第39話(月乃視点)……馬鹿みたい、私

 遊園地から帰った私は、汗を流すためにすぐお風呂へ入った。帰宅したらお湯が既にわいてある生活なんて、ここにくるまで知らなかった。

 浴室を出て、髪を乾かした後にLIMEを確認する。昨晩母親へ送ったメッセージには、まだ既読がついていない。


「……後で電話、しよう」


 たぶん待っていても、既読がつく可能性は低い。ついたとしてもきっと、お母さんが返事をくれることはないだろう。


 今日、私はひまの恋人になった。

 それは私が望んで求めたことだけれど、ひまにとってよかったことだ、とは思えない。

 だけど私が恋人になったことが、ひまの幸福に繋がってくれたら嬉しい。


 ひまの幸せを神様にお願いするのはやめるの。

 私が、自分でひまを幸せにしたいから。





 祖母との食事を済ませ、いつもより早めに自室へ移動する。一度深呼吸をしてから、母とのLIMEのトーク画面を開いた。

 やはりまだ既読はついていない。


「……この時間、出るかな」


 お母さんは規則正しい生活をしているわけじゃないから、電話に出てくれやすい時間なんてものは分からない。

 結局そんなことさえも分からないままだった。


 スマホを手に取り、通話ボタンを押す。すぐには出ない。コール音が続いて、一度目の電話はキャンセルになってしまった。


 でもお母さんのことだから、無視してるだけかもしれない。


 何回もしつこく電話をかけていたら、さすがに出てくれる可能性はある。鬱陶しかったから、なんて理由だったとしても、今日は電話に出てもらいたい。


 二度、三度とお母さんに電話をかけ続ける。

 そろそろ十回目を迎えようかというところで、お母さんがついに電話に出た。


『何回も何回もなに?』


 久しぶりの娘にかける第一声とはとても思えなくて、つい笑ってしまいそうになった。

 悲しくなんてない。むしろ、よかったんじゃないかとさえ思う。


 だって今さら寂しそうな声なんて聞かされても、困るから。


「……話があるの。お母さんに」

『話? そんなの、こっちに戻ってきてからでいいでしょ』


 戻ってからだって、どうせ私と話なんてしないくせに。


「……それは無理」

『はあ? もう、とにかく切るから。もう電話は———』

「私、戻らないから」


 母の言葉を遮る。少しだけ間をおいて、は? と母が呟いた。


『月乃、なに言ってるの。学校だってあるのに』


 こんな時だけ学校の話? 私に行ってらっしゃいなんて言ったこともないのに、よくそんなことが言えたものだ。


『もしかしてお母さんがなにか余計なこと言ったわけ?』

「……違うよ。おばあちゃんは関係ない」

『じゃあなによ。子供じゃないんだから、意味わかんない我儘はやめて』


 子供だよ。私、ずっとずっと子供だったじゃない。

 なのにお母さんが私を突き放してただけ。


「私、こっちの生活が楽しいの。おばあちゃんがいて、私のことを大事に思ってくれる人もいて……だから、戻りたくない」


 お母さんに緊張を悟られたくなくて、クッションを抱き締めて声が震えそうになるのを我慢する。

 電話越しに、お母さんが呆れたように笑い出した。


『分かった! 月乃。アンタ男できたんでしょ』

「……違うから」

『絶対そうじゃない。へえ。やっぱりねえ。はは』


 なにがおかしいのか、お母さんはげらげらと笑い出した。下品な笑い声に耳を塞いでしまいたくなる。


『ねえ、月乃。避妊だけは気をつけなよ。アンタも、私みたいになるかもしれないんだから』


 それってどういうこと?

 お母さんは、本当は私を産みたくなかったってこと?

 私が……私がいらなかったってこと?


『いいわよねぇ、アンタはそうやって好き勝手できて。私も、アンタさえいなきゃねぇ……』


 母親が溜息を吐いたタイミングで、和美、と酔っ払った男の声がした。聞いたことがない声だ。新しい母の男だろうか。


『じゃあ、もう切るから。くだんないことで電話かけてこないで』


 ぶつっ、と一方的に電話が切られた。

 いろいろな感情が涙に変わる。抱き締めていたクッションに顔をうずめた。


 帰ってきなさいとも、帰ってこなくていいとも言われなかった。くだらないことだと、取り合ってすらもらえなかった。


「はは……」


 かわいた笑みが口からこぼれた。だってもう、笑うしかない。

 お母さんと向き合うと決めたことも、自分の気持ちをちゃんと伝えようと頑張ったことも、母にとっては全部くだらないことだったのだ。


「……馬鹿みたい、私」


 こんなに涙が出てくるのは、きっと心のどこかで期待していたからだ。お母さんがちゃんと私と向き合って、なにかしらの気持ちを伝えてくれることを。


 これからどうすればいいのかな。このままなにもしなくていいの? 手続きとか、現実的ないろんな問題はどうしたらいいんだろう。

 お母さんは本当にもう、私が二度と電話もかけなくなってもいいんだよね?


 横になって目を閉じる。さっさと今日を終えてしまいたい。

 明日になればまだひまに会えるから。大好きなひまに会って、大好きだと伝え合えるから。


 ひまといたら、ひまがいてくれたら……私、自分が生きててもいいんだって、ちゃんと思えるの。


 唇を噛むと口内に血の味が広がった。そんなことに意味を見出そうとする自分が嫌になる。

 さっさと眠りたいのに、いつまでも母の笑い声が頭から消えてくれなかった。

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