第44話→アレンの運極

二度目の人生が始まったとき、アレンは前の人生とは違う“満ち足りた感覚”を体の奥に感じていた。胸の中心に、あたたかな光が灯っているようだった。自分でも理由はわかっていた。これは天界で与えられた加護――“運(極)”だ。


 転生した世界は前回とは違い、牧歌的な小国の町だった。人の往来は穏やかで、子どもたちの笑い声が風に乗って届く。アレンはまず小さく息を吸い込んで、自分の心と体が軽くなっているのをはっきりと実感した。


 その日の朝のことだった。

 街道沿いを歩いていると、草むらの中に袋が落ちていることに気づいた。見るからに重そうな袋で、何かの拍子に破けたのか口が少し開いている。中をのぞくと――ぎっしりと金貨が詰まっていた。


「……本当に、ついてるもんだな」


 アレンは驚きつつも、すぐに理解した。これは自分の力ではない。運が、そうさせているのだ。


 市場へ行けば、適当に選んだ野菜が名料理人の目に留まり、買い取られたその日のうちに評判が広がった。

 仕事探しで受けた試験は、ほとんど勉強もしていないのに満点だった。試験官は「こんな才能が隠れていたとは」と何度も首をかしげていた。


 さらに、働き始めて間もない頃――倉庫で棚の荷物が崩れ落ちたとき、アレンの頭を直撃するはずの木箱は、なぜか途中で角度を変えて床に落ちた。


「……なるほど。運ってこういうことか」


 最初は驚きだったが、次第に“当然の流れ”のように受け止めるようになっていった。


 小さな商会で働き始めてからは、その現象はさらに顕著になった。アレンが担当する仕事は、なぜか客足がよく、偶然にも好条件の契約が舞い込む。ミスをしても、そのミスを帳消しにするような“偶然の幸運”が必ず起きた。


 周囲は最初こそ驚いていた。


「アレン、お前……すごいな」

「何をしても運が向いてくるって感じだ」


 だが、アレンはいつしか努力しようとしなくなっていた。


「まあ、うまくいくからな。俺がやると」


 その言葉には、前の人生の謙虚さはもうなかった。


 周囲の反応も変わっていく。


「あの人、なんか余裕ぶってる……」

「努力してる人たちの横で、なんだか……居心地悪いな」

「別に悪い人じゃないけど、なんか……距離を置きたい」


 アレン自身はそんな噂に気づいていなかった。彼の中では、すべてが“楽に転がるのが当然”となっていたからだ。


「努力って……いらないんだな」

 いつからかそんな考えが当たり前になっていった。


 生活はどんどん乱れていった。

 毎晩のように酒を飲んで寝落ちし、朝は遅く起きる。食事も適当に済ませ、調子が悪くても医者に行く気は起きなかった。どうせ運が守ってくれる――そう思い込んでいた。


 実際、どれだけ無茶をしても、致命傷にはならなかった。階段を踏み外せば麻袋の山に落ち、夜道で転んでも偶然助けられる。ときには強盗に絡まれそうになったこともあったが、その瞬間だけ通り雨が降り、強盗たちは勘違いして逃げていった。


 アレンは笑って言った。


「すげぇな、運って。全部どうにかなる」


 だがそれは、外側の出来事だけだった。

 内側――心と体の荒みまでは、運は守ってくれなかった。


 気づけば、アレンの周囲にはもう誰もいなかった。


 ある晩、アレンは酒の残る体でベッドに倒れこむように寝転び、天井を見ていた。胸が痛み、息が苦しい。動悸がひどく、汗が止まらない。


「……なんで……だよ。運の加護があって……死ぬはず、ないのに……」


 運はどんなに外側を都合よくしてくれても、積もり積もった無理と怠惰までは帳消しにできなかった。

 二度の人生で初めて、アレンは“運には限界がある”と理解した。


 その理解は、彼が息を引き取る直前、わずかな後悔とともに訪れた。


「……なんも……残らなかったな……」


 静かな部屋で、彼の二度目の人生は終わった。


 次の瞬間、光の奔流がアレンを包み、天界の高い空の下へと連れ戻した。

 白い大理石の階段を降りた先、シンとラニアが立っていた。


 ラニアはアレンを見るなり、胸に手を当ててほっと息をついた。


「アレン様……お帰りなさいませ。二度目のご生涯、いかがでしたでしょうか……?」


 その声は慈愛に満ちていたが、どこか悲しげだった。

 アレンはうつむき、ぽつりと言った。


「……ひどいもんでしたよ。何でもうまくいった。楽だったのに……何も、残らなかった。最後は、一人で……何がしたかったのかもわからなかった」


 シンは目を閉じ、静かに答えた。


「アレン。運は結果を操る“外の力”だ。

だが、人が歩む気持ちや在り方までは導かん。

お前は歩くことをやめた。ゆえに道の途中で止まってしまったのだ」


 ラニアがアレンの肩にそっと触れた。


「アレン様……わたしたちは“運がすべて”とは申しませんでした。

ですが……アレン様はそう受け取ってしまわれたのですね……」


 アレンは力なく笑った。


「……怖かったんだ。努力しても報われないのが。

前の人生、あんなに頑張ったのに、何も残らなくて……」


 シンはその言葉に一切の否定をしなかった。

 ただ静かに、次の選択を示した。


「ならば次は、運を少し弱めよう。“極”では重すぎた。

今度は……“中”程度にしてみるか」


 ラニアが慌てて振り返る。


「し、シン様! ですから、いきなりではなく調整をですねっ……!

アレン様に合う形に、もっと段階を踏むべきですっ!」


 必死に両手を振るラニア。

 それを見てアレンは思わず吹き出し、肩を震わせた。


 その笑い声は、二度目の人生のどの時よりも軽く響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る