第34話 光の扉

和三盆墓地の白い砂糖の大地に、巨大な裂け目が走っていた。

そのひび割れは地面を食い破るように広がり、和三盆墓地に生じた因果そのものが引きずり込まれていく“底なしのひび”。


大地がうねるたび、岩の上のクラフティの身体は小さく跳ね、振動に逆らうことなくただただ身体を揺らす、まるで糸の切れた操り人形を床に放り出したように。


呼吸は浅く、目は閉じたまま動かない。

顔には砂糖が溜まってゆく。


『……クラフティ。もう少しだけ頑張って』


返事はない。


声を失い、因果の崩壊に引きずりこまれかけている。自分に言い聞かせるようにオランジェットが大きな声で叫ぶ。


『必ず帰るからなっ!!!!』


そして、ポケットを探り――

クロワッサンから渡された“火鉱石”をそっと指先に乗せた。


古都の復興の為にこの炎を飛ばすためのものだ。


ガガがっ!!! バキバキバキっ!!!ズゴゴゴゴゴっ!!!


罅割れの音がさらに大きくなる。

砂糖の大地が吸い込まれるように落ち込み、和三盆墓地が崩れていく。


『急がなきゃ……』


オランジェットは帰還のランプの炎を一度消した。

弱々しい小さな火がふっと消え、ランプの中が暗く沈む。


タコから渡された古都から盗まれた炎をそっと移した。


その瞬間!!!!!!!!


バシュッ――!


ランプが閃光を吹き上げ、青い柱が空間を突き抜けた。

和三盆墓地の空に裂けたような光の道が開き、数十メートル先に巨大な“現世への扉”が形成される。


その光が、クラフティの頬をわずかに照らした。


しかし、まだ終わりではない。


『クラフティの思いも、クロワッサンさんに届けなきゃ』


オランジェットは火鉱石をランプの炎へかざして“古都へ向けた贈り火”を放った。


『いけぇえええええええええええええええええええええええええ!』


ゴォォォォォ……


火鉱石が共鳴し、裏世界の上空に光の線が走る。

それは古都の神殿に設置された大火鉱石へと繋がり、遠くの空の向こうで炎柱となって立ち上がった。


その光景をクロワッサンが目の当たりにした。


『……あいつら、やってくれたか』


光の柱は、古都の時間を巻き戻し、因果が闇に飲み込まれる速度をわずかに遅らせる。火鉱石を持つ二人にも幾ばくかの効果はある様だった。


しかし――和三盆墓地の裂け目は止まらない。

黒い渦が迫り、タコの身体が吸い寄せられていく。

やっちゃんと母の魂は、崩壊する因果と共に闇へ還ろうとしていた。


オランジェットはクラフティを抱え直し、前方の光の扉を見据えた。


『行くぞ、クラフティ……。帰るんだ、現世へ』


クラフティの指が、かすかにオランジェットの服を掴んだ気がした。

その小さな動きが勘違いだとしても“まだ生きている”証と思いたい。


冷たいクラフティを抱きしめながら『クラフティは生きてる』

そう自分に言い聞かせるオランジェット。


――白い砂糖が竜巻のように舞う。


オランジェットは強く地面を蹴り、光の扉へ向かって走り出した。


和三盆墓地が崩れ落ちる音に背を向け、

現世へ帰るための“最後の跳躍”へと踏み込んだ。


クラフティを抱えて光の扉へ走る。

もはや重さも感じない、呼吸もしてるのかしていないのかもわからない。

でも諦めるわけにはいかない。

ただただ無心で歩を進めるオランジェット。

背後の罅割れが、低くうめいた!


ゴゴ……ゴゴゴォ……


その後に爆発音。


ドドォオオオオオオン!


まるで地面が悲鳴を上げるような轟音。

そして、崩れ落ちていく和三盆墓地の中を、ひとつの“影”がこちらへ向かって押し流されてくる。


――タコだった。


もう立つ力もないのか、八本の足をぐったりと垂らし、砂糖の地面をすべるように流されてくる、まるで巨大な山が迫ってくるようだ。

その足に巻き付かれていた“死神だった母親の姿”も、輪郭が揺らぎ、光の砂の粒子になりかけていた。


やっちゃんの母親の魂も、墓地に出来た因果の崩壊に呑まれつつあるのだ。

いや違う、自ら呑み込まれるのを望んでいるようだった。

だが、その目だけはオランジェットたちをしっかりと捉えて離さなかった。


『……スー……おまえは……』


声は震え、轟音に飲まれて砕けそうだった。

それでも、その言葉だけは力強くやっちゃんへ届いた。


ヤツハシ・スーそれが彼女の名だ。


『スー……帰りなさい……現世に……』


オランジェットは振り返った。


やっちゃんの母親の身体はまるで砂糖が溶けるように淡く光り始め、焦げるようにくすぶり、ハラハラと音も無く崩れてゆく。

その淡い光には“愛情の記憶”だけが残っていたのだった。


母親が与える娘への最後の愛情。


しかし、やっちゃんもその言葉にあらがう。


『お母さん、私はいいの、全部私の責任だから』


渦に巻かれるタコが最後の力を振り絞ってやっちゃんを巻き取り、オランジェットの横にそっと置いた。


『お母さん!!!!どうして!!!』




『責任と言うなら…

   その子たちを救うのがあなたの責任…』


ドドドドドド… ドゴォおおおおん!


母親は光の粒となって裂けめに舞振るように消えて行った。

続いてタコも折りたたまれるように裂けめへと吸い込まれて行く。


『オランジェット!クラフティを私に!』


『はい!』


『走れるかい?』


『はい!』


『行くよ!』


やっちゃんに抱かれたクラフティはそのかけ声に応えるようにやっちゃんの服をギュッと少しだけ摘まんだように感じた。


『帰るよクラフティ…』


後ろに迫る砂糖の雪崩のような粉塵!全てを噛み砕いて呑み込まんとする轟音!

光の扉に向かって走る3人を切り裂くように、向かい風となってすり抜ける和三盆の渦と、砂糖菓子墓石の破片。


まるで流砂の様に足元の砂糖が流れ、足をすくう!

正面から流れて来た墓石がやっちゃんに向かって来た!

クラフティを抱いたまま身をひるがえして間一髪直撃をかわすが、

右膝の古傷に痛みが走る!バキっ!と言う音と共に激痛が襲う。


『ぐっ…』一瞬うずくまるやっちゃん。

舞い上がるピンク色の毛先。


やっちゃんの服の肩を引きちぎらんばかりの力で掴み、

グイっと引き寄せるオランジェットが顔を近づけて叫んだ!


『やっちゃんさん!帰るんだ!立つんだ!』


『ぐっ…さんはいらないわ、行こう!』


朝の光が和三盆墓地の全てを呑み込む渦の中に見え隠れする。

やっちゃんが抱きかかえるクラフティの手は力なくだらりと垂れ下がり、

吸い込まれる風に吸われて一方向にヒラヒラと力なく揺れていた。


歯を食いしばって前に前に出るやっちゃん、その顔は痛みに耐える鬼の形相。

光の扉は目の前だ。


『だめだ、間に合わない!』


やっちゃんはクラフティを肩に抱えて、持てる力で思い切り光の中に投げ飛ばした。

光の中に溶けるように消えるクラフティ。


『やっちゃん!何してんの!』


『助けたんだから文句言わないっ!オランジェット!行って!』


『ダメだ!一緒に帰るんだ!』


光の扉が小さくなってくるのを感じた。


『光の扉は…時限式なの?…そんな…』


オランジェットがやっちゃんの腕を掴んで全身全霊で引っ張る!

迫りくる因果の破壊!


『うおおおおおおおおお!!諦めるなぁ!あと一歩だやっちゃんさん!』


『さんをつけるなぁあああああ!』


最後の強力な吸い込みが始まったと同時に2人は光の扉に飛び込んだ。


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【古都】


街に暖かさが戻り、クロワッサンの持つ火鉱石から反応が消えた。


『無事帰れたか…ありがとう、古都は救われたよ』

墓地があった場所を見つめながらポツリと呟き、頭を深々と下げた。


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【藍の森】


『空気の流れが変わった…あの二人、無事に帰った様じゃな、ぬいめよ』


『はい、素敵な兄妹でしたね』


『また…会いたいものじゃのう』


『長老、それは彼らに酷ですよ』


『よーし皆のもの!あの兄妹に敬意を!』


長老の号令で数百万の月夜族が古都の方角へ一斉に敬礼をした。


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【無法者の森】


『野郎ども!あのガキどもやりやがったぜ!宴だぁあああ!』


『へい!』


『飲め飲めボンボローニ!』


『プラガの奢りだろうな?』


『…』


『返事わい!』


『ぶにゃぁあああ』


『お前がすんのかい!』


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【如月書店】


『ほう…帰れたか…』


『そのようですニャ、ひと安心ですかニャ?』


『私にそのような感情は………ないっ!』


上半身をぐるりと捻ってガレットを指さした。


『はいはい』


『ガレット、今日の売り上げは?』


『ゼロ円ですニャ』


『………』


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