第3話 1その3

 返却ボックスは、カウンターの上に置いてある。貸し出しを延滞している生徒が勝手に入れることができないように普段は施錠してあって、返却の際に、図書委員が鍵を開けるのが習わしだ。図書委員の眼を盗んで、本に貼ってある貸出し用のバーコードを読み取らせるだけしてそのまま勝手に棚に返却しようものなら、パソコンに残された記録とボックスの中身に齟齬が生じるため、不正を働けば即座にバレる仕組みである。

 聡介がボックスを開けようとすると、鍵がかかっていた。


「先輩、鍵がかかってますけど」


 倉庫兼司書室に繋がる扉越しに、小寺先輩に声をかけると、高篠先輩は笑顔になって、「わたしに任せなさい」と、意気揚々と言う。こういう姿は茶目っ気があって可愛らしい。それからカウンターの中に立った高篠先輩は、かがんで何やらごそご

そし始めた。


「カウンターのここにね、ほら、鍵があって」


「こら、夏純。図書委員にしか教えちゃいけない決まりなんだから、いくらあんたのお気に入りの稲富君でも、教えちゃダメでしょう?」


 扉の向こうから、お叱りの声が届く。すると高篠先輩は「来年には図書委員をやってもらう予定だから……」などと抗議していた。いや、俺は図書委員になる気はないですよ。


「そもそも、なんで高篠先輩がそれの場所を知っているんですか?」


 聡介が呆れて言うと、高篠先輩はあっけらかんとした様子で、


「わたし、一年生の初めの頃は、図書委員だったから」


「はあ」


 先程の小寺先輩の口ぶりだと、部外者には決して教える気はないだろうし、今でも高篠先輩が鍵の在処を知っているということはつまり、彼女が図書委員だった頃から今に至るまでの間、鍵の置き場所は変更されていないという事だ。

 して、少し引っかかりを覚える。


「一年の初めの頃、ってどういうことですか?」


 委員会に所属すれば、部活動ではないのだから一年間は変更ができない決まりのはず。


「えっと、友人が事故で休むことになっちゃって、それで急遽代わりに、ね。わたしが生徒会に入ることになっちゃって」


「先輩、生徒会役員だったんですか」


 聡介が驚いて言うと、高篠先輩は首を捻って、


「あれ、言ってなかったかな。わたし、これでも今は生徒会長なんだけど。と言うか、入学式の時に壇上で挨拶したよね」


 言って、少しだけ頬を膨らませて拗ねてみせる高篠先輩。

 はて、そうだっただろうか。随分と細く小柄ながら堂々とした綺麗な女生徒が、鈴を転がしたような美しく通る声で朗々と祝辞を述べていたことは覚えている。立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花、とはこの女生徒のことだと思った覚えもあるが、その時の女生徒と目の前の高篠先輩とを結びつけるのは、今の聡介には少々困難に過ぎる。たしかにこの先輩は綺麗だし姿勢もいいし、責任感も強くて図書委員の仕事を手伝えば手際よく片付けて……、ああ、なるほどたしかに、この側面だけを見れば高篠先輩は生徒会長だ。要するに、壇上での彼女は生徒会長であって、ありのままの高篠夏純ではないのだ。


 聡介にとり高篠先輩は、話しかけて来ては気軽な感じに、ごく当たり前のように仕事を頼んでくる、気さくな上級生なのだが、普通はそんな姿を全校生徒の前では見せないだろう。プライベートではないのだから至極当然のことだ。


「今、ようやく壇上で挨拶をしていた生徒会長と、高篠先輩が同一人物だという事に納得しました。堂々として、お綺麗でしたよ」


「こら、どういう意味よ。まったく」

 冗談めかして言って、ため息をつく。「まあ、ギャップがあるのは分かってはいるんだけど、ね。結泉になんか、生徒会長のあなたを見て惚れた男子にとっては、普段の姿は詐欺も同然だ、なんて言われちゃったし」


 結泉部長のそれは軽口であり冗談だろう。しかし高篠先輩はそれを気にしているらしく嘆いてみせる。そうしてうなだれながらも、返却ボックスを開けては中から本を取り出して、背表紙に貼られたシールを一瞥すると、棚に戻しやすいようてきぱきと分類しつつカウンターの上に並べていく。こうした様子は、やはりどうして如才ない。

 こうして仕事をこなす姿を見ると、なるほどあの時の生徒会長だ、とまたしても聡介は納得させられる。


「詐欺なんかじゃないですよ」

 聡介は言って、カウンターの上から何冊か本を抱える。「先輩、これ棚に戻してきますね」


「あ、お願いね。あと、無理に何冊も抱えなくてもいいからね」


 そう言った先輩が続けて「ありがとう」と小声で呟いたのも聞こえた。それから、もう分類を終えてしまったらしい高篠先輩は、自身も本を何冊か抱えて持って、鼻歌まじりに棚へと歩いていく。


 どうにも高篠先輩は、普段の自分と生徒会長の自分とが抱えるイメージの乖離を悩んでいるらしい。しかし、彼女は知らないのだろうか。図書委員等は皆口々に、彼女のことを「図書室の妖精」などと親しみを持って呼んでいることを。見ている人は彼女のことをしっかりと見ていて、その上で彼女を正しく評価しているのだが。

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