第43話→創造神と努力家の男

努力さえすれば、人生は必ず開く。

アレンはずっとそう信じて生きてきた。


生前、貧しい家庭に生まれた。

親は働きづめで、兄弟たちの世話はほとんどアレンが担った。

時間を削り、本を開き、必死に勉強した。

学校が終われば働き、働きながら知識を吸い込んだ。


努力でしか未来を変えられないと思っていた。

実際、変えられた部分もあった。


だが――最後の最後、就職試験の最終面接で倒れ、

そのまま人生の幕が降りた。


「結局……全部、無駄だったのか……?」


そんな弱い声を残して、意識は闇に沈んだ。


◇ ◇ ◇


天界。

白く柔らかい光に包まれた空間に、アレンの魂が立っていた。


「起きたか」


腕を組んだシンが言う。ぶっきらぼうだが、どこか人間臭い声だった。


「……ここは?」


「天界。お前はもう死んでる。まあ、死後処理ってやつだ」


アレンは静かに息を吐き、納得したようにうなずいた。


「努力したんだがな……あれだけ頑張って、最後に倒れて終わりか」


ラニアが近づき、優しい声をかけた。


「努力の痕跡が、あなたの魂に強く残っています。立派な生でしたよ」


「そうか……ありがとう。だが結果はついてこなかった。

 努力さえすれば、いつか報われると思っていたんだが」


アレンは淡々としていた。

悔しさより、ただ“虚しさ”が心を占めていた。


「転生するか?」

シンが問う。


「できるのか、それが」


「魂の質次第だ。お前の魂は、まだ折れてない」


アレンは少しだけ笑った。


「折れたら、もう言葉も出ないさ。俺は……もう一度挑戦したい。

 今度こそ、努力が報われる世界で生きてみたい」


「望みは?」とシン。


「努力すればするほど強くなる力だ。

 誰よりも頑張ったら、誰よりも強くなる……そんな世界なら、やってみたい」


「よし。

 じゃあ【精進の器】をやる。努力した分だけ能力が伸びる才能だ」


アレンの目がわずかに輝いた。


「今度こそ……あの壁を越えてみせる」


ラニアが光を放ち、アレンの魂は新しい世界へと転生した。


◇ ◇ ◇


アレンが生まれた村はケルノ。

自然豊かで素朴な村だった。


彼は幼少から、能力が伸びることに気づいた。

走れば脚力が伸び、木剣を振れば腕力が増し、

読書すれば魔法の基礎理解が深まる。


努力するほど、彼は強くなった。


「アレンはすごい子だよ」

「毎日毎日、よく頑張るねぇ」


村の人は優しく、アレンもその優しさに救われた。

努力は裏切らない。

その確信が日々、強くなっていった。


青年になると、アレンの力は村一強かった。

魔法も剣術も、人一倍の熱量で学んだ。


――すべては、この村を守るために。


生前、守りきれなかった家族。

今度こそ、守れる強さを手に入れたかった。


ある夜、アレンは修練を終え、山の尾根から村へ帰ろうとしていた。

その時、黒い煙が夜空に立ちのぼった。


村の方向だった。


「まさか……!」


アレンは走った。

身体は鍛えてある。

脚力も人よりはるかに強い。


だが――


間に合わなかった。


ケルノ村は炎に包まれ、焼け、崩れ、

人々は山賊に斬り殺されていた。


「あ……ああ……」


アレンは膝から崩れ落ちた。


努力は、裏切らなかった。

彼は確かに強くなっていた。

だが――必要なときに村にいなかった。


それだけで、すべては無に帰した。


「守るために努力したのに……!

 どうして……!」


誰も答えない。

燃え上がる炎が、努力の価値を静かに焼き尽くしていく。


その時、背後から山賊が襲いかかった。


「まだ生き残りがいやがったか!」


アレンは反射的に剣を抜いた。

だが――その刃は敵に届く前に、別の刃が彼の腹を貫いた。


「……あ」


油断ではなかった。

力量も足りていた。

ただ、煙で視界が悪かった。

ただ、敵の足音が聞こえにくかった。


ただ、運が悪かった。


アレンは膝をつき、そのまま地に伏した。


「努力……じゃ、足りなかったか……」


夜風が炎を揺らし、アレンの意識は暗闇へと溶けていった。


◇ ◇ ◇


 意識がふっと軽くなる感覚のあと、アレンは静かに目を開けた。そこには、雲海がゆるやかに流れる透明な世界が広がっていた。どこまでも澄んだ空と、柔らかな白光。地上とはまるで違う、なにもかもが静かで、優しい。


「……また、ここか」


 自分でも驚くほど落ち着いた声だった。

 一度ここで転生したことがある。その時の記憶が、胸の奥に薄く残っている。


 足音がする。振り返ると、天衣をまとった青年──シンがこちらに歩いてくるところだった。創造神であり、この天界の主でもある存在だ。堂々とした気配をまといながらも、どこか人間に近い優しさを感じさせる眼差しをしている。


「戻ってきたか、アレン」


 その後ろから、白銀の髪を揺らしてラニアが慌てて駆け寄ってくる。


「あっ、アレン様、お、お帰りなさいませ……ます! いえ、失礼いたしました、落ち着きます……はい……!」


 シンがちらりとラニアに目を向ける。


「ラニア。深呼吸しろ。転生者の前だ」

「は、はいっ……すみません、シン様……!」


 転生者相手であればいくらか落ち着いている彼女も、シンが横にいるとどうにも挙動が怪しくなるらしい。

 アレンは、小さく笑った。


「二人とも、ただいま」


 その言葉に、ラニアはようやく穏やかな笑みを見せる。


「おかえりなさいませ、アレン様。辛い旅だったと……お察しします」


 アレンは視線を落とした。


「辛い、なんてもんじゃなかった。努力しても努力しても……最後には届かなかった」


 静かだがしっかりとした声音。

 悔しさというより、深い疲れが滲んでいた。


「努力はした。毎日、誰よりも。それでも……最後は“偶然”で決まった」


 アレンの脳裏に、地上での最期が浮かぶ。


 何千回も繰り返した剣の振り。

 肉体の限界を超える鍛錬。

 仲間を守るための行動。

 誰かの命を救うために、積み上げてきた日々。


 ──だが。


 最後の戦場で、瓦礫の上に立ったその瞬間、足元の石が崩れた。

 ほんの小さな欠片が転がっただけだった。

 一つの偶然。

 たったそれだけで、敵の刃が逸れ、自分の胸を貫いた。


「……あれで、全部が終わった」


 ラニアがそっと言葉を添える。


「努力は、確かに報われるとは限りません。ですが……その努力は決して無意味では……」


「わかってる。無意味じゃない。意味はあった。だけど……」


 アレンは首を振った。


「結果を決めたのは“運”だった。努力じゃなかった」


 シンが静かに口を開く。


「アレン。努力は成功の確率を高める行為だ。それ以上ではない。結果を保証するものでもない」


「……だよな」


「お前は努力を怠らなかった。それでも敗れた。それは、お前が弱かったからではない。運が敵に偏っただけだ」


 アレンは目を閉じ、細く息をついた。


「だったら……だったら俺は、運が欲しい」


 ラニアがわずかに驚いた顔をしたが、すぐに落ち着いて向き直る。


「あの……努力を否定されるわけでは、ないですよね?」


「否定はしない。努力には意味がある。でも、それだけじゃ戦えないことを俺は知った。最後に世界を動かすのは……運なんだ」


 シンは一瞬、遠い空を見るように目を細めた。


「運を求める転生者は珍しくない。だが“運だけ”を望む者は少ないぞ」


「……それでも、欲しい」


 アレンは強い声で言った。


「努力はもう十分した。次の人生で同じ思いをしたくない。報われない努力に潰されるのは……もう嫌だ。運さえあれば……俺は違う生き方ができるかもしれない」


 ラニアはわずかに眉を寄せる。


「アレン様……運を手に入れれば、すべてが簡単に感じられてしまう方もいらっしゃいます。努力を軽んじてしまう危険も……」


「わかってる。でも、それでも……欲しいんだ」


 シンは長い沈黙のあと、アレンをまっすぐ見つめた。


「ならば与えよう。《運極》──運という概念の極致。世界のあらゆる流れがお前に傾く力だ」


 アレンの身体がふわりと光に包まれる。


「ただしアレン。運を得れば、世界は変わる。成功が当然となり、失敗が遠のく。人は成功に慣れると、努力を忘れがちだ」


「ああ。それでもいい。次の生では……“報われない”という恐怖から解放されたいんだ」


 ラニアがそっと手を合わせ、祈るように言葉を紡ぐ。


「どうか……次の生でも、ご自身を見失われませんように。運を持っても、アレン様はアレン様でいられますように」


 彼女の声はとても穏やかで、揺らぎがなかった。

 シンの前では慌てる彼女だが、転生者に向ける眼差しは誰よりも優しかった。


「ありがとう。二人とも」


 アレンは小さく微笑んだ。


「今度こそ……楽に、生きられるといいな」


 光が強くなり、アレンの姿はゆっくりと消えていく。


 ──そして静寂だけが残った。


「……シン様。アレン様は、本当に大丈夫でしょうか」


 ラニアは不安げに尋ねた。


「さてな。運を極めた者は、成功を当然と受け止めるようになることがある。だが、それは本人次第だ」


「アレン様は真面目で……とても頑張り屋さんでしたのに……」


「真面目であるがゆえに、報われる快感に弱くなる。人は“痛み”から解放されると、別の歪みに呑まれやすい。……まあ、そこをどう乗り越えるかだな」


 ラニアは両手を胸の前でぎゅっと握る。


「どうか……アレン様が幸せな道を歩まれますように」


「結末は本人が決めることだ。俺たちができるのは、それを見届けることだけだ」


 シンは静かに空を見上げた。

 その瞳は、どこか期待と不安が入り混じっていた。


「さあ……次の世界で、どう生きるか。楽しみにしているぞ、アレン」

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