第12話 石畳


石畳みというものは、いったいどうして、僕の心をこんなにも震わせるのだろう。


人の波に逆らって自転車を走らせる。すん、と鼻をくすぐるのは石の濡れたような匂い。もうすぐ雨になるのだろう。


心躍るままにペダルを漕ぐ。通行人が目を見開き、小さな悲鳴をあげて道の端に寄る。


ふくらはぎの筋肉が伸縮する。ペダルが上にくれば縮み、下にぐっと漕げば伸びては骨を熱くする。その熱はやがて、腿や肝臓、胃、心臓にまで到達する。

風邪をひいた次の日の、ヴェールをまとった脳のように、僕は今ある種の熱に侵されている。それがなんとも心地よい。


カロンコロンと店のドアを開ければ、いらっしゃいませと声がする。客は、もやのような薄い雲に覆われた水色の空の下から逃れるように店内に入り、扉はまたコロロンと音をたてて閉まっていく。一度閉まってしまうと、まるで秘密の入り口のように店先は静まりかえった。次の勇者が訪れるまで決して開けませんよとでも宣言しているように。


向こう辻のベーカリーはどうだろう。香ばしい匂いを表通りに放ち、そばを通る子どもを誘っている。お願いお願いとねだられた母親は、お父さんには内緒ねと指をたて、我が子と手を繋いで香りの中へ消える。この美しい光景も、雨の気配を漂わせるこの石畳みがあるからだ。


だんだんと灰色がかってきた上空から、ひと巻きの風が舞い降りてきた。それは街路樹を揺らめかせたかと思うと、ひゅるっと標的を変えて僕の大きなテーラーハットを搔っ攫おうとした。慌てて片手をハンドルから離し、帽子を押さえつける。


相も変わらずに脚の筋肉は伸び縮みする。一定のリズムを刻みながら、メトロノームか、もしくは死刑囚が執行日を指折り数えるのと同じように。


僕には行く宛てなんてなかった。ただ、フランスの革命を指揮した女神のように、何かに逆らって突き進まなければならない気がしていた。だから、自由魚のごとくふらりふらりと歩く人々の間を、ジャッジャッとひたすらに自転車を漕いでいた。


きっとこの先に、素晴らしい出会いがあるのだ。僕がこの帽子を脱ぐに値する何かが。


ハンドルを握る手に、雨粒が落ちた。ぽた、と孤独な水滴はつかの間手の甲で踊ったあと、風に吹かれて後ろに飛んでいった。


白レンガの建物が前方に見える。そうだ、あそこにしよう。雨の痕をつける石畳みの上で、僕はさらにスピードをあげた。



僕が見初めて帽子を脱げば、じきにこの世界は石と化す。

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