裏世界・藍の森編
第21話 深紅の笠と銀の針
あと四日――。
自らの命を燃やして灯したソウルランプは、今もクラフティの
その光は確かに彼女を生かしている。だが同時に、確実に身体を
オランジェットの視線が、時折クラフティが引きずる足を追う。
けれど彼女の前では、決して弱音を吐かない。
ただ前を見つめ、森の奥へと進む足を止めなかった。
『大丈夫。行こう、クラフティ。まだ――終わってない』
『うん……分かってる…お兄ちゃん』
『足元が滑りやすいので気を付けてくださいね』
白いキノコが口を開くと湿った空気が揺らぐ。
木々の間を抜ける
オランジェットは気づいた。
『……おい、クラフティ。お前、そのお面……』
『え?』
互いの顔を見合わせる。
いつの間にか、二人の顔を覆っていたのはメレンゲ族の面だった。
メレンゲ族はこの森に入れないと聞いていた2人は、ひとつ試すことにした。
クラフティは息を潜めて、白キノコの足元に石を転がす。
乾いた音を立てた。
瞬間――白キノコの頭部が、ビクリと動く。
笠の内側のヒダが振動して波紋を描いているように見えた。
目ではなく、振動で感知している。
オランジェットはそっと
『大丈夫だ、見えてない……静かに……狐の面に替えよう』
クラフティは頷き、狐のお面を取り出した――
構造的に全くそんな効果はないけれど、不思議と息が落ち着く気がした。
その瞬間、白キノコの動きが止まり、まるで何かを見失ったように首を傾げた。
『どうかしましたか?』
『あ~あの…あなたの頭が…』
『大丈夫ですよ、このキノコを上に登りましょう』
霧の底からそびえ立つ、それはまるで塔だった。
巨大なキノコが群生する光景。
幾重にも重なった笠が、
その森全体が、ひとつの生命のように呼吸していた。
『……上に、道があるの?』
クラフティが言った。
彼女の声は、胞子に吸われるように掠れていく。
滑りやすい
ぬめり。足が滑り、体が
すぐ背後でオランジェットの手が彼女の腕を掴んだ。
『焦らなくていいよ』
『……うん!』
白キノコが彼らの先導をする。
視覚を持たぬその存在は、傘の振動を頼りに、正確に一歩ずつ登っていく。
オランジェットが踏み出すたび、キノコの表面が「ポン……ポン……」と低く鳴る。
現実世界なら楽しくピョンピョン飛び跳ねたい気持ちが二人の胸を少しだけ締め付けた。
空気が変わる。
上層へ行くほど、胞子が濃く、熱い。
呼吸をするたび、胸の奥が焼けるようだった。
『クラフティ、大丈夫かい?』
『……ちょっと、くらくらするけど……行ける……!』
『あなたたちはこの森の胞子に
『ちょっとまってよ!ここまで来てそれ言う?』
『すみません、御存じなのかと思っていました。』
次の笠は傾いていた。
その縁には、深く裂けた穴がいくつも口を開け、底の見えない闇が覗いている。
ひとたび足を滑らせればそのまま落ちてしまう。
『クラフティ、ここ、崩れてるよ!右行って! そこ、キノコの柱を掴んで!』
彼の指示を頼りに、クラフティは半ば
柔らかな胞子の層が、指先にまとわりつく。
まるで森そのものが、彼女を引き留めようとしているかのようだ。
――ドンッ。
突如、地響き。
下の方で、ひとつの笠が崩れ落ちた。
白い胞子の霧が一気に舞い上がり、視界を覆う。
『お兄ちゃん! 見えないよ!』
遅れを取ったクラフティが焦って叫ぶ。
『こっちだ、声を聞いて!』
音の中、白キノコが奇妙な鳴動を放った。
“ポォン……ポォン……”と低く響くその音波が、霧の中の形を描く。
――まるで音で描く地図。
クラフティはその振動を感じ取り、笠から笠へと跳ねる。
霧の中で、彼女の影がふっと浮かんでは消える。
その動きは、もぐらたたきのようで
最後の笠の縁に、ようやく辿り着く。
『クラフティ!』
『クラフティさん!』
『名前覚えてくれたのね、助けてくれてありがとう、ねぇキノコさん破れた笠縫ってあげるからおいで』
『いえ、大丈夫ですから』
『助けてくれたお礼がしたいの!早く来なさい!』
『行ったほうがいいよ、クラフティは怒らせたら怖いんだから』
『脅かさないで下さいよオランジェットさん』
――ポツリ――ポツリ――ザー…
突然雨が降り出した。
『ほら、丁度良かったじゃない、この雨じゃ進めないわ』
『通り雨ですよ、直ぐ止みますから進みましょう』
『いいからそこに寝なさい!』
『いや…あの…』
『ねろぉおおおおおおお!!!!』
『はいっ!!!!』
クラフティはテーブルのような大きなキノコの上に白キノコをそっと寝かせ、裁縫セットを取り出した。
母の声が、心の中で響く。
――“これだけは、いつも持って歩きなさい、レディのたしなみよ”
細い針を手に取り、裂けた笠を一針ずつ縫い合わせていく。
胞子の碧い光が彼女の頬に反射し、まるで夜空の星のように瞬いた。
その美しさにオランジェットは言葉を失っていた。
クラフティは微笑み、静かに針をしまう。
――通り雨が過ぎ去った――
『行きましょう、白キノコさん』
『少し休まないと…クラフティ…足が痛いんだろ――』
『大丈夫。……きっと間に合う』
そう言って、クラフティは歩き出した。
ピタリ――足を止め、クルリと回ると
『白キノコさんの名前―ぬいめ―にしたからね!』
そう言ってまた歩き出した。
『ぬいめって…縫ったからってあんまりじゃ』
『名前!名前を付けてくれたんですか!クラフティさん!ありがとうございます!今日から私は[ぬいめ]です!待ってくださーい』
『早くおいでぬいめー!』
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長い時間、終わりのない森を歩き続けていた。
霧は薄く、胞子の光は青く――まるで夜そのものが息づいているようだった。
そして、霧の向こうにそれは現れた。
空を突き破るほどの巨大なキノコの塔。
これまで見てきたどんなキノコよりも大きく、その笠は雲の上へと届いている。
森全体がその塔を中心に息づき、胞子の流れさえ塔の鼓動に合わせていた。
『……なんて大きい……』
オランジェットとクラフティが息を呑む。
その時だった。
白キノコ――いや、ぬいめが足を止め、笠を少し傾け、
ポーン…と1度振動による波紋を送る。
巨大な柱の一部に扉があり、その前に門番と思しき月夜族が2人――
槍を持って立っていた。
『この波紋、仲間だな』
『この森を越えるには、長老の許しがいる、知っているな』
『……知っていたの?』オランジェットがぬいめに問う。
『もちろん。森に足を踏み入れた時から、私たちはずっと見張られていたし』
ぞくり、と空気が凍る。
足元の胞子が静かに揺らめき、三人の影が淡く歪んだ。
ぬいめが一歩前へ出て、笠の端を傾ける。
その仕草に、月夜族の門番2人がざわめいた。
『……その裂け目、縫われているな』
『この方――クラフティさんが、直してくれたんです、名前もいただきました!私の名前はぬいめです!』
月夜族の門番と思しきキノコが小さく頷いた。
『…ネームドか…名を持つ月夜族は古来より一人もいない。――ぬいめよ、長老がお会いになる』
月夜族に導かれ、三人はキノコの塔の根元に開いた扉へと進む。
扉は光の膜に覆われ、触れれば波紋が走る。
中から、無数の胞子が花びらのように舞い出た。
扉をくぐると、そこは夜空を映したような空間だった。
頭上に碧い星浮かび、足元の地面には水が流れるように碧く光る胞子が走っている。
塔の内部は生きており、鼓動する森の心臓そのものだった。
奥の祭壇で、一人の影が静かに座っていた。
その姿は細く、人間で言う老いを感じる白キノコだった。
月夜族の長老――名はない。
『ぬいめ……そして、旅人たちよ』
その声は、深い森を揺らす風のように響いた。
『この森を抜けるには、魂の証明が必要だ。
お前たちが何者で、何を求めているのか――月は全てを見ている』
クラフティは唇を噛んだ。
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