第31話 記憶の上書き

蓮花リェンファ様、万が一過ちがあって御身おんみが子どものとなってしまわば、誰が暁明シァミン様をお守りするのでしょうか」

(うぅ……)

 そうであった。私は孫の暁明のために、若い体を欲したのであった。

「子どもになってしまえば、暁明のことを守れぬな」

「左様にございます」

 言って、傑倫ジェルンは沈痛な面持ちとなった。

「どうした、傑倫」

「……蓮花様を、今のお姿にしてしまったのはわたしでございます。臣があの時、踏みとどまっていれば」

「あ、あぁ。それに関してはもう忘れよ。求めたのは妾じゃ。そちは命に従っただけのことよ」

 私は背もたれに身を預ける。

「そうよな。面首どもの人生をたやすく無碍むげにしてはならぬ。だがそれ以上に、妾は暁明を守らねばならぬのじゃ。……控鷹府こうようふは閉鎖するとしよう。ただし面首どもの斬首はならぬ。中央で得た官吏の立場を失うのじゃ。あの者らにとっては十分な罰となろう」

「……蓮花様が、それをお望みであれば」

「うむ。それからそちが責任を取り、わらわの元から消えることは許さぬ。そちは妾にとって必要な存在じゃからのぅ」

「かしこまりました」

 傑倫は両手を胸の前に重ねて揖礼ゆうれいし、部屋を出て行こうとした。その瞬間、胸の奥が締め付けられた。


「待て、傑倫」

「は」

 呼び止めたものの、特に傑倫に用事かあるわけはない。ただ、見送りがたい思いがしたのだ。

「面首どものことであるが、な」

 私の言葉に、傑倫はあからさまな渋面を作る。

「何という顔じゃ。閉鎖を思いとどまれと言うつもりはない。ただ……」

「ただ?」

「妙に皆、指圧が上手くてな」

 勝手に触れられる不快さはあったものの、冷えなどの改善には確かに効果があったように思えた。

「あれはそちが指南したのか?」

「はい」

「知らなかったぞ。そちにそのような特技があったとは。なぜ、妾に直接してくれなんだ?」

「やっておりました」

 言って傑倫は私の手を取る。

「床を共にするときは、常に」

 掌の中央より少し上、小龍が「労宮ろうきゅう」と呼んでいたところを武骨な指でクッと押した。

「んぉ」

 軽い痛みと心地よさが同時に襲い掛かる。その部分への指圧を小気味良く繰り返しながら、傑倫は手の甲へそっと唇を這わせた。燃えるような熱さが手の甲から指先へ、そして手首から腕へと、丹念に辿る。

「このように」

 傑倫は唇を離して手の動きを止め、こちらを見た。

「蓮花様に奉仕する際に、指圧を組み込んでおりました。おもに血の巡りをよくするツボを中心に。血の巡りが良くなり体が温まれば、心地よさが増すと聞きます。面首どもにも、そのように指導いたしました。」

(なんと巧みであることか)

 あれでは唇の動きに気を取られ、指圧されていることになど気付けない。

(そのようにして、傑倫はいつも私の体を解きほぐしておったのか)

 心地よさを与えると同時に体調のことまで気遣ってくれていた。この体は傑倫から、大切に丁寧に扱われていたのだと、今更ながら気づかされた。

「続けておくれ」

 私は手を差し出す。傑倫は言われた通りに私の手を指圧する。そして、私の命ずるままに足先から膝までも。傑倫が触れるごとに体の芯から熱を帯びてくるのは、指圧の効果であろうか。それとも……。


「ここまでにいたします」

 不意に傑倫は手を止める。

「蓮花様には十分ご満足いただけたようですので。これでよく眠れるかと存じます」

 火照る体と、とろけた意識。私の体からはすっかりこわばりが消えていた。

「傑倫……」

 この先を求めたい気持ちが、私の中で渦巻いている。けれど傑倫はそれを察したのであろう。僅かに首を横に振ると、「おやすみなさいませ」と一礼し、部屋から出て行ってしまった。

(傑倫……)

 口から零れた吐息までが、熱を含んでいる。

 昼間、面首たちから触れられた肌の記憶は、傑倫による心地よいものに完全に上書きされていた。

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