第17話 わたしの人魚


わたしのうちに人魚がきたの。


人魚のうろこはピカピカキラキラで、ラメがいっぱいのシールをかさねたみたい。はだいろはまっしろで、もしかしたらしらゆきひめのふたごなのかも。

おっきな水そうをかってきて、そこに人魚をいれたら、くるくる回りながらおよぐの。きんいろのかみのけがふわっとひろがって、とてもきれいだとおもいました。


わたしは人魚のおせわをがんばったよ。まいあさ早おきして、「おはよう」とあいさつするの。それから水そうのふたをあけてエサをあげます。がっこうにいくまえには「いってきます」といって、かえったら「ただいま」とこえをかけました。

よるになったらちょっとのあいだだけ水をぬいて、水そうをきれいにあらったんだよ。はじめはただゆらゆらおよいでいるだけだった人魚も、だんだんわたしと目をあわせるようになりました。


冬がおわって春になったころ、いつもどおりわたしが「おはよう」といって水そうに手をあてると、人魚はガラスごしに手をかさねてきました。ビックリして人魚のかおをみたら、人魚はやさしくほほえんでいました。


わたしは気持ちがわるくなりました。

なんでかな、わかんないけど。せなかがゾクっとして、おなかからムカムカしたあついものが上がってくるかんじがしました。こんなの、わたしの人魚じゃないとおもったの。


その日からわたしは、人魚になにもいわなくなりました。水そうのふたもあけないし、エサもあげませんでした。

たまにちらっと目にうつったとき、人魚はかなしそうにこっちをみていました。どうでもいいとおもいました。


人魚は少しずつ元気がなくなっていった。水はにごって、水そうのなかは緑色のもやもやがびっしりついていた。人魚のすがたは、あまり見えなくなった。

あるとき学校から帰ったら、人魚は水そうのふたを持ち上げて顔を出していた。ブロンドのかみは茶色によごれて、白いはだには見るからにぬるっとした緑がはりついていた。


人魚はわたしに気がついて、小さな声をあげると、水のなかに引っこんだ。わたしは水そうのふたの上に、去年からつかわなくなった国語辞典をのせた。それだけじゃたりないかもしれないと考えて、次の朝、漢字辞典ものせた。



夢を見た。人魚が私に向かって、なにかを訴えていた。だけど水のなかのその声はくぐもって、私には聞き取れなかった。あるいはガラス越しだったからかもしれない。


人魚は水槽にペタリと合わせた手を、やがてゆっくりと離した。物憂げに私を見つめ、身をひるがえして水の向こうに消えた。


――私たちは、陸と水の生き物。わかりあうなんてできなくて当然だろう。


目が覚めると部屋のすみに追いやった水槽が目に映った。いつかに置いた辞書の重みでプラスチックの蓋がたわんでいる。


なんとなく思いいたって、辞書を床におろた。水槽の蓋を開けて中を覗いたら、水はドロドロに濁っていた。わかめと卵の腐ったような臭いが鼻をつく。人魚の姿はなく、ただ茶色っぽい液体が渦巻いているだけだった。


蓋を閉めようとしたとき、水槽の中できらりと何かが光った。手を突っ込んでみると、ぐじゅりとまとわりつくヘドロのような汚物の真ん中に、冷たく滑らかな感触がした。

それを握りしめ、掴みあげる。


手を開いたそこにあったのは、人魚の鱗。窓から射す朝日を受けて、青と黄色に輝いた。


私は鱗を水槽に戻した。

昼食のあと私は、水槽を、水平線を見下ろす展望台に運んだ。それからお粗末な柵を乗り越えて、崖から海に落とした。


人魚の墓は波にのまれ、二呼吸の間に沈んでいった。

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