第39話(月乃視点)……馬鹿みたい、私
遊園地から帰った私は、汗を流すためにすぐお風呂へ入った。帰宅したらお湯が既にわいてある生活なんて、ここにくるまで知らなかった。
浴室を出て、髪を乾かした後にLIMEを確認する。昨晩母親へ送ったメッセージには、まだ既読がついていない。
「……後で電話、しよう」
たぶん待っていても、既読がつく可能性は低い。ついたとしてもきっと、お母さんが返事をくれることはないだろう。
今日、私はひまの恋人になった。
それは私が望んで求めたことだけれど、ひまにとってよかったことだ、とは思えない。
だけど私が恋人になったことが、ひまの幸福に繋がってくれたら嬉しい。
ひまの幸せを神様にお願いするのはやめるの。
私が、自分でひまを幸せにしたいから。
◆
祖母との食事を済ませ、いつもより早めに自室へ移動する。一度深呼吸をしてから、母とのLIMEのトーク画面を開いた。
やはりまだ既読はついていない。
「……この時間、出るかな」
お母さんは規則正しい生活をしているわけじゃないから、電話に出てくれやすい時間なんてものは分からない。
結局そんなことさえも分からないままだった。
スマホを手に取り、通話ボタンを押す。すぐには出ない。コール音が続いて、一度目の電話はキャンセルになってしまった。
でもお母さんのことだから、無視してるだけかもしれない。
何回もしつこく電話をかけていたら、さすがに出てくれる可能性はある。鬱陶しかったから、なんて理由だったとしても、今日は電話に出てもらいたい。
二度、三度とお母さんに電話をかけ続ける。
そろそろ十回目を迎えようかというところで、お母さんがついに電話に出た。
『何回も何回もなに?』
久しぶりの娘にかける第一声とはとても思えなくて、つい笑ってしまいそうになった。
悲しくなんてない。むしろ、よかったんじゃないかとさえ思う。
だって今さら寂しそうな声なんて聞かされても、困るから。
「……話があるの。お母さんに」
『話? そんなの、こっちに戻ってきてからでいいでしょ』
戻ってからだって、どうせ私と話なんてしないくせに。
「……それは無理」
『はあ? もう、とにかく切るから。もう電話は———』
「私、戻らないから」
母の言葉を遮る。少しだけ間をおいて、は? と母が呟いた。
『月乃、なに言ってるの。学校だってあるのに』
こんな時だけ学校の話? 私に行ってらっしゃいなんて言ったこともないのに、よくそんなことが言えたものだ。
『もしかしてお母さんがなにか余計なこと言ったわけ?』
「……違うよ。おばあちゃんは関係ない」
『じゃあなによ。子供じゃないんだから、意味わかんない我儘はやめて』
子供だよ。私、ずっとずっと子供だったじゃない。
なのにお母さんが私を突き放してただけ。
「私、こっちの生活が楽しいの。おばあちゃんがいて、私のことを大事に思ってくれる人もいて……だから、戻りたくない」
お母さんに緊張を悟られたくなくて、クッションを抱き締めて声が震えそうになるのを我慢する。
電話越しに、お母さんが呆れたように笑い出した。
『分かった! 月乃。アンタ男できたんでしょ』
「……違うから」
『絶対そうじゃない。へえ。やっぱりねえ。はは』
なにがおかしいのか、お母さんはげらげらと笑い出した。下品な笑い声に耳を塞いでしまいたくなる。
『ねえ、月乃。避妊だけは気をつけなよ。アンタも、私みたいになるかもしれないんだから』
それってどういうこと?
お母さんは、本当は私を産みたくなかったってこと?
私が……私がいらなかったってこと?
『いいわよねぇ、アンタはそうやって好き勝手できて。私も、アンタさえいなきゃねぇ……』
母親が溜息を吐いたタイミングで、和美、と酔っ払った男の声がした。聞いたことがない声だ。新しい母の男だろうか。
『じゃあ、もう切るから。くだんないことで電話かけてこないで』
ぶつっ、と一方的に電話が切られた。
いろいろな感情が涙に変わる。抱き締めていたクッションに顔をうずめた。
帰ってきなさいとも、帰ってこなくていいとも言われなかった。くだらないことだと、取り合ってすらもらえなかった。
「はは……」
かわいた笑みが口からこぼれた。だってもう、笑うしかない。
お母さんと向き合うと決めたことも、自分の気持ちをちゃんと伝えようと頑張ったことも、母にとっては全部くだらないことだったのだ。
「……馬鹿みたい、私」
こんなに涙が出てくるのは、きっと心のどこかで期待していたからだ。お母さんがちゃんと私と向き合って、なにかしらの気持ちを伝えてくれることを。
これからどうすればいいのかな。このままなにもしなくていいの? 手続きとか、現実的ないろんな問題はどうしたらいいんだろう。
お母さんは本当にもう、私が二度と電話もかけなくなってもいいんだよね?
横になって目を閉じる。さっさと今日を終えてしまいたい。
明日になればまだひまに会えるから。大好きなひまに会って、大好きだと伝え合えるから。
ひまといたら、ひまがいてくれたら……私、自分が生きててもいいんだって、ちゃんと思えるの。
唇を噛むと口内に血の味が広がった。そんなことに意味を見出そうとする自分が嫌になる。
さっさと眠りたいのに、いつまでも母の笑い声が頭から消えてくれなかった。
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