旅夜の情事 - 弍 *


 火鉢の赤い光が、木賃宿(キチンヤド)の小さな部屋をほのかに照らす。竹の簾が春の夜風に揺れ、畳の青い香りが漂う中、鬼の唇が巫女の唇を優しく捉えた。


「……っ…ふ、…ん……//」


 壁際で逃げ場のない彼女の小さな吐息が、鬼の熱い息に溶け合う。


 口付けは深く、柔らかく、まるで彼女の心をそっと解くように、丁寧に重なる。


 鬼の舌が巫女の唇を割り、彼女の甘い内側を味わうように滑り込む。ゆっくりと絡み合い、彼女の震える吐息を吸い取る。


「もっと口を開けろ……!」


 鬼の大きな手が、巫女の頬を包み、銀色の髪が彼女の黒髪に絡んだ。


 彼女の唇が震え、恥じらいと信頼が混じる琥珀色の瞳が鬼を見つめる。


 口付けは一度離れ、再び重なり……彼女の唇を愛おしむように何度も吸い、柔らかな感触を確かめた。


 そしてズルりと腰がずれて頭が下がった巫女の上に、鬼が被さった。


「ハァ………待っ……ぁっ…て……!」


 深い口付けが途切れた隙に巫女が囁く。


 声は震え……頬は紅潮している。


「ん……?」


「やっぱ り……その……先にっ…身の清めを……!人の姿をしているわたしは、あなたと違って旅の汚れが付いております…から…っ」


「汚れ? お前にか?」


 恥ずかしい気持ちを堪えて言ったのに、鬼はまったく気にならないという様子だ。


「…っ…長く山道を歩いた後なのです!」


「気にするな。それに昼刻、川で水浴みをしていただろう」


「しましたが…、……え? まさか…それも見ていたのですか?」


「ああ」


「……//」


「悪くない景色だった」


 悪びれず即答する鬼に、巫女の顔がさらに赤くなる。


 鬼は面白がるように胸元に鼻を寄せ、クンと匂いを嗅いだ。


「ぇ……ゃ……// 嗅がないでください」


「ハァー……お前からは俺を誘う匂いしかしないのだがな」


 熱い息を吐き出し、鬼は巫女の肌に口付けた。


 唇が肌に触れるたび、熱い感触が彼女を震わせる。


 彼は繰り返し口付けて痕がつくほど強く吸い付いた。白い肌に赤い花のような痕が咲き、巫女の身体がびくんと怯えた。


 彼女の吐息が甘く乱れて、よじる巫女の身体から…徐々に力が抜き取られた。


「そもそも気になるなら…お前も人間の擬態を解き、もとの姿に戻ればいいだろう」


「それっ…は……こんな人里で、できません」


「今は誰も見ておらん」


「……//」


「どうかしたか」


 顔をそむけた巫女の黒髪を……鬼が指ですくい、横顔を覗いた。



「だってあなたが──……スル、……カラ」



「……?」



「……だから……! 変化をといたら、あなたが……尻尾を苛める……から」



「……フッ、ああ…そうであったな」



(恐ろしい女だな……)


 この彼女の表情がどれだけ鬼の理性を狂わしているのか、巫女は気づいていない。


「確かに……戯れでお前の尾を撫でてやったら、目を潤ませて震えておったな」


 鬼は過去の悪戯での彼女の反応を思い出し、黒笑した。


「あれは悪くなかった。おい、変化を解け」


「ぃ…//…嫌です! 絶対にときません!」


「絶対か……ククク」


「あ…っ」


 鬼は彼女の足を掴み、壁際の身体を引き寄せた。


「お前が拒むなら…剥ぎ取るだけだぞ?」


 鬼の口元が妖しく笑う。そして優しく愛撫をほどこした。


 彼女の身体がびくんと反応する。


「‥ぅ‥‥//‥ふぅ‥‥‥ん‥‥っ」


「……?」


(声を抑えている?)


 両手で口を押さえ、必死に耐える巫女。


(そうか、外の人間どもに声を聞かれない為か……)


 スゥ───


 鬼は片手をひるがえし、部屋に簡易な結界を施した。


 空気が一瞬揺れ、簾が静かに止まる。


「これで外の人間に俺たちの声も姿も届かぬ……どうだ? もっと乱れて俺を誘ってみろ……!」


 それでもまだ声を抑えようとする巫女。外に聞かれるかどうかにかかわらず、快楽への羞恥が彼女をそうさせるのだ。


(そんなお前の抵抗が…俺の加虐心を膨らませると知らんのか)



 もっと感じさせて、追い込みたい。


 彼女を愛おしむ想いが……鬼の情欲を膨らませる。




「──お呼びですか、鬼王さま」



「‥‥ぇ、ぇ‥?」



(いま、の声、なに‥‥!?)



「なっ‥//‥‥なんで、すか、あなた‥‥!」


「俺の式鬼だ」


 快楽に染まる頭に、突然、鬼ではない別の声が届き、巫女は瞠目(ドウモク)する。


 つとめて冷静な様子でそこにいたのは鬼が使役する式鬼(シキ)だった。


「隠す必要はない。こいつは俺が術で生み出した…俺の分身のようなモノだ」


 はだけた胸元を咄嗟に隠した巫女を、鬼が優しく抱き起こす。


 分身……!?


 そう言われてたところで、恥ずかしさは消えない。


「丁重に可愛がれ」


「かしこまりました」


 巫女の恥じらいを置き去りに、鬼が式鬼(シキ)へ命令する。


 鬼はあぐらをかいて座り、片脚に巫女を座らせ、腕を腰に回した。正面に座る式鬼へ丸見えの体勢。これではふたりの情事を見せつけているようだ。


 だが式鬼はいたって冷静なまま──。


「お召し物が駄目になっては巫女さまが困りましょう。鬼王さまが引き裂く前に脱がします」


「やめて‥‥っ‥」


「ご安心ください。申し上げましたように私は鬼王さまの分身…。普段から鬼王さまとはあらゆる感覚を共有しております故──」


「か、感覚‥‥共有‥‥??」


「ええ、貴女の身体の感触はソトもナカもすでに知るところで御座います。今さら恥じらおうと無意味かと」


「‥‥‥ッ」


 言われていることに理解が追いつかず、巫女は目眩(メマイ)に襲われる。


 その混乱は、ふたりの男に同時に触れられたことで加速した。


「‥そんな‥‥ど うして‥‥‥‥!」


 きちんと説明してほしい

 逃げたい


 そんな彼女の思考は、一気に追い出された。


 戸惑うばかりの声が甘く跳ねる。式鬼はこちらを見ないが、鬼の光る目は彼女を見上げ、溶けていくさまを監視していた。


 そんなふうに見詰められると…ますます昂ぶる熱がある。


 卑猥すぎる光景に耐えきれず、巫女は目を閉じた。


 羞恥と快楽で、巫女の目から涙が零れる。声をおさえる余裕がなくなった巫女は、置きどころのない右の手を鬼の肩に回した。


 震える手が彼の衣の襟を掴んで引っ張ると、鬼の着衣が乱れた。


 膨れ上がる快楽に怯えて彼の襟元を強く握るが、どくどくと侵食する疼きは抑えられない。


 桃色の舌を突き出し、苦しそうに息を乱す彼女に、吸い寄せられるように鬼が口付けた。


「ん、ふぅ‥ッ‥??」


 首を仰け反らせ、鬼に口を塞がれる巫女。


 一方で、式鬼は愛撫を止めていない。


「鬼王さま。私も……巫女さまの蜜をわけて頂くことは可能でしょうか」


 耳を疑う式鬼の問いに……鬼は答えない。


 だが、声に出す必要がなかっただけだろう。


 式鬼は胸をひと通りいたぶった後、頭を下げた。


「や、やぁぁ‥‥!‥‥‥こんなの、やめて‥‥」


「何故そう駄々をこねる……?そこもたっぷりと愛でてもらえ……」


 巫女の身体が跳ねた。ピチャリと卑猥な音が耳までも犯す。


「…っ…クク…感じているのか…?実に愛い顔だ……しかし、困ったものだな。分身とはいえ気を抜くと……こいつの首を跳ね飛ばしてしまいそうだ」


 口付けの合間に囁かれる鬼の声は、興奮で上擦り、熱い吐息を供する。


 黄金の瞳がぎらりと光り、巫女の乱れる姿を貪るように見つめる。そして鬼は彼女の頭を撫で、口付けを深くした。


 上も下も…同時に貪られる。ふたりがかりの愛撫で、彼女の身体が限界を超えて震え、涙がとめどなく頬を伝う。


 声が甘く高まり快楽にとろける。


「‥ゃぁぁ‥‥っ‥‥//‥は‥‥‥ああ‥‥」


 涙と快感でぐちゃぐちゃに溶けた顔を隠すこともできず、ぐったりと裸体を投げ出し、鬼の腕に預けた。




 ....





「……フッ」



 巫女が目を開けられないでいると、いつの間にか式鬼の姿は消えていた。


 鬼界に戻ったようだった。



「悦かったか……? あいつの、舌は……」


「ぃ‥‥!‥‥意地が悪いです、あなたは‥‥!」


「今更だな」


「‥‥‥ッ」


 睨む力も怒る気力も残っていない。


 赤く染まった身体を震わせながら、こぼれた涙を鬼に舐め取られ、優しく口付けられる。



 パチッ...パチッ



 長い愛撫の間に、部屋の火鉢の火はもう消えかけていた。



「‥‥‥‥‥‥ヮ‥ガキ‥は?」


「……? 何か言ったか」



 その残り火のような小ささで、巫女が呟く。


 鬼が耳を寄せると……


 彼女は震える唇をきゅっと噛み締め、声を絞り出した。



「‥‥うわ がき‥‥‥‥うわ書き‥は‥‥‥!

 して、くださらないの、です、か‥‥‥‥?」



「──…!」



 熱く潤んだ瞳が鬼を見上げる。



 すぐに巫女は顔を伏せ、口をつぐんでしまった。





「………!」



 鬼はこの瞬刻、思考も動きも止まったらしい。



「………っ、フゥーー………!!」



 腹の底から迫り出してくるような重たい息を吐き出す。


 鬼の瞳が燃えるように輝き、鋭い牙が覗く口元が震えた。


 欲情が彼の全身を支配して…漆黒の衣の下で、血管が浮き上がり、たくましい筋肉がさらに膨らむ。



 ....



 巫女の言葉が──鬼の理性を一気に崩してしまったのだ。




「‥‥ッッ‥」



 彼女の肩が反応し、本能的に縮こまる。



「………、お前」


「‥‥‥!?」


「後悔するなよ……!」


 一段と低い声で囁かれる。


 戸惑う巫女の顎を掴み、自身に向けさせた鬼は、睨むような余裕のない目で彼女を見つめる。


 初めから容赦のない執拗さ──。


 鬼は舌ではなく指で、彼女の弱点を責めていった。

 

 今の彼は巫女を傷つけぬよう、鋭い爪をおさめている。


 爪は、鬼の強さの象徴──それを捨てるのは、たとえ一時的であれモノノ怪にとってはありえない行為である。


 それから巫女が何を訴えても甘い責め苦は終わらず繰り返され、身体が可哀想なほど痙攣し、快楽に乱れ、涙が止まらなくなった。


 腰を逃がしたくても、足を動かしたくても、鬼の足でがっちりと固定されて逃げられない。


「どうだ…!?式鬼の舌を忘れるほど狂え…」


 羞恥なんてものを感じる余裕もなかった。


 抵抗も考えられない。


 そんな巫女の顔を間近に見下ろす鬼は恍惚とした表情で、一瞬でも彼女から目を離そうとしない。


「ハァ…ハ……たまらないな……!」


「‥ぅっ♡‥んんん‥‥!」


 悦楽の波が引く猶予もなく、巫女は気を失いかける



(あ………!)



 その瞬間に彼女の擬態が解けかけ、白い尾が一本出てきてしまった。



「ぁ‥‥♡ぁ‥‥♡‥‥‥だめ」


「フゥ……フッ…まだ、これからだろう……!?」


 鬼の欲情は抑えきれず、息が荒くなる。漆黒の衣が彼女の身体で擦れて脱げかけ、男の熱が彼女に直接伝わった。


「床へ手をつけ…──ッ」


 鬼は巫女の身体をうつ伏せにする。彼女は言われた通りに手をついたが、まともに力が入らない。


「ふっ…! やはり尾を触ると…お前の反応が悦くなるな…!」


 無意識に身体が前に逃げる。鬼はそんな細腰を捕まえて引き戻し、仕置きとばかりに尾を厭らしく撫で回した。


 彼女の琥珀色の瞳が潤み、涙が零れ、快感で乱れる姿が鬼の欲情をさらに煽る。


 体重をかけた鬼の律動が激しさを増し


 そのたびに重たい快感が下半身で膨れ上がって、一瞬のうちに弾ける。それが絶え間なく繰り返されるうちに…脳が幸せで麻痺してしまう。


 意識が飛ばないよう、呂律(ロレツ)の回らない舌でナニカ言葉を絞り出そうにも──


 呼びかけられる彼の " 名前 " が無いことが、もどかしかった。


「あっあっ‥ああっ!」


「ハァッ……ハァッ……く……ハァッ」


 鬼の息が荒くなる。剥き出した鋭い牙が彼女の肩にわずかにくい込んだ。


(やはり極上だ……!この女の声、匂い、味、すべて)


 玉の汗が男の額から流れ落ちる。


 巫女の悲鳴が部屋に響き、絶頂が重なる。彼女の白い尾が震え、自らの腕に抱かれて快楽に蕩ける姿が、鬼の本能を極限まで高める。


 鬼は巫女のおとがいをすくい、頭上から唇を奪った。



(もっと欲しい、お前が欲しい……!)



 苦しいだろうに……必死に舌を絡ませる巫女が、健気で扇情的で、愛おしかった。


 この顔を見るだけで、自身の熱がおさまる気がしない。ここまで貪欲に彼女を求める自分の浅ましさに自嘲しつつ、鬼はもう後戻りできなかった。


 目眩がするほど強く求めてしまう。



「許せ……!お前をっ……愛している……!」



 吐息まじりの低音で…男は重たい想いを吐露(トロ)する。


 傷付けられる怒り

 失う恐怖と悲しみ


 それらを知って初めて手に入れた。この厄介な愛情は、永遠に冷めやらぬ呪いである。



(もう、決して逃がすものか……!もう二度と)



 彼女の為ならば、あっさりと世界を焼いてしまえる



 劇薬のように刺激が強く

 同時に、例えようもない心の平穏を与えてくる



 実にやっかいな呪いなのだ。



 鬼の執着は甘い甘い檻となり、閉じ込めた乙女を飽きることなく抱き潰した。



 巫女の色めいた媚声が……一晩中、止まることなく部屋を満たす。白い尾が揺れ、涙と快感で乱される姿が、鬼の心を惹き付けて離さない──。



 つまり檻の中に囚われたのは、ふたり一緒というわけだった。












 ───…







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