第5話 消炭色の生活

『オランジット、ここにサインしてくれないか、ここだ、ほら、ペン持って』


ビスコッティがA4サイズの紙を持ってきてオランジェットに頼みに来た。

オランジェットはプリンが言っていた『決してサインをしてはならない』と言う言葉を思い出し『嫌だと断った』


『オランジット、なぁ頼むよ』


『オランジェットです…』


『あぁ?』


『僕の名前』


『あぁそうだった、すまないなぁオランジェット、な、サインしてくれないか』


目の前に差し出された紙、オランジェットには読めないが、プリンの言葉だけが負けそうになる彼の心を繋ぎとめた。


『嫌です』


『てめぇ!優しく言ってるうちに言う事を聞きやがれ!』


怒り出したビスコッティは7歳のオランジェットの頭をテーブルに押しつけ、グリグリと書類の上に擦りつけた。「絶対に泣くもんか」心で強く念じて歯を食いしばった、食いしばる奥歯もビスコッティの押さえつける力で開いて来る。プリンさんとの約束だ、絶対にサインなんかするもんかと、頬にめり込んだビスコッティの手を口の内側から押し返すように奥歯を噛み直した。


頭を押さえ付けながらビスコッティはテーブルの上でオランジェットの顔を書類ごとズルズルと引きずり、コップや皿をオランジェットの顔で押しのけると、カウンターテーブルをバーテンが飲み物を滑らせるかのように、小さな彼をそのまま投げ飛ばした。床に叩きつけられてバウンドし、ゴロゴロと転がった先の棚にぶつかって目を閉じた。


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『う…う~ん…』


『お兄ちゃん!よかった』


『僕…いてててて、頭が…あ、思い出した…あの…』


『うん?』


聞くと2人の部屋であるこの場所に、ビスコッティが運んできたとの事だった。オランジェットは何があったのかクラフティに話そうとしたが、無駄に怖がらせてしまうのではないかと考え、思いとどまり話題を変えた。


『ごはん食べたかい?』


『お兄ちゃんの分は寝てるからないって…

だから私も食べないで待ってた、私の分一緒に食べよう。』


見るとパスタの茹で汁に数本の麺が浮いているだけだった。

オランジェットは先に貰うと言い、スープだけをすすってパスタを残すようにした。


『はい、クラフティ、あとは食べな』


『はーい、いただきます』


お祈りをするクラフティを見てオランジェットは祈ったってこの生活が変わるわけでもない、両親もプリンさんも帰って来るわけでもない、今更祈って何になると感じた。だが、だとすれば今まで何に祈っていたのだろうと疑問に思った。


『なぁクラフティ、晩御飯のお祈りって何の為にすると思う?』


『今日も1日ありがとうだよ、お兄ちゃん』


オランジェットはハッとした、今日も1日ありがとう、その感謝は明日への糧。今日を生きられたからこそ明日を迎えられる、7歳のオランジェットでもそれがわかったのだった。その瞬間言い得ぬ思いが込み上げてきて溢れる涙を止める事が出来なくなった。


『ごちそうさまでした』


その言葉で涙が加速した。

こんな事になっているのに食事前には祈りを捧げ、食べ終わったらごちそうさまと言い祈る妹。5歳だから現状がわかっていない?いや違う、自分だってたかだか2年多く生きてるだけで理解が追いついていない事ぐらい知っている、ただ、妹はビスコッティ一家に文句はおろか、憎しみすら抱かずに今日を感謝している、明らかな意地悪であるパスタの茹で汁に感謝しているのだ、その懸命な姿と自分を比べ、なんと僕は愚かなのだろうと感じた。


『お兄ちゃん、ゴミに目が入ったの?』


『ばか、目にボミだろ』


『ボミってなぁに?』


2人はお腹をグーグー鳴らしながら、その音を掻き消すように笑い転げた。


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扉に耳を付けて聞いていたハーシーがビスコッティに知らせに走る。


『ダディ!あいつら楽しそうに笑ってたよ!』


『なんだって?パスタの茹で汁で笑えるってのか?ブロンディ!明日の朝はレタス1枚づつにしてやれ!』


『えーネイルしたばっかりだからイヤだよぉ』


『マミィネイルかわいい!』


『わかったよ、俺がやるよ、あいつらギリギリまで追い込んでやる、空腹が一番サインをさせる条件を飲みやすいだろ』


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プリンは職を失い、ストラクチャー・カンパニーに相談しに来ていた。

『ジェノワーズさんがあんなことになってしまいましたからね…』


『ええ、そうなんです、全てをお任せいただいていたのですが、弟様のご一家が子供たちの面倒を見るってことで…』


『なるほど、御親族様が入られてはどうしようもありませんものね』


『はい…』


『えっと…家政婦業ですと、冒険家のサポートとして登録されているタルト・タタン様がご希望を出されていますね…』


『タタン?シャルロット奥様の相棒じゃないですか!』


『もと…ですけどね、ご存じなのですか?』


『ええ、何度か会って一緒に食事もしました』


『なら話は早いですね、早速御面談されてみてはいかがでしょうか』


『ええ、きっと子だくさんですからお役に立てるかと思います』


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『ほら、朝飯だ』


食卓に着く2人の前に置かれたのはレタスの葉が1枚づつ。


『マヨネーズを…』


『ダメ!私が使うんだからそのまま食べなさいよ』


オランジェットの申し出に対し、鋭い吊り目をもっと吊り上げて意地悪で返すハーシーが加えて嘘をつく。


『ダディ!オランジェットが私のマヨネーズを無理矢理取ろうとしたの!』


『え?そんな事してないじゃないか!』


『このクソガキ!ハーシーに意地悪したら許さねぇぞこの野郎!』


オランジェットは言っても無駄なのを知っているので、黙ってレタスをパリパリと食べた、クラフティと一緒にお祈りをしてから。


その姿見て鼻で笑うと、ハーシーはハニートーストにスクランブルエッグと生ハムサラダをモグモグと頬張るのだった。

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