人と人
士族に乗っ取られた冬の宮中は、かつての荘厳さを失い、緊迫した空気に支配されていた。
広々とした大殿の床は、黒光りする板間に無数の傷が刻まれ、かつては色鮮やかな几帳や御簾(ミス)も、今はほつれ、煤でくすんでいる。柱には武士の刀が無造作に立てかけられ、華やかな金蒔絵の装飾は、ところどころが剥がれ落ちている。
玉座の周囲には、粗野な声や甲冑の擦れる音が響き、かつて帝の声がこだました空間は、まるで戦場の野営地を思わせる荒々しさをおびていた。
「そこへ座れ」
本来、帝が座るはずの玉座には、領主となった男がふんぞり返っていた。
黒い甲冑に身を包み、腰に佩いた刀の柄に手を置くその姿は、威圧的で、しかしどこか落ち着きを欠いている。
「おぬしが、2日前に捕らえたという、怪しい術をつかう者だな」
領主の声が、広間に低く響く。
目の前で平服する巫女に、ゆっくりと視線を落とした。
「おもてを上げよ」
巫女は静かに顔を上げ、領主の視線を正面から受け止めた。
麻の衣は粗末だが、彼女の清らかな美貌は、薄暗い宮中でも際立っている。長い黒髪が肩に流れ、夕暮れの光がその瞳に映り、まるで星のような輝きを放つ。
領主の目が、彼女の顔から首筋、華奢な肩へとじろじろと這う。
「おお……話に聞いたとおりの美貌だ。おぬし、ただの村娘ではなかろうが?」
「わたしは神職──巫女でございます、ご領主さま」
彼女の声は落ち着いていたが、内に秘めた力強さが滲む。
領主は眉を上げ、興味深そうに彼女を見据えた。
「巫女だと? 都の巫女や法師はみな、人喰い鬼の退治で行方不明になった筈だが、生き残りがいたのか」
「わたしは都ではなく、北の山向こうから来ましたので」
巫女は静かに答え、領主の視線をかわさず受け止めた。
相手は彼女の言葉を吟味するように、じろじろと観察を続ける。甲冑の隙間から覗く彼の目は、欲望と猜疑心が混じっている。
「わたしからも質問をよろしいでしょうか」
そう切り返した巫女の声に、領主は一瞬驚いたように目を細めた。
「申してみよ」
「帝はご無事でございますか」
その真剣な声に、領主の表情が一瞬硬くなる。
「……帝は体調が優れぬゆえに、奥の間にこもっておられる」
「……」
(幽閉しているというわけですか……)
巫女の心に、冷たい確信が走った。だが、帝が存命であることに、ひとまず安堵の息をつく。
これを聞いた彼女の瞳は、領主をじっと見据えて、静かな決意を宿す。
「それよりおぬしの不思議な術というのは……」
領主が話をそらそうとした瞬間、巫女は冷静に口を挟んだ。
「さきの飢饉と疫病で国が混乱したおり、ご領主さまが侍を率いて都に攻め入ったと聞き及んでおりますが」
「ん?」
その言葉に、領主の目が鋭く光る。
「どのような信条で、なさった事なのでしょうか」
巫女はあくまで冷静に、しかし力強く続けた。
「それについてはっ…女が知ることではない」
領主の声には、苛立ちが滲む。しかし巫女は動じなかった。
「わたしは " 女 " ではなく、巫女です」
「であれば尚さらだろう」
領主の声に、明らかな怒りが混じった。彼は玉座から身を乗り出し、巫女を睨みつける。
それでも彼女の意思は揺らがない。
「いいえ。わたしは神の遣いとして、人々を守る立場の者です。ここへ来る前に、苦しい生活を送る村の人を見ました」
領主は皮肉な笑みを浮かべ、声を低くした。
「それを言うならば、あれらを苦しめているのは他ならぬ神ではないのか? もとはと言えば、我らではなく飢饉がきっかけで……」
「いいえ」
巫女の声は、鋭く領主の言葉を遮った。
彼女の大きな瞳が、力強く男を睨みつける。
「神は我々に恵みを与えてくださりますが、もちろん、その恵みは永遠ではありません。神の恵みが途絶えたとき、互いに支え合うのか──貶め合うのか──それを決めるのは
他ならぬ " 人 " でございます」
「……ッッ」
その瞬間、戸口に垂れていた御簾が、一陣の風にあおられ、音を立ててなびいた。
宮中の空気が、まるで彼女の言葉に呼応するように震える──。侍たちがざわめき、領主の顔に怒りの色が濃くなる。
「おぬしは何も知らぬのだ!」
領主は立ち上がり、声を張り上げた。頭に被っていた黒い甲冑を脱ぎ捨て、横に投げる。
「我ら侍は、これまで命をかけて帝をお守りしてきた。だがっ……我らの地位はいっこうに上がらず、贅沢ざんまいの貴族どもから下に見られる、この屈辱的な扱いを!」
その剣幕に、巫女は一瞬怯んだ。
だが、すぐに床についた掌をぎゅっと握り、声を落ち着かせる。
「お察しします」
彼女の声は静かだが、内に秘めた力が響く。
「ですが、自らが虐げられているから、自分よりもさらに地位の低い方々を虐げてよいという道理は、ございません」
「…っ…!? 農民どものことか。畑を枯らし、病を流行らせたのはあれらの責任だ。自業自得というものよ」
「自業自得……?」
領主が吐き捨てた言葉を耳にして、巫女の声に、冷たい感情が滲んだ。彼女はさらに顔を高く上げ、領主を真っ直ぐに見据えた。
「人が人らしく生きる権利は、平等に与えられなければならぬもの。士族も農民も、男も女も、その者の業(ゴウ)も関係ありません。いついかなる時も、理不尽に奪われてはならぬ物です!」
彼女の放つ言葉が、宮中に重く響いた。
部屋の外で待機する侍たちのざわめきが止まり、御簾(ミス)の揺れも静まる。領主の顔は怒りに歪み、しかしその中に、隠しきれない動揺が露呈された。
巫女の凛とした声は、まるで神の光を宿したように輝き、彼女の言葉は宮中の空気を切り裂いたのだ。
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