼んでいた。
お玉片手にピンクのエプロン。
母親譲りの長い黒髪が風に揺れている。
仕事中は邪魔だといって馬の尻尾のように一つにまとめている。ポニーテールとはよく言ったものだ。
本人はショートがいい、茶髪にしたい、などとのたまうが、こればかりは私の許可なしで行うことは許さないと、常々言い聞かせてある。
日本女性は長い黒髪が似合う。妻も美しい髪をしていた。思わず先立たれた妻を思い出し感慨にふけってしまった。
娘は外に身を乗り出したまま私の返事を待っているようだ。あまり待たせると私の朝食が出てこない危険性がある。あわてて残りのホースを巻き取りにかかる。
本人を目の前にしては言わないが、親のひいきを抜きにしても美人の部類に入るだろう。
やや幼さの残る顔にくっきりとした二重は私に似たのだろうと勝手に考えている。
本人にそんなことを言っても力いっぱい否定されることはわかっているので今まで口に出したことはない。
性格は妻に先立たれてからというもの、家事全般を任せているためか、多少所帯じみてはいるが今の男どもにはそこがまたかわいいと見えて、学生時代から結構もててはいたようだ。
もっともお付き合いをする、とか家に連れてくる、ということは今までには無い。
もしかするとかなり面食いなのかも知れない。
私に隠れて付き合っているとすれば、男親としてそれはそれで少し寂しい。とは言っても、いきなり彼氏を紹介されるのもどう対応していいものか対応に困ってしまう。
娘の将来を思う親心の葛藤と理解していただきたい。
幸か不幸か、今のところそのような様子は見えない。
あわただしい朝のひと時、いつまでも感慨にふけっているほどの時間はなさそうだ。
「わかった、すぐいく」
巻き取ったホースを物置に戻すと、こんな日々があと何年続けられるのか、そんなことを思いながら今日もまたいつもの一日が始まった。
「私だってもう学生じゃないんだから、朝は忙しいのよ」
新聞を読んだまま動こうともしない私の前に、朝ごはんの鮭と味噌汁を並べながら娘、 藤中 琴音 は言った。
中学生のとき他界した母親に代わり、それ以来の家事はすべて琴音がこなしている。
一切家事のできない私にとってこれは非常に助かる。もし琴音が嫁に言ったら私はどうなるのだろう。そんなことを考えるのも、娘の成長と自分が年をとったせいかもしれない。
「私だってもう立派な社会人。いろいろと大変なのよ」
自分も席に着き、「いただきます」とつぶやくとすぐに食事を始める。
私の食事とは異なり、自分の分はトーストと目玉焼きだ。
自分としては「日本人は朝からご飯と味噌汁」と決めているのだが、朝は簡単に食べられるパン食がいいと娘も譲らない。かくして、一緒の朝食に和洋折衷という、一風変わった朝ごはんが登場することとなっている。
作る手間も二倍だろうに、頑固なのは私譲りなのか。娘はおいしそうに焼きたての食パンにかぶりついている。私はそ知らぬふりで朝刊に目を通す。すると、新聞の地方欄に娘の就職した店の情報が載っている。
「おい、お前の店が乗っているぞ」
味噌汁をすすりながらテーブルに広げた新聞の記事のひとつを指差した。琴音は口にくわえたパンをそのままに身を乗り出して記事を読んだ。
「どれどれ・・・。ああ、青バラの発表・販売会のことね。そういえば新聞記者が店長にインタビューしてたっけ」
記事には広告用に作られたと思しき青いバラの写真がカラーで掲載されている。
内容は主に青いバラが誕生するまでの歴史が紹介されているようだ。発表会場として琴音の働く店の紹介がされているのは、記事の最後の部分だけだ。
エルドラドには私も園芸用品の調達によく利用しているが、娘の希望で親だと言うことは秘密である。
そんなに恥ずかしい親父なのかと少し不安になるが、きっとそういう年頃なのだろう、と自分を納得させている。そんな私の思いを気取られないように話を進める。
「青バラ、ブルーローズといえば不可能の意味に取られることもあるそうだが、それを可能にしてしまうとは最近の育種技術はすごいな」
「今話題の遺伝子何とかって言う、方法らしいわよ」
ちょっと考えて、琴音の言葉を訂正する。
「遺伝子組み換え。だろ、アメリカじゃ大豆やトマトなどですでに実用化されてる植物もあるぞ。お前学校で何を勉強してきたんだ?」
娘は一応園芸の専門学校を卒業したはずだが、もともと理系が得意ではなかったからまあ仕方が無いかもしれない。このあたりは母親譲りだ。自慢ではないが私は理科が一番得意だ。
「ん、そうね確かそういっていたわ」琴音は視線を中に泳がせ記憶をたどっている。多くの人がそうやって考え事をするが、彼らにはそこに何か見えているのだろうか。
「だめだなぁ、ほんの何日か前に説明を受けたばかりなのに、もうほとんど忘れちゃってるよ」
かろうじて記憶に残る単語で説明する娘を私は呆れ顔で見つめていた。
娘の話より新聞の方がわかりやすそうだ。再び記事に目を戻し、今度はその苗の値段に驚きの声を上げてしまった。
「何だ、一本十万円だと?!こんなもの誰が買うんだ?」
「あら、結構人気よ。もう毎日問い合わせがいっぱいくるんだから」
あっけらかんと言う娘。電話番はほとんど新人の琴音の仕事と決まっているらしく。一日に何件もの対応でもう慣れっこだと言う。
新聞に載ったとなると、今日はまた一段と忙しくなりそうだ。と、ため息を漏らしている。
「まるでチューリップ狂時代だな」
私は新聞をたたみながら呟く。「え?なにそれ」琴音は私の呟きを聞きとめてたずねる。
「なんだ、そんなことも知らないのか。チューリップ狂時代って言うのはな。1600年代初期、オランダで変わり咲きのチューリップが投機の対象になったんだ。たったひとつの球根が立派なお城と交換されることもあったという。莫大な価格の高騰に、取引の禁止令が出たほどだ。それに比べれば、まだましなのかもしれないな」
私は新聞をたたむと、味噌汁を口に運んだ。
「へぇ、まるでバブルね」
たいして興味もなさそうに相槌を打ってパンをかじる娘。
園芸店の店員ならもう少し植物の歴史にも興味を持てばいいとも思うのだが、口うるさい親は嫌われる。そのあたりはわきまえているつもりだ。
「そうだな、そのバラも何かの火種にならなければいいがな」
私は独り言のように呟いて、朝飯の食器を片付けにはいる。私の話にうなずきながら琴音も自分の食器を流しに運んだ。
時計を見るとそろそろ時間だ。今日は少しおしゃべりが過ぎたようだ。
「私はもう行くぞ。お前もそろそろ行かないとやばいんじゃないか」
琴音もあわてて時計を見て驚く。
「やっばい!」
洗い終わらない食器は水につけるだけにしてあわてて玄関に走る。その途中でかわいいピンクの水玉エプロンを脱ぎ捨てると、娘はそのまま外へと飛び出した。
私はため息をつき、いつものように脱ぎ捨てられたエプロンを拾い、キチンとたたんでから玄関を出た。
あの様子では今日も遅刻だろう。もっと落ち着きのある子に育てるべきだったなぁ。と娘の後姿を見送りながら少しだけ後悔した。
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あとがき
新作、長編ストーリースタートしました!
小説完結済み、約10万字、27章。
本日から毎日投稿予定です。
人生初挑戦の推理小説。楽しんでください。
見失わないようにブックマーク!
☆☆☆と♡で応援もよろしくお願いします!
**過去の作品はこちら!
女子高生〈陰陽師広報〉安倍日月の神鬼狂乱~蝦夷の英雄アテルイと安倍晴明の子孫が挑むのは荒覇吐神?!猫島・多賀城・鹽竈神社、宮城各地で大暴れ、千三百年の時を超えた妖と神の物語
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