沈黙の底
書くことをやめた日、部屋の空気はやけに重かった。
机の上に開いたままのノートは、白紙を晒し、ぼくを責めるでもなく、ただそこに在った。
ペンはまだ温もりを持っているのに、指先はそれを握ろうとしなかった。
外からは生活音が流れ込んでくる。
誰かが階段を上る足音、隣室のドアが閉まる音、遠くで子どもの笑い声。
それらすべてが、自分だけが別の世界に取り残されていることを証明しているようだった。
沈黙は、最初は安らぎに似ていた。
何も生み出さなくてもいい、何も評価されなくていい――
その甘美さに一瞬、身を委ねた。
だがそれはすぐに腐り始め、静けさは重さへ、重さは痛みへと変わっていく。
考えを言葉に変えようとしても、頭の中は霞がかかったようにぼやける。
かつて文章で満たされていた場所は、今や空洞となり、そこに自分の声すら響かない。
声を失ったのではなく、声を出すことを諦めたような感覚だった。
そのとき、不意に思い出したのは、アオイの言葉だった。
「ねえ、あなたは黙っていても生きていけるの?」
あの問いが、沈黙の底で鈍く光った。
ぼくは答えられなかった。
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