第29話→転生者ユウと運の定義

目を開けると、青い空と白い雲があった。

 足元の草はやけに鮮やかで、風が心地よい。

 だが、胸の奥で感じる違和感が一つ。

 ――ここが、俺の奪われた“運”の源か。


 名前は“ユウ”。平凡な冒険者の少年として、俺は生まれ変わっていた。

 街の外れで孤児として拾われ、日雇いをしながら生きていた。

 この世界では「神の加護」がすべてだという。

 強さも、美貌も、金運も、すべては“幸運神リディア”の加護がある者に集まる。


 そして、その中心にいたのが――彼女だった。



 リディア。銀髪に蒼い瞳の、聖女と呼ばれる存在。

 彼女の周りには人々が絶えず、どんな困難も彼女の笑顔で解決されていった。

 その美しさも清らかさも、まるで絵本の中の“理想の勇者”そのもの。

 ――ただし、俺の幸運を奪って成り立っているという点を除いて。


 俺は目立たぬまま、彼女の勇者一行に紛れ込んだ。

 彼女は俺の存在に興味も示さず、むしろ影のような扱いだった。

 だが、それでいい。俺の目的はただ一つ――“取り戻す”こと。



 ある夜、宿屋の外。

 満月が白く輝く中、俺はリディアの背後にある“光の糸”を見た。

 シンの見せたあの映像と同じ。

 勇者の背から、数多の光が伸び、空気中に溶けていく。

 そして、その一本が俺の胸を貫いていた。


 ――まだ、繋がってるのか。


 気づかれないように手を伸ばし、糸に触れた瞬間、眩い光が弾けた。

 視界に流れ込むのは、彼女の記憶。

 勝利、祝福、笑顔、感謝――全部、俺が失った幸福の形。


 胸の奥で、何かが切れた音がした。



 数日後、俺たちは魔物の群れに囲まれた。

 勇者一行は混乱し、聖女リディアは光の盾を張る。

 「私がいる限り、この世界は守られる!」

 そう叫ぶ声に、人々は再び歓声を上げた。


 だが、その加護は――今、俺のものだ。


 掌を握ると、糸が逆流した。

 長年奪われていた幸運の奔流が、体の奥に戻ってくる。

 世界が変わったように見えた。

 敵の動きが止まり、風の流れさえ読める。

 俺の一歩が、運命そのものをねじ曲げる。


「な……なにを……!」

 リディアが振り返る。

 その瞳の奥に映る俺は、もはやかつての“踏み台”ではなかった。


「俺の人生、返してもらう」


 光が弾け、聖女の加護が砕け散った。

 祈りも、神聖な輝きも、すべて霧のように消えていく。

 リディアはその場に崩れ落ち、震える声で呟いた。


「どうして……世界が……私から離れていくの……」


 俺は答えなかった。

 ただ一歩だけ彼女に近づき、静かに目を閉じた。

 ――これで、ようやく“ゼロ”だ。



 その日を境に、世界は変わった。

 聖女リディアの加護が消え、人々は「神に見放された」と嘆いた。

 だが、不思議なことに、街の人々の表情は以前より穏やかだった。

 誰かが奪われることもなく、ささやかな幸せが均等に広がっていた。


 俺は一人、丘の上に立って空を見上げた。

 「……不思議だな。幸せって、取り返すと案外静かなもんだ」


 風が吹く。遠くで鐘の音が鳴る。

 懐かしい声が脳裏をよぎった。

 ――「今度こそ、幸せを掴んでくださいね!」


 ラニアの言葉だ。

 俺は、少しだけ笑った。



 その夜。

 天界の執務室で、シンが報告書を閉じた。


「やれやれ……また一人、面白い転生者がいたもんだな」

「ユウさん、どうなったんですか?」

 ラニアが目を輝かせて尋ねる。


「奪われた幸運を取り戻し、静かに生きてる。もう運は吸われないさ」

「よかった……!」


 ラニアが胸をなで下ろす。

 シンは小さく肩をすくめ、天を仰いだ。


「結局、“幸運”ってやつは奪い合うもんじゃない。

 ……自分で噛み締めるもんだろうな」


 書類の上に一枚の羽根が落ちた。

 そこには“幸運値:正常”の文字。


 シンはわずかに口元を緩めた。


「まぁ、今回は珍しく……後味が悪くないな」


 静寂が戻る。

 天界の夜は、今日も穏やかだった。

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