第4話 1その4
「返却ボックスの本、棚に戻しておくね」
昼休みのことである。図書委員が司書室兼倉庫の方に行っていてカウンターが空だったためだろう、忙しいらしいと判断した高篠先輩が、扉の向こうに声をかけている。図書室をよく利用している聡介には、お馴染みの光景だ。
「すみません、夏純先輩」
言って、扉の向こうからひょっこりと顔を覗かせた、眼鏡の似合う文学少女然とした女生徒は図書委員の
「いいのよ。気にしないでナナちゃん」
本当に忙しいらしく、ぺこりと頭を下げた柳田先輩はそのまま扉の向こうへと引っ込んでしまう。今朝は小寺先輩がバックナンバーを整理すると言ったきりホームルームギリギリになっても出てこなかったし、よほど溜まっているのだろう。
カウンターの下に鍵が隠してあるだなんて聞いていなかった頃は、てっきり図書委員から鍵を借りているのだと思っていたのだが、それが違うという事を、聡介は今朝になって知った。高篠先輩はカウンターの内側に入ると、しゃがんでごそごそした後、鍵を手にしている。勝手知ったる、といった塩梅だ。
返却ボックスの鍵を開けて、高篠先輩がカウンターの上に本を並べていくのだが、これが存外に多い。誰かがグループでまとめて借りていたものを、一度に返したのだろうか。見れば、高篠先輩は肩をすくめて困ったふうな顔をしながら、それでもカウンターの上に本を陳列するのをやめないでいる。
高篠先輩の様子に気付いている生徒も何人かいるが、気後れしているのか遠巻きに見ているだけで、誰も助けようとしない。小説を読んでいたところではあったのだが、聡介は見兼ねて席を立った。
「手伝いますよ。これ、運びますね」
声をかければ、高篠先輩は目を丸くした。
「稲富君! ありがとう助かるわ。大好きよ」
綺麗な生徒会長の発した「大好き」の言葉に、図書室にいる男子生徒の何人かがぎょっとしたふうに振り向いて、そのうちの何人かが聡介を睨んでいた。気があるなら助ければいいだろうに。
聡介はため息をついた。
「人のいる前でそういう軽口というか、冗談を言うのはやめてください」
無駄に敵を作ってしまうし心臓に悪い。
「ごめんごめん。でも、わたし稲富君のそういう優しいところ、好き……じゃなくって、頼りにしてるんだからね。来年はぜひ図書委員に」
「会長なら、普通は生徒会に誘うところですよね」
「だって、稲富君って本が好きみたいだし。それに、表情がちょっと硬いから、選挙のある生徒会には向いてないんじゃないかしら?」
「まあ、そうですね」
高篠先輩の指摘もごもっともであるが、しかし、面と向かってそれを言われるのは苦手である。選挙で選ばれるのは生徒会長だけなのだが、要するにその選挙戦でもこの部愛想がマイナスだと言われたに等しいわけで。聡介はため息をついて、それから本を運ぶ。
カウンターの上に本を並べ終えた高篠先輩と協力してすべての本を棚に戻し終えた頃には、図書室にいる生徒は聡介と高篠先輩の二人だけになっていた。図書委員の柳田先輩は、あれからずっと司書室兼倉庫に籠っている。
「おつかれ、稲富君。今朝も今も、ありがとうね」
言って、テーブルにかけて本を読み始める高篠先輩。しばらく読み耽っていたかと思えば、ふと、制服のポケットから何やら可愛らしい便箋を取り出す。そうしてそれを眺めては、右手に便箋を持ったまま左手の本に視線を落として、そっと悩まし気にため息をついた。
本に視線を落として伏せられた長い睫毛が、瞳に薄い影を落としている。恋愛小説が好きらしい彼女の、読んでいる小説の世界に浸っているらしいその憂い顔は儚げで、本に添えられた柳の梢のごとき華奢な指が美しい。図書委員が高篠先輩を「図書室の妖精」と呼ぶのは、仕事を手伝ってくれることへの感謝と尊敬ももちろんあるだろうが、他にも、こうして書に耽る彼女の纏う、深窓の令嬢のような冒しがたい清純な雰囲気が、彼らをして「妖精」と言わしめているのだろう。
ふと、図書室に人がいないことが気になって時計を見れば、昼休みが終るまではあと五分とない。だのに、どうやら高篠先輩は気付いていないらしく、そのまま本を読んでいる。生徒会長が授業に遅刻、ではまずいだろう。
「あの、高篠先輩」
聡介が声をかけると、高篠先輩はびくりと驚いたふうに一瞬だけ肩を震わせて、栞代わりに使っていたらしい便箋を本に挟んで閉じると、振り返った。
「どうしたの?」
「もうそろそろ、昼休みも終りです」
「えっ、あ、本当。ありがとう」
慌てた様子で立ち上がった高篠先輩は、カウンターまですたすたと歩いて、先ほどまで読んでいた本に貼られた貸出し用のバーコードを、機械に読み取らせると、返却ボックスを開けて本を返却していた。
おそらく、今日が返却期限だったのだろう。放課後にも図書室は開いているのだが、生徒会が忙しくて来れないのだろうか。思えば、放課後に高篠先輩を図書室で見かけることは、これまでにもほとんど無かった。
司書室兼倉庫の向こうにいる柳田先輩にも声をかけてから、聡介は図書室を後にする。
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