夏夢から覚めるのは2度目の風鈴で
ぽんず
第1話
「郁也!プール行こう、泳ぎに」
兄・大也の声がして、畳に寝転がっていた郁也は飛び起きた。
「兄貴!?」
郁也が目を見開いたまま動けずにいると
「うん!行く!にいちゃん待ってー!」
すぐそばで幼い子の声がした。その子を見た瞬間、郁也は絶句した。
自分、だ、、、、、、。そこにいたのは、幼い頃の郁也自身だった。
「今日はなに泳ぐのー?」
「フリー!いっちばん速く泳げる泳法なんだぜ」
「ぼく頑張る!フリー泳げるようになって、にいちゃんとオリンピックいくんだ!」
「ああ。俺たちなら絶対できる」
幼い自分が兄と手を繋いで夢を語りあいながら、市民プールへと歩いていた。
ばっかじゃないの。今の自分は、そう思わずにはいられなかった。
自分(おまえ)は、兄貴とは違うんだよ、、、、、、。どれだけ、頑張ったって追い付けないんだ。
胸がチリッと痛んだことに気付かないふりをして、郁也は幼い自分と兄を追いかけた。
だいぶ先に行ってしまったかと思ったが、意外とそうでもなくて2人は近くの駄菓子屋さんにいた。
「にいちゃん、ラムネぇー!」
「わかった。おばちゃん、ラムネ2つ」
幼い自分が兄にラムネを強請って、兄が買ってくれていた。
その時に見せていた柔らかい笑みを見たのは、いつぶりだろうか。
なんだか、目の前が少しだけぼやけた。
「おいしー!ねぇねぇにいちゃん、ビー玉取って」
「ビー玉?取れるかな、、、、、、」
「取ってぇー!」
ラムネの空き瓶を押し付けてくる弟に大也は目を優しく細めて、手を器用に動かしてビー玉を取ってあげた。
「わぁああ!きれい!ありがとう、にいちゃん」
青透明なビー玉を太陽に翳して向日葵が咲いたように笑う自分から、郁也は目を逸らした。
「宝物にするねっ!試合の時のお守りにも!」
「俺にとってはお前が"宝物"だよ。この世界で、たったひとつのかけがえのない弟(たからもの)だ」
そんな兄の言葉に、郁也の瞳から水が零れた。ポケットに、あの日のビー玉が入っている感覚がある。兄貴は、本当に俺のこと弟だと思ってるのかなっ、、、、、、。
"お前なんか俺の弟じゃない。才能なら足手纏いなだけだ。さっさと辞めろ、水泳なんか"
今から2年前。全中の決勝で、ボロ負けした時に言われた兄の言葉。
あれから何度も水泳を辞めようと思った。でも、諦められなくてズルズルと今もやっている。けど、そろそろ辞めるべきなのかもしれない。
良いタイムを叩き出したって、兄貴はどんどん離れていくから。待っててくれないから。
ーーチリリン。凛とした風鈴の音が鼓膜を震わした。
その瞬間、ものすごいスピードで自分が後退していく。幼い2人から遠ざかっていく。
やっと周りの景色が落ち着いた時、自分はあの全中の決勝のプールにいた。
「俺はもうフリーは泳がない。バッタにコンバートする」
「なんでっ!?フリーでオリンピック行くって、フリーリレー泳ごうって約束したじゃん!なんでっ、勝手に決めてんだよ。相談も何もなしに勝手に諦めんなよっ!!」
そうだ。あの日、ボロ負けした後に兄に突然言われたんだった。夢の方向転換を。
「コンメでも一緒に泳ぐ事はできるだろ。そんなフリーに拘りなんかないだろ」
拘りなんかない?アンタが、フリーは一番速い泳法だって俺に言ったじゃないか、、、、、、!
「フリー泳がない兄貴なんかっ、嫌だよ!俺はっ、フリーを泳ぐ水野大也の弟だっ!!」
兄がほんの一瞬だけ、傷ついた顔をした。それはほんの一瞬だけでーー。
ああ、、、、、、。あの時俺は、兄貴に酷いことを言った。兄貴の思いを、踏み躙った。
そりゃあ、こうなって当然だよな。あれから2年、自分たち兄弟の関係はヒビが入ったまま修復されていない。
言わなきゃ、ごめんって。もう遅いかもしれないけど、それでも兄貴に伝えなきゃ。
ーーチリリンッ。今度は強めに風鈴の音が鳴った。その瞬間、ぬるい夏風に目が覚めた。
夢、だったのか。起き上がると、Tシャツが汗で体に張り付いていて気持ち悪い。麦茶でも飲もうと立ち上がった時、「郁也」懐かしくて大好きで、少し苦手な声が聞こえた。
「あ、兄貴」
いつの間に日本に帰ってきたのか、兄はキャリーケースから荷物を取り出していた。
「あのさ、兄貴」
大丈夫。やり直したいと思ったら、そこが潮時なんだから。
俺たちは兄弟だから、信じろ。
「ごっ、ごめんなさいっ、、、、、、!あの時、俺っ酷いこと言ってっ、傷つけてっ」
途端に涙が溢れて、言葉が詰まった。しっかりしろよ、俺!乱暴に涙を拭っていると、近づいて来た兄はポンと頭を軽く叩いて
「遅ぇよ、、、、、、バカ郁也」
あの時の優しい笑みを浮かべた。
そうだ、あと一つ伝えなきゃ。
「兄貴っ、今年の夏オリンピックで待ってて。俺、行くからさ」
あの日の夢とは少し形が違うけれど。叶えに行くから、この夏。
夏夢から覚めるのは2度目の風鈴で ぽんず @2-0
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