第14話→本当に大切なもの

男は転生後の世界に立っていた。


「……またか」


景色は新しいのに、胸に浮かぶ感覚は既視感ばかりだ。人々の笑顔も、戦いの興奮も、恋の高揚も、全部手垢のついたフィルムのようにかすれている。


「ここで、また一から始めるのか……」


心の奥で小さく溜息をつき、男は歩き出す。剣を握る手にも力が入らない。無双の力も、魔王を討つ力も、すでに知っている。だからこそ、何をしても刺激が薄く、人生が色褪せて見えるのだ。


「普通の喜びなんて、もう満足できないな……」


そう呟く彼の耳に、かすかにラニアの声が届く。


「神様……あの、また来ました……常連様」


「そうだ」男は振り返らず答えた。「いや、今回は挨拶も必要ないか。もう慣れすぎてる」


ラニアは少し寂しそうに眉を寄せる。


「……神様、こんなに転生を繰り返しても、満たされないのは……」


「わかっている。彼も、自分でそれを理解している」


シンが小さく呟く。腕を組んだまま、淡々とした目線で男を見下ろす。


「……あぁ、わかってる。だが、もう止まれない」


男は苦笑する。いくら世界を変え、英雄になり、恋も知り、金も権力も手に入れても、心の奥は満たされない。何をやっても掠れたフィルムテープを見ているようだ。


唯一、死の瞬間だけが、生を感じさせる。あの刹那、体を突き抜ける感覚、心臓の鼓動の重さ、肉体の痛みと恐怖――全てが「生の実感」として迫る。


「……やはり、死は悪くない」


男は独りごちた。だがそれも刹那的な快感でしかなく、根底の孤独や退屈は消えない。


「ならば、どうする?」

シンが静かに問う。


「どうもしようがない。俺はすべてを知りすぎた。もう驚きも感動もない」


「その中で、何を求める?」


「……生きている感覚か。死の瞬間でしか、それを味わえない」


ラニアが目を大きくして聞く。


「……そんな人生、幸せなんですか?」


男は微笑んだ。


「幸せ? いや、違う。ただ……生きているとは感じる。だが、それだけだ」


シンは黙ったまま男を見つめる。静かな空気の中、観測窓も何もない、直接の面談だからこその緊張が張り詰めている。


「……それで、本当に大切なものは何か、わかってるか?」シンが低く言った。


男は目を細める。


「……大切なもの? 何だろう。力か、名声か……いや、違うな。何にも替えられないもの……」


「あぁ、そうだ」

シンは頷く。


「最初に生きた時の記憶。何の変哲もない、サラリーマンとしての人生。狭いアパートで、家族と笑いあった日々。お前の生き様を見ていたが、その時が1番幸福だったように思うぞ」


男の瞳に光が戻る。心の奥に、幼い頃に抱いた温かさが、淡く蘇る。


「……あの時、俺は生きていたんだな」


「そうだ。死も転生も、すべてはその尊さを理解するための手段だったのだ」


男は微かに笑みを浮かべる。孤独や退屈に耐えながら、十九回も人生を経験した彼だからこそ、初めて気付いた真実。


「……結局、何もかも経験しても、これに勝るものはないのか」


「そうだ。真の幸福は、特別な力や名声ではなく、ありふれた日常の中にある。それを知った者は、もう失敗しても構わない。あとは、心を壊さぬよう生きればいい」


男は深く息を吸い込み、肩の力を抜いた。


「……わかった。なら、また一歩、進んでみるか」


ラニアは少し戸惑いながらも、安心したように頷く。


「シン様……この方は、本当に……」


「もう放っておけ」

シンは冷静に言った。


「理解できるのは本人だけだ」


光が再び男を包み、転生の準備が整う。彼は最後に振り返り、微笑む。


「……また来るよ、神様」


「……もうお腹いっぱいだ」


シンは小さく吐き捨てた。腕を組み直し、疲れた顔で天井を見上げる。


ラニアは小さくため息をつき、散らかった書類を拾いながらつぶやいた。


「……十九回も生きるなんて、どんな人なんでしょう」


「常連……いや、特異な魂だ」

シンは静かに答えた。


光が消え、男は再び世界へと消えていった。しかし、今度は心にほんの少しの満足と覚悟を抱えている。初めて、十九回目の人生が意味を持った瞬間だった。


「……さて、次は誰だ」

シンは呟き、観測窓でも書類でもなく、直接、次の魂の行く末を見据える。


――転生の連鎖は続く。人々の物語は、またここから始まるのだ。

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