第22話 藍の森の藍喰らい

【現世】


馬車の車輪が石畳を打ち鳴らし、ドゥルセの街を切り裂いて走る。

リコリスの指が白くなるほど手綱を握りしめていた。


『全速力は割増さね!はっはっはっは』


ひづめの音が流星のように過ぎ去る。

その震動の中、やっちゃんは座席の背にしがみつきながら、ふと血の気を失った。


『――そうだ、忘れてた……!向こうの一日は、こっちの一分。』

『どっちがランプに火を灯したのかは分からないけど……最悪は、あと五分足らずだ!』


胸の奥で心臓が“ドンッ”と鳴る。

間に合わない――このままじゃ、魂が全部、燃える。


『リコリスさん!ランプ屋は!?どこにある!?』


『ランプ屋? 港とは反対さね! 今戻ったら船が出ちまうよ!』


『……っ、ならいい、馬車のランプを貸して!』


『え!? このすすけたやつ?――』


『早く!』


叫ぶやっちゃんの目が、異様な光を宿していた。

元海賊のリコリスが息を呑み、震える手でランプを差し出すほどに。


やっちゃんはそのランプを抱きしめ、胸元のネックレスを外した。

細い骨を編んだような、不気味な白い鎖。

それは三代目呪術師――母の骨で作ったもの。


『母さん……ごめん。チカラを貸して。』


その瞬間、馬車の中の空気が変わった。

やっちゃんは骨を握り締め、ランプの金属にゴリゴリと押し当てる。

火花が散り、焦げた匂いが鼻を刺す。


「――ミーヲス・テーテコーソ・ウカヴセ―・モアレ……」

声が振動している。

「……母の灯よ、今一度、四代目の我が手に!」


“カッ”と光が弾けた。

馬車の中が一瞬、真昼のように照らされる。


「お、おいあんた!何してんだ!?爆発でもする気か!?」


やっちゃんは光の中で静かに笑った。

その瞳は、どこか遠くを見ている。


『私は―やっちゃん―少し眠るから……起こさないでいただけます?』

『……お金は、払いますから。』


言い終えると同時に、彼女の体が糸の切れた人形のように崩れ落ちた。

青白いランプの火だけが、彼女の頬を照らしている。


リコリスは慌てて駆け寄る。

「おい、やっちゃん! しっかりしな!おい!――!」


だが、彼女の瞼は動かない。

ランプの炎が、ひときわ強く脈打った。


まるで、魂が――

灯りの中へ、吸い込まれていくようだった。


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【裏世界】


『……人ではないな、旅人よ、名は何という』


低く、湿った声が空気を震わせる。

問いに言葉を失い、兄のオランジェットと妹のクラフティは顔を見合わせた。

クラフティがそでにぎり、オランジェットがのどを詰まらせる。


「ぼ、僕たちは……その……」

『私たちは兄のオランジェットと、妹のクラフティです』


「ちょ!僕が勇気が無い兄貴みたいじゃないか!」

「早くしゃべらないからでしょ!」


『お前たち!長老の前だぞ!』

槍を構えた兵士に注意を受けた。


長老の眼が、月光を受けて淡く光ったように感じた、眼はないけれど。


『長く生きておるゆえ、知識もある。……存じておるわ。

案ずることはない――命を燃やして来たのであろう?』


オランジェットの肩がびくりと動く。

長老の見えない視線は、まっすぐ彼の胸の奥を見通していた。


『それがお前たちの証明と受け取ろう。』


しばしの沈黙。

オランジェットは唇を噛み、やがて静かに頭を垂れた。


「……ありがとうございます」


その声は、微かに聞こえる外の風の音に溶けるほど小さかった。

長老はゆっくりと天を仰ぎ、白い息を吐く――口は無いのだが。


『見えるか、あの月が、ワシは見えぬが感じる事は出来る。

月は全てを見ておる。お前たちに――

加護があらんことを願っておるぞ。』


その言葉とともに、暖炉の火がふっと揺れた。

まるで月が頷いたかのように、キノコの森が少しだけ明るくなった。


この地域はキノコが高く高く折り重なるように群生しているので、

常に暗い、だから昼間に見える月すらありがたいくらいに明るい。


クラフティがそっと兄の手を握る。

オランジェットは頷き、もう一度、深く頭を下げた。


昼間でも眩い月の光が二人の背を照らし、

静かに――次の旅路へと送り出そうとしていた。


――その時だった。


大地がうなった。

「ゴゴゴゴ……ッ!」という低い地響きが、月夜族の森全体を揺らした。

暖炉の火が消され、空気がざわめく。


「……な、なんだ!?」

オランジェットが立ち上がり、クラフティが兄の腕にしがみつく。


森の向こう――

闇を裂いて、巨大な影がうごめいた。


キノコの森が波打つようにざわめき、

胞子の霧が空高く舞い上がる。


現れたのは――山のように大きな、藍喰あいくらいの獣。

その体は薄汚れた硬い毛に覆われ、目は血のように赤く光っていた。

口角の横からはみ出す巨体な牙の片方は折れ、その気性の荒さを物語っている。

過去に封じようとした十字架型の痕跡が額にあった。

ひとたび咆哮を上げると、森そのものが震える。


『グオオオオオオォォ――ッ!!』


月夜族たちが一斉に震え、

地を這う菌糸を通して、森中に警鐘けいしょうが響き渡った。


藍喰あいくらいだ――! 全族、戦闘配置につけ――!』


胞子の信号が森を駆け抜ける。

キノコの森の笠が震えて、光る胞子がまるで星のように降り注いだ。

集落が一瞬で、戦の色に染まる。


長老が、巨大な塔のようなキノコに設置されたエントランスにそびえ立ち、

声を放った。


『全軍、陣を敷け!

第一師団は北の茂みを防げ、第二師団は小さき同胞をまもれ!』


その眼がゆっくりと一人のキノコへと向けられる。

名を持つ者――ぬいめ。

月夜族の歴史上、初めて「名前」を授かった若きキノコだ。


『ぬいめよ。』


ぬいめが驚いたように笠を震わせる。

「……長老さま、わ、わたしがなにか……」


『――お前に、第三師団の指揮を任せる。』


森の奥から、再び轟く獣の咆哮。

地が裂け、闇がうごめく。


ぬいめは恐怖を押し殺し、

小さな体でまっすぐに立ち上がった。


「……承知いたしました。第三師団、ぬいめ、出陣いたします!」


その声は、胞子を通して森中に響き渡る。

やがて月夜族たちの無数の光が応えるようにまたたいた。


長老が呟く。

『月は見ておる……どうか、この子らを照らしてくれ――』


藍の森がざわめき、

光と影の戦いが、いま幕を開けた。


地響きが続く中、長老キノコは塔の階段を下りて一階に戻り、オランジェットとクラフティの方を向いた。

その表面に刻まれた皺に見える溝が鋭い顔に見える。


『……オランジェット、クラフティ…』


二人は思わず背筋を伸ばした。

長老の声は静かだったが、揺るぎのない力を帯びている。


『今ならまだ、森の南が開いておる。遠回りにはなるが――

そこを行けば、戦いを避けられる、行きなさい』


「で、でも僕たちも手伝えます! 少しでも力に――!」

オランジェットが一歩踏み出す。


しかし長老はその言葉を、ゆるやかに首を振って制した。


『命の流れには、それぞれの道がある。

お前たちの灯は、まだ消してはならぬ。』


クラフティが唇を噛み、震える声で問う。

「……私たちだけ逃げて……森は……みんなは……」


『案ずるな。月夜族は根を張って生きる者。

幾年月いくとしつきもこの戦いを続けて来たが、我々は負けない。

この森が息づく限り、我らは倒れぬ。』


長老は、二人の前に笠を傾けた。

その笠には桃色の縫い目があった。


『長老!それ…』


『その昔、毛先が桃色の髪の者に縫ってもらってな、ほっほっほ』


『へ~!長老さんも!』


「うぬ、だから「ぬいめ」を縫ったのがお前たちと聞いて、無条件で通そうと思っておったがな、周りもおるでな、ひっひっひ」


『コホン!別れの時だ!己の信じた道を行くがよい』


『はい!』『はい!』


『月はお前たちを見ておる――どうか、生きて帰られよ。』


静寂の中、遠くで再び獣の咆哮が轟く。

それが別れの合図のように響いた。


オランジェットは深く頭を下げ、

「……ありがとう、長老さま」と小さく呟くと、

2人で長老に抱き着いた。


『無礼者!長老に気安く!!!』


『下がれ!別れを惜しむワシの邪魔をするとは何事か!』


『はっ!失礼しましたっ!』


三人がゆっくりと離れる――

オランジェットはクラフティの手を握り、南の森へと駆け出した。


背後では、ぬいめの指揮する第三師団が、

光る胞子をまといながら戦の陣へと整列していた。


そして長老は、遠ざかる二人の背を見送りながら、

そっと呟いた。


『月よ……どうかあの子らと、月夜族を導いて下され……』

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