第35話

──現代日本、都立桜ヶ丘高校。


「うっ……やめて……! もう、何も感じたくない……!」


ユナの嘆き、哀しみに満ちた悲鳴が、黒い靄に侵食され始めた部室に響き渡る。異世界からの魔力と学園中の感情の波、そして目の前のヒナタの冷徹な視線が、彼女の共鳴因子エモーション・リンクに容赦なく押し寄せ、精神的な負担は限界に達していた。

ヒナタがユウトの防壁を突破し、ユナへと手を伸ばす。


「魔王の因子は、混沌に飲み込まれるべきではない。父の遺志を継ぎ、我らが主を異世界へと呼び戻す」


その言葉と同時に、ヒナタの暗殺因子シャドウ・ブレイクが発動。ユナの額に触れようとするその指先が、まるで空間を切り裂くかのように迫る。

「させるか!」

ユウトの保護因子ノクス・ガーディアンが、赤い光を放ちながら、ユナを抱きしめるようにしてヒナタの攻撃を受け止める。彼の身体から力が爆ぜるが、ヒナタの「透過」能力は、ユウトの防御をすり抜けようとしていた。

その時、ユナの瞳に、一筋の光が宿った。


(私は……誰かに決められたくない。誰かに選ばれるんじゃなくて……私が、選びたい!)


ユナの共鳴因子が、美作先生が意図した「揺らぎ」でも、ヒナタが求める「再臨」でもない、彼女自身の「選択」へと収束していく。彼女は、ユウトの腕の中で、まっすぐにカイを見つめた。


「カイくん……私、あなたと……!」


その言葉が、部室の混沌を切り裂いた。

カイの新因子ブレイブ・チャームが、激しく輝く。ユナの「選択」に応えるように、彼の身から放たれる温かい光が、部室に広がる黒い靄を押し返す。


「ユナは、俺が守る! この世界も、君も……誰にも渡さない!」


カイは、剣のような光を実体化させ、ヒナタへと振り下ろす。彼の「因子斬撃」は、ヒナタの「透過」能力を一時的に阻害し、彼を一歩後退させた。カイは、ユナを背中に庇い、その瞳に確かな決意を宿していた。

ユウトは、ユナの「選択」と、カイの「守護」を目の当たりにした。彼の保護因子ノクス・ガーディアンが、一瞬だけ激しく揺らぐ。

ユナへの「独占欲」が、まだ彼の心の奥底で疼いていた。しかし、ユナがカイの背中に隠れ、心から安堵している姿を見た瞬間――ユウトの瞳の赤い光が、静かに、そしてゆっくりと収束していく。


(ユナが……幸せなら。それが、俺の『守る』意味だ)


ユウトは、拳を握りしめながら、ユナとカイの姿を、ただ静かに見守った。彼の「保護因子」は、もはや「縛る」ためのものではなく、ユナの「選択」を尊重し、遠くから「見守る」ための力へと再定義され始めていた。

そのユウトの傍らに、ミレイがそっと歩み寄る。彼女の魅了因子フレグランス・シフトが、穏やかな香気を放ち、ユウトの心に微かな安らぎを与える。


「ねえ、ユウトくん。なんか、辛そう……。あたしが、隣にいてあげよっか?」


ミレイは、ユウトの表情に宿る痛みを察し、無邪気な笑顔で、けれど確かな優しさで、彼の腕にそっと触れた。ユウトは、ミレイの温かい手に、微かに目を見開く。彼の心に、ユナとは異なる、新たな感情の波が生まれ始めていた。

カナは、タブレットに表示される因子のログに、目を見開いていた。


「ユナの『選択』が、ユウトの『保護因子』を再定義した……そして、カイとミレイの因子が、新たな『焦点』を形成した……!」


彼女の記録因子ホワイト・リコンフィグは、この瞬間、物語の「語り」が大きく変化したことを捉えていた。ヒナタの「暗殺因子」が、再びユナへと迫ろうとするが、カナはタブレットを操作し、美作先生の装置から放たれる因子の干渉を、ヒナタへと集中させる。

美作先生は、職員室の端末に表示されるデータに、狂気じみた笑みを浮かべていた。


「素晴らしい! 『選択』による因子の再定義! そして、新たな『恋愛因子』の芽生え! これこそが、私が求めていた『世界の融合』プロトコルに、完璧な『触媒』となる!」


彼の脳裏には、ユナの選択がもたらした新たな因子の連鎖が、魔王再臨の儀式を加速させる「理想郷」のビジョンを、より鮮明に浮かび上がらせていた。

校舎の屋上から、ランドセルの少女は、その全てを静かに見下ろしていた。彼女のノートには、新たな記述が加えられる。


「記録完了。ユナの『選択』が、因子の連鎖反応を引き起こした。ユウトの『保護因子』は再定義され、ミレイの『魅了因子』が新たな絆を紡ぎ始めた。これは、物語の『最終戦争』における、新たな『選択肢』の始まり。そして、『偽装』された真実が、世界の運命を分かつ」


彼女の瞳の奥には、避けられない運命への深い憂いが宿っていた。

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