第10章

(2120年頃/制度施行から約85年後)

 

それは、音を立てずに終わった。

 

ある日、国家中枢AIのモニターが静かに暗転した。

警告はなかった。異常ログも、バックアップも。

すべての情報は自動的に消去され、コアプログラムは沈黙し、

そしてただ、それっきり動かなくなった。

 

2120年、日本という国家は「滅びた」と、記録された。

 

誰かが宣言したわけではなかった。

けれど、人々のあいだにはっきりと、もうそれを“国”と呼べるものは存在していないという認識が広がっていた。

通信は途絶えた。

制度は機能しなかった。

行政も、教育も、医療も、インフラも――何ひとつ残らなかった。

 

人工衛星は軌道を外れ、再突入しては消えていき、

かつて高層ビルだったものは、緑に飲み込まれながら静かに崩れ、

人の作った都市は、人の不在とともに土へ還っていった。

 

かつてこの国には、

1億を超える人々が暮らしていた。

列車が走り、ビルが林立し、光と音が夜を照らしていた。

今、その面影はどこにもなかった。

 

人口は、五十万人を切っていた。

生き延びた人々の多くは、地下の簡易住居か、

山岳地帯に点在する自然共同体に身を寄せていた。

火を使い、水を運び、作物を育てる生活。

科学も技術もそこにはなく、

言葉も制度も、やがて“意味”を失っていった。

子どもたちは、“日本”という言葉を知らなかった。

“国家婚”という制度の存在も、誰も語らなかった。

それはすでに、「語るべきもの」ではなくなっていたのだ。

 

ある日、子どもが小さな声で訊いた。

「この前見たあれ……何?」

 

それは、地下施設の奥で見つけた端末だった。

壊れかけの画面に、古い音声が繰り返し流れていた。

誰かの声。

誰かの叫び。

誰かの祈り。

「誰にも、選ばれる必要なんてなかった」

「私は、私の意志で生きたかった」

「たとえ間違っていても、選ぶ自由がほしかった」

 

その言葉の主は、もうこの世にはいなかった。

だが、その声だけが、確かに残っていた。

 

端末の中には、記録ファイルがいくつか保存されていた。

ラベルにはこう記されている。

【湊 昴/澪】

【碧翔】

【星良】

【第七階層:記録群 対国家婚制度関連】

それは、国家が制度を始める前夜に交わされた会話、

制度に抗い、命を賭けて逃げた兄妹、

そして崩壊の中に残された、最後の人間の記録だった。

 

読み取れるデータは少なく、映像も荒く、再生も不安定だった。

けれど、それでも――声は届いた。

「――もう誰も、苦しまなくていいように」

「もし、また人が同じ過ちを繰り返そうとしたら……」

「この記録が、止めてくれますように」

 

その言葉を聞いた者は、やがて誰かにそれを伝えた。

そしてまた、別の誰かがそれを語った。

記録は“教え”ではなかった。

けれど、ある者にとっては“希望”となり、

ある者にとっては“警告”となり、

また別の者にとっては、“まだ見ぬ未来への種”となった。

 

制度は滅んだ。

国は消えた。

人は減り、文明は崩れ、言葉は忘れられ、

科学も、技術も、文化も、すべての誇りが地中に沈んだ。

だが、完全に消えたわけではなかった。

 

時折、地下の古い端末から、

名前も知らない者たちの声が聞こえてくる。

笑い声、怒号、沈黙、問いかけ、そして――

「愛してるよ」「いっしょに、生きたかった」

 

それは、人間という存在の“証”だった。

滅びの果てに、それだけが残された。

 

そして今、その証を拾い上げた者が、どこかでまた、言葉をつぶやいている。

「これは、私たちの物語だ」

「まだ、終わっていない」


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