第44話 出世の手段

 小龍シャオロンはまだ幼さの残る顔に無邪気な笑みをたたえ、その体躯たいくに似合わぬ大きな袋を軽々と抱え上げていた。隣に立つ佩芳ベイファンはいつもかけている眼鏡を手に取り、袖で汚れをぬぐっている。

「粉を空中へ散布し炎を放り込めば爆発すると、知識としては知っていたものの」

 ぬぐい終えた眼鏡を、佩芳は本来の位置へ戻す。

「威力は大したことありませんし、眼鏡が粉だらけになってしまいました」

「そう言わないでよ、やっただけの意味はあったでしょ?」

 言って小龍は転がっている偽僧侶たちへ向けて、袋を投げつける。その中からドッと小麦粉らしきものがあふれ出た。すかさず佩芳が懐から竹筒のようなものを出す。

(あれは、火折子ライター?)

 佩芳が、香に火をつけた時に使っていたものだ。偽僧侶たちは火折子を目にすると、悲鳴を上げながら頭を抱え込んだ。


「くっ、固いですね、これ」

 また新たな声が別の場所から聞こえて来た。振り返れば、傑倫ジェルンを縛り上げている縄を切ろうとしている星宇シンユーの姿がある。起き上がった傑倫の側には、先ほどまでなかった杯が転がり、傑倫の口元は茶色の液体で汚れていた。

 やがて縄が切れると、傑倫は立ち上がる。腕を動かし、汚れた口元をぐいとぬぐった。

「星宇、助かったぞ。だが、これは酷い味だ」

 言って、傑倫は足元の杯を軽く蹴った。星宇は妖艶な口元に微笑みをたたえる。

「速攻で効く解毒の薬湯です。味にまで気を回している余裕などございませんでした」

「ふん」

 傑倫は、宦官が取り落とした剣を拾い上げた。

「貴様ら、蓮花リェンファ様に対してよくも……!」

 傑倫が鬼の形相で周囲をひと睨みすると、あちこちから息を飲む声が上がった。


「傑倫!」

 私は彼へ駆け寄った。若さを失い、おぼつかなくなった足取りで。

「傑倫、痛むところはないか? 具合はどうじゃ?」

「蓮花様……」

 次の瞬間、私は逞しい腕にしっかりと抱きしめられた。苦しいほどに締め付けられ、口から息が押し出される。

「蓮花様、申し訳ございません。わたしともあろうものが不覚を取り、蓮花様を危険な目に遭わせてしまいました」

「構わぬ。そちが無事であったなら」

「蓮花様……」

 傑倫の胸に添えた自分の手が目に入る。すっかり老いさらばえ、枯れ木のようになった私の手。

「……そちの前では美しくありたかったに、またこんなみすぼらしい姿に戻ってしもうたわ」

「何をおっしゃいます」

 傑倫の大きな手が、私の後頭部を優しく包んだ。

「蓮花様は、もとよりお美しゅうございます。臣の愛した御方でございます」


「ぐ、ぐぅううっ!」

 傑倫の甘い囁きの向こうに、蛙の押しつぶされたような声が混じった。

 振り返れば、馬が口角に泡を浮かべこちらを睨みつけている。

「そんなにも、誇らしいか……」

「なんじゃと?」

「ケダモノと同じ行為が出来ることが、そんなにありがたいか!」

 馬は腰の剣を抜き、こちらへ飛び掛かってくる。

「ちぃっ!」

 俊豪チンハオの放った矢が、馬の帽子を掠めて弾き飛ばす。しかし、追いつめられた馬は勢いを止めない。

「太后、死になされ!」

「蓮花様、お下がりを」

 傑倫が私を背に庇う。そして馬の剣を軽くいなし、弾き飛ばした。

「うぬぁあああ!」

 得物えものを失っても、往生際悪く馬は飛び掛かっていく。

「殺してはならぬぞ、傑倫!」

 私の声に小さく頷き、傑倫は剣を放り出すと馬に当て身を食らわせた。




 半時も経たぬうち、宦官や偽僧侶たちは面首たちによってすべて取り押さえられた。主に傑倫と俊豪の働きが大きかったが、小龍や佩芳、星宇、そして秀英たちもまた頑張ってくれた。

「貴様らに、何が分かる」

 縄をかけられ後ろ手に縛られたフオが、恨みのこもった目を面首たちへ向ける。その側には気を失った馬がやはり縛られ転がっていた。

「貴様らは陽の物を使い成り上がらんとはかった。我らの失ったもので、いともたやすく」

 その双眸そうぼうは血走り、ぬらぬらと妬みに濡れている。

「貴様らのような浮ついた奴らに、身の一部を切り落としてまで出世を願った者の気持ちが分かるか!」

(霍……)

 宦官たちには通じるものがあるのだろう。霍の言葉に彼らは苦悶の表情を浮かべる。

「我々は、失うことでしかこの場に辿り着けなかった。しかし、苦心惨憺くしんさんたんした末に目の前に広がっていたのは、何百何千もの女がひしめき合い、皇帝の子を成すことをひたすらに求める後宮の光景」

 霍の食いしばった歯の間から、血がにじみ出る。

「我々宦官がどんなに願っても手に入れられない世界が、そこにあった。まるで見せつけるかのように。だから思ったのだ。失ったものと同じ大きさだけ、何かを手に入れても許されるはずだ、と!」

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