第3話 子供2人では無謀

 夜の闇の中、晩秋の山岳地帯での冷たい雨は、昼間に温まった岩の熱も急速に冷ましていった。


 裸に薄い布の服を被って、身を寄せ合った波差と多羅にとって、急激な気温の降下は、今まで経験した事が無い事態だった。

 

 やっと雨は止んだが、冷え込む寒さは、命の危険を感じる冷たさだった。

 

 歯の根も合わない程に、ガチガチと震えながら、寒さに耐えていた2人だったが、あまりの寒さに、たまらず波差は、自分の体のあちこちを平手でバンバン叩き始めた。叩いた箇所が温まっていく気がした。

 そんな波差の様子を、気でも違ったかと、不安そうに多羅が見つめた。

「おい、自分で自分の体を、叩け。少しは温まる気がする。」

「はあ?!」

「いいから!このままだったら、凍え死ぬぞ。」

波差がそう言うので、しぶしぶ多羅も、体を優しく叩いてみたが、その動作をするのも寒くて、すぐに縮こまった。

「むり……。」

そんな多羅の背中を、容赦なく波差は平手でバンバン叩いた。

「痛いよ。やめて……。」

そう言って泣き始めた多羅だったが、強く抵抗する事はなく、波差からあちこち叩かれるままに、じっとしていた。


 傍から見ると、ほぼ全裸で膝を抱えて泣く友達を、悪ガキが容赦なく叩きまくっているように見える。

 波差は、自分を叩く合間に、多羅も叩いた。



「何の音かと思って来てみたら、何でこんな所に、裸の子供がいるんだ?」

夜の闇の中に、小さなカンテラの灯りを下げた老人が立っていた。側には、毛むくじゃらで子熊のように大きい犬を連れている。


 波差は、ギョッとした。だが、老人の声音の優しい感じが嫌ではなかったので

「村が夜盗に襲われて、逃げて来ました。」

正直にそう答えた。

「どこの村か?」

「粟稗きび村です。」

「……大人は?」

「……。」

波差は答えられなかった。まだ、母さんは生きていると信じたかったから。


「子供だけでこの山を越えるのは、無理だ。……付いて来なさい。」

老人は、そう言うと、波差に手を差し伸べた。波差はその手を取った。

 半分眠りこけている多羅は、もう自力で立ち上がる力が無いようだった。

「もう1人は、このままここで眠らせよう。」

「えっ?」

「山を夜に歩くのは危ない。自分で歩けないなら、置いて行くしかなかろう。」

「そんな……。」

寄りかかっていた波差が立ったので、多羅は、ぐにゃりとして地べたに寝ながら震えていた。それでも、目を開けない。

「僕が、僕が背負って歩きます。」

波差にとって、ここで多羅を見捨てる事はできなかった。どうしても。

 あの村の生き残りは、僕と多羅だけかも知れないのに、ここで置いて行くなんて出来ないと、波差は強く思った。

「……そうか。付いて来れないようなら、置いていくぞ。」

「はい。」


 波差は、自分の服を、多羅にしっかりと着せ、下履きまで履かせた。そして自分は、多羅の濡れた服を着込んだ。濡れた服はそのまま半分氷っていたが、それでも、その服を着込んだ。

 老人と犬は、波差の準備が整うのを待っていてくれた。


「さて、行こうかの。」

老人は、犬に声をかけた。

 地面に丸まって眠っていた犬が、むっくりと起き上がって、老人の後ろに付いた。

 

 暗い足元は、雲の合間から照らす月明かりを頼るしか無い。

 老人は、自分の足元をカンテラで照らしながら、ザラザラと崩れやすい足場をひょいひょいと歩いて行く。


 波差が足を滑らせると、倒れる側に犬が居て、必ず波差と、背の多羅のをその大きい背中で受け止めてくれた。

 

 波差の足運びが分かった犬は、だんだんと滑る前に波差の前に出て、止まって注意を促すようになっていた。その度に

「ありがとう。」

そう犬に、お礼を言って、笑いかけた。

「ふん。」

老人は、そんな犬の様子に、鼻を鳴らした。


 老人の足に遅れないように、必死で歩く波差だったが、とうとう、尖った小石の刺さったままの足の裏の痛みで、歩く事が出来なくなった。

 歯を食いしっばって、痛みに耐えていたが、もう、1歩が出ない。

 涙が、頬を伝った。


 老人の持つカンテラの灯りは、もうずっと前を進んで行く。


 すると、犬が

「オン、オン!!」

と2度吠えた。そして、もう2回、同じように吠えた。

 老人の持つ灯りの進みが止まった。

 犬が、また吠えた。

 

 灯りが、恐ろしいほどの速さで戻って来た。


「おい!どういうつもりだ。お前、この儂に、子供を負ぶえと言うのか?!」

老人は、犬に向かって吠えた。散々悪態をついたが、テコでも動かない風情の犬は知らん顔をしている。

 とうとう

「分かったよ。お前の勝ちだ。」

そう言って、犬の頭を撫でた。犬は尻尾を振って答えた。


 

「おい、お前。名前は?」

老人は、ぶっきら棒に聞いてきたが、波差はその声が優しい事が分かった。

「波差です。」

「年は?」

「10回の春を迎えました。」

「背中の子は?」

「多羅と言います。同じ年に生まれました。」

 老人は、ふむふむと頷いて、多羅の顔に手を当て、首に手を当て、様子を見た。

「波差と言ったな。お前は、犬に跨れ。名は、流熊(リュウユウ)だ。」

「あ、はい!」

「多羅とやらは、儂が負ぶう。」

老人はそう言うや、ひょいと多羅の肩を引き寄せると、あっさりと負ぶった。


 乗りやすいように、波差の前に伏せてくれている流熊の背中に、波差は恐る恐る跨った。とてもふかふかの毛で、暖かかった。

「流熊、よろしくお願いします。」

思わず、波差は挨拶した。犬は、嬉しそうに尻尾を振った。


 そこからの道程は、あっという間だった。

 急峻な山道の登りであるにもかかわわらず、老人と犬は流れるような速さで駆け抜けて行った。

 道なき道を登っていたが、途中から平坦な道に入り、少し下って、沢の流れる音が聞こえて来た所で、立ち止まった。

「着いたぞ。」


 そこは、夜目にも鬱蒼とした木々の合間にある、岩をくり抜いたような見た目の壁に、目立たない扉がポツンとあるだけの住まいだった。

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