終章
風が吹いていた。
かつてこの地に都市があったことを示すものは、何ひとつ残されていなかった。
舗装は剥がれ、建物は崩れ、土と骨と鉄が混ざり合って眠っている。
空はただ高く、そして静かだった。
ここは、かつて“日本”と呼ばれていた場所。
だが、その名を知る者は、もうほとんどいない。
地図に線はなく、国境は朽ち、言葉も風化していた。
調査の理由は、記録の再構築だった。
この地で何が起きたのか。
なぜ滅びたのか。
そして、なぜ誰もそれを語らないのか。
人類は再び制度を検討していた。
人工的な出生管理。
感情と倫理を数値で制御する社会設計。
過去に失敗したはずのそれを、“今度こそ成功させる”という言葉とともに。
地下に入った者たちは、ある層で異物を見つけた。
掘り返された構造物の奥、密封された記録装置。
腐食も破損もなく、ただ、眠っていた。
装置を起動すると、青白い光がほのかに立ち上がり、
ひとつの記録が再生された。
《記録ファイル:未分類》
映像が歪み、そして声が流れる。
「――この記録が、誰かに届くことを願って」
若い女性の声だった。
そしてその横には、同じように若い男性がいた。
二人は語り出した。
自分たちはこの制度を設計した者だったこと。
理想のもとに作り出したはずの仕組みが、
やがてどれだけの命と尊厳を奪っていったか。
そして、抗い、逃げ、記録を残すことを選んだこと。
「選ばれることが正義だと、僕たちは信じていた」
「でも、選ぶ自由を奪われたとき、人は壊れるんだ」
「どうか、過去を学び、同じ過ちを繰り返さないで」
彼らの語る言葉は、命の重さではなく、
“意思の痕跡”だった。
制度に抗った子どもたちの名。
犠牲になった人々の記憶。
そして、最後に遺された、ひとつの声。
「これは、私たちが人間であろうとした証です」
「この声が、まだ誰かに届くなら――
あなたに託します」
記録が終わったあと、
誰も言葉を発さなかった。
ただ、そこにあったのは沈黙ではなく、重さだった。
かつてあった何かの、確かな存在感だった。
記録は過去のものではない。
それは問いであり、託宣であり、予兆だ。
人がどのように滅び、どのように抗い、
それでもなお“生きようとした”のかを示す、静かな灯火。
その記録を受け取った者の一人が、
後にこう記した。名前はない。署名もない。
けれど、その一文だけが、いまも残っている。
《これは、人間であろうとした者たちの、百年にわたる抵抗の記録である。》
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