第二章:遺品(かれら)は、静かに語る
密着取材は数週間に及んだ。
私は静真と共にいくつもの「死の部屋」を訪れた。
老衰で誰にも看取られずに亡くなったおばあさんの部屋。
病を苦に自ら命を絶った若いサラリーマンの部屋。
そして事件に巻き込まれ非業の死を遂げた誰かの部屋。
一つとして同じ「死」はなかった。
そして一つとして同じ「生」もなかった。
どの部屋にも、そこに人が生きていたという愛おしい痕跡が必ず残されていた。集め続けられたアイドルのポスター。書きかけの恋愛小説。何度も聴き返したのであろう擦り切れたレコード。
静真はそれらを「遺品」とは呼ばなかった。彼はそれらを「彼ら」と呼んだ。
「彼らは静かです。でもちゃんと語ってくれます。持ち主がどんな人で何を愛していたのかを」
ある現場では八十歳のおばあさんが残した大量の編み物道具を発見した。未完成のセーターが何着も残されている。
「きっと孫のために編んでいたんでしょうね」
静真は毛糸を手に取りながら言った。
「サイズを見ると小学生くらいでしょうか。なんらかの理由で会えなくなった孫を想いながら夜中に編み続けていたのかもしれません」
別の現場では中年男性の部屋から大量の料理本が出てきた。どれも付箋だらけで、手書きのメモが挟まっている。
「この人、料理が好きだったんですね」
静真はページをめくりながら言う。
「でも家族の分まで作る必要がなくなって……。それでも料理への情熱だけは失わなかった」
彼の言葉を聞くたびに、私の心はざわついた。
私が死んだら私の部屋には何が残るのだろう。
ブランド物のバッグや靴。
高価な化粧品。
そして数え切れないほどの男たちからのプレゼント。
それらは私の生の痕跡を語ってくれるのだろうか。
それともただ私の虚栄心の抜け殻として残るだけなのだろうか。
私は怖くなった。
特に夜、一人タワーマンションのだだっ広いリビングで眠りにつくのが怖くなった。
私がもし今ここで一人で死んだら誰がそれに気づいてくれるのだろう。
今まで考えたこともなかった「孤独」というものが、じっとりとした湿気を帯びて私の足元に纏わりついてくるようだった。
私の静真に対する感情も変化していた。
最初はただのゲームの攻略対象だった。
だが今は違う。
私は彼のことをもっと知りたくなった。
なぜ彼はこんなにも他人の「死」と真摯に向き合えるのだろう。
なぜ彼は生きている私ではなく、死んでしまった彼らの声に耳を澄ますのだろう。
そして、なぜ彼はあんなにも悲しい目をしているのだろう。
ある現場でその理由の一端に触れる出来事があった。
それは二十代の若い女性が自ら命を絶ったワンルームマンションだった。部屋は驚くほど綺麗に片付けられていた。ただベッドサイドに一冊の日記帳が置かれているのを除いては。
警察の許可を得て静真がその日記帳を開く。そこにはモデルを目指していた彼女の夢と挫折、そして芸能界という華やかな世界の裏側で心を病んでいく過程が克明に綴られていた。
『……誰も本当の私を見てくれない。みんなが見ているのは私が演じている偽物の私だけ……』
静真はその最後の一文を読んだまましばらく動かなかった。
私は彼の横顔を盗み見た。
彼のあの能面のような表情が初めて微かに歪んでいた。その瞳の奥に深い深い悲しみの色が滲んでいるのがわかった。
彼はこの部屋で亡くなった見ず知らずの彼女の姿に、誰か別の大切な誰かの姿を重ねて見ている。私は直感的にそう感じた。
その日の帰り道。
私は初めて彼を食事に誘った。
「……静真くん、もしよかったらこの後、何か食べない?」
どうせ断られるだろうと思っていた。
だが彼は意外にも静かに頷いた。
私たちは町の小さな定食屋に入った。テレビのバラエティ番組が上っ面だけの笑い声を流している。私たちは黙々と生姜焼き定食を食べた。
沈黙を破ったのは私の方だった。
「……今日の現場。……辛かったでしょう」
静真は箸を置いた。
「……辛いとかそういうことじゃないんです」
彼は言った。
「ただ……悔しいだけです。……どうして誰も彼女の本当の声に気づいてやれなかったのかって」
「……」
「煌月さんは……ああいう華やかな世界にいる人だからわかるでしょう? ……笑顔の裏側にある孤独とか、虚飾の陰にある陰鬱さとか」
彼の言葉は静かなナイフのように私の心の一番柔らかい場所を切り裂いた。
そうだ。
私も同じだ。
たくさんのフォロワーに囲まれ賞賛のコメントを浴びる。
でもその誰一人として本当の私の孤独を知らない。私自身も見せようとはしない。
「……静真くんには……いたの?そういう……大切な人が」
私は震える声で尋ねていた。
静真は答えなかった。
ただ悲しそうに微笑むと「……ごちそうさまでした」と言って席を立った。
その微笑みが答えの全てだった。
彼の鉄壁のガードの内側。
そこには私などでは到底計り知ることのできない深く、そして癒えることのない傷口がある。
私は浅はかにも、その傷口に無性に触れてみたいと思ってしまった。
それはもはやゲームのような駆け引きなどではなかった。
それは私が生まれて初めて抱いた、誰か他者に対する純粋で、そしてどうしようもなく切実な欲望だった。
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