清らかな巫女は鬼の甘檻に囚われる

弓月 舞

第一章

人喰い鬼の討伐


 はるか昔──とある山村の神社には、強い霊力を持つうら若き乙女がいた。


 彼女は巫女(ミコ)姫。


 モノノ怪や呪いのたぐいを祓い、清める者。その噂は隣の村や、遠く都(ミヤコ)の貴族にまで広く知られる実力だった。


 そして今日もまた、彼女を頼ってモノノ怪退治の依頼がくる。


「巫女姫さまー!」


「どうされましたか?」


 観音像の前で手を合わせていた巫女は、外から自分を呼ぶ声を聞きつけて振り向いた。


 腰まで覆う艶やかな黒髪が、ハラりと肩から垂れる。


「都(ミヤコ)からの遣者殿が、巫女さまをお訪ねです」


「はるばる都から…とは、いかなる御用でしょうか。伺いましょう」


 戸を開けて外に出た巫女の前には、到着したばかりの従者たちが腰を屈めて並んでいた。




「──…鬼、で御座いますか?」


「さようで御座います。一年ほど前から、都の北東にそびえる蓬霊山(ホウレイヤマ)の山頂に恐ろしい鬼が住みつき…人間をさらっては喰ろうておるのです」


「人喰い鬼ですか?何故これまで放っておかれたのです?」


「これまでも多くの祈祷師(キトウシ)や法師を向かわせたが…ひとりも帰ってこなかったのです」


「…それはお困りでしょう。わかりました。わたしがお受け致します」


 話を聞くに、人喰い鬼の被害に悩む帝(ミカド)からの勅命らしい。


 命の危険もあるモノノ怪退治だが、彼女はこれまでもそういった依頼を何度か受けてきた。


(人喰い鬼とは……許せませんわ)


 遣いの者とともに、巫女は蓬霊山に向けて村を出発したのだった──。





 ───



 そこから長い旅路を終え、いよいよ山頂に着こうとする時。


「……!」


 駕籠(カゴ)で運ばれていた巫女は、護衛の侍と運び手を止めた。


「ここまでで構いません。わたしを残して、皆さまは山を下りてください」


「…!?ですが巫女さま、急がねばもうじき日が暮れてしまいます。モノノ怪の力が強まる夜に、おひとりではあまりに危険です!」


「問題ありません」


「せめて夜明けまで我らと待機して…」


「いえ、夜でなければ鬼には会えぬのです」


「え…?」


「どうか、下山してくださいませ」


 モノノ怪退治になれない侍たちを、危険な場に連れてはいけない。


 反対する男たちを説得し、巫女はひとり山へ残った。



 シャラ...



「──…さて」



 シャラ...シャラ....



 ゆっくりと山頂を目指し登っていく。



 シャラ...シャラ...



 日が暮れて、暗闇に包まれた山は不気味である。


 動物の気配は全くなく、風さえも途絶えて、息を潜めているようだ。


 ただ彼女が持つ錫杖(シャクジョウ)が揺れる音だけが、シンッ──と静まり返った山の中で、物悲しく鳴っていた。



 ──ザッ



(…見つけた。あれが鬼が住みついたと言われるあばら家ね)


 立ち止まった彼女の前には、風雨にさらされボロボロの家屋が現れた。


 人々が言うには、これが鬼の住処らしいけれど…


(やはり鬼の気配はない)


 巫女は頭上を見上げ、木の葉の隙間から空に浮かぶ月を見た。


 その月の角度から、今の時刻を推し量る。


 時間はまさに、ちょうどのようだ。



 ──トンッ



 彼女は片手に錫杖(シャクジョウ)を掲げ、それを地面に突き刺した。



 ....グラッ



「……っ」



 するとどうだろう。


 彼女を中心として空間が歪み、天地が一周するような奇怪な現象が辺りをつつんだ。


 その中を巫女は歩き出す。


 ──ここは【 境界 】だった。


 人の世と、鬼の世が交錯する場所。それは夜中のある時刻にだけ、特殊な条件下で現れる。




 巫女が " 境界 " へ足を踏み入れた時、眼前に広がるのはボロボロのあばら家ではなく、美しく荘厳な屋敷であった。


 (あやうく見落とすところでした…!ここまで違和感なく作られた結界は初めて。コレを張った鬼とはいったいどんな)


 ──どんな強大な力を持った鬼なのだろうか。


 これまで退治してきたモノノ怪とは比にならない、嫌な予感が脳裏をよぎる。




「──…何者だ?」



「……っ」



 中へ入ろうと彼女が足を踏み出すと、屋敷の中から、地を這うような低い声が投げかけられた。


 姿は見えない


 しかし確実に──こちらを真っ直ぐ射貫(イヌ)いている、冷たい視線が突き刺さる。


(なんて強い力…!こんな鬼、これまで対峙したことない)


 その威圧の凄まじさに、巫女は少したじろいだ。


(でもおかしいわ。人を喰らうモノノ怪には…それとわかるおぞましい妖気が渦巻いている筈なのに。この鬼からはそういった気配がしない…?)


「…っ…あなたが都を騒がせている人喰い鬼ですか」


 凛とした声で巫女が問う。鈴の音がリンと鳴るような…透き通った声だった。


「人喰い鬼?ああ……お前も、俺を退治しにきた類(タグ)いか」


 屋敷の声の主は気だるそうに立ち上がり、ギイッ…と音をたてて戸を開けた。


 巫女は息を呑む。


「あなたが……!」


 そこに現れたのは、目を疑うほどの美しい容姿をした男だった。


 白銀の長髪に、漆黒の着物。


 整った鼻の下で弧を描く口の端には、ギラりと牙が光る。ふたつの黄金色の瞳が暗闇の中で冷たく光っていた。



 その美しさはまさに、男が人外の存在であることの証明だった。



 それを思えば…男が頬に浮かべる整った笑みも、邪悪そのものである。


「……!」


「一度だけ機会をやろう。偶然迷い込んだことにしてさっさと立ち去れ」


「わ…わたしは…あなたを祓(ハラ)いに来たのです」


「祓う?クク……震えているようだがな?」


「これは…!」


 逃げ腰ではいけない。巫女は錫杖をぎゅっと握りしめた。


 この鬼は強い──それは痛いほど伝わる。


 だが逃げては駄目だ。この鬼の悪行を止めることが彼女の使命。


「震えてなどおりません。都(ミヤコ)の人々を恐怖に陥れるあなたを、のこのこ見逃しは致しませんよ」


「ほぉ……では、何か余興を見せてくれると?退屈しのぎにはなるのだろうな?」


「心配ご無用!」



 彼女は目を閉じ集中して、片手で印(イン)を結び、もう一度錫杖(シャクジョウ)を高く掲げた。



 リン──!



 それを勢いよく地面に突き刺した時、大きな鈴の音が辺りを激しく震わせた。


「──ッ!?」


 衝撃波のようにして広がり、鬼に直撃する。すると鬼は身動きがとれなくなった。


「……ッ…?」


 ビリビリと雷撃にうたれる感覚が鬼を襲う。


 驚く鬼の足元へ、巫女はゆっくりと近付いた。


 懐から御札を出す。


「動けませんよ。これで…あなたを祓います…!」


「女…っ…お前、面白いな……!」


「鬼界へお戻りなさい!」


 巫女が近づくのに合わせて、鬼を拘束する雷撃の力も強くなる。鬼が牙を食いしばり拳を握るが、変わらず動きは封じられていた。


 巫女は最後に御札に念をいれ、それを鬼の胸に貼った。


「ッッ──ぐぁ…!」


 鬼が苦しみ出す。


 巫女は気力の続くかぎり集中して、胸の内で念を唱えた。




 ───パリンッ!!!




「──きゃああ!!」



 しかし突然、錫杖の先が粉々になって弾け飛ぶ。


(そんなっ!…神器が…!?)


 それに続き、鬼に貼った御札も一瞬で、真っ黒の炭に変わってしまった。


 ガッッ...!


 信じられないと目を見開いた巫女の細首を、鬼の手が素早く掴む。




 消し炭となった札が地に落ちた。




「‥‥‥ッッ‥‥ぁ‥う゛‥‥!」


「ク……ククク……、久方ぶりに胸が踊る……!」


 苦しむ彼女の顔を覗き込み、鬼はニヤリと黒笑した。


「お前ほど強い霊力の人間は初めてだ。面白い……!長く生きてみるものだなぁ?」


「‥‥カハッ‥‥ぁ‥!‥‥ぁ゛‥‥!」


「いつもの様にさっさと殺しておこうと思ったが……やめだ。お前は俺のモノにする…──」


「‥‥ぁ‥‥ナニ‥‥ッ‥‥を‥‥‥!?」


 首を絞められ息ができない彼女の手から、壊れた錫杖がこぼれ落ちた。


 目の前の金色の目が歓喜で眩く光るのが、ただただ恐ろしい。だが逃げられず、少しずつ身体に力が入らなくなる…。



(気を失ったら……駄、目……っ)



 閉じてしまいそうな瞼を懸命に持ち上げ、相手を睨んでいた巫女だったが



「‥ッ‥‥んん」



 チュッ───



「‥‥ん‥!?」



 ふいに首を締める力がゆるんだかと思うと、何故か、彼女は鬼に口付けられていた。



「‥ん?…ッ…ふ」


 ヌルッ....


 肉厚な舌が侵入してくる。


 先程まで首を絞められて酸欠だったせいで、上手く抵抗できない。


 鬼は彼女の腰と頭を抱き寄せ、だらしなく開いた彼女の口に強引に舌をねじ込んだ。


「‥んっ‥んふぅ…‥!」


(ど、どういうこと…?)


 上を向いて直角に曲がった喉から、くぐもった声が漏れる。鬼の胸を押し返そうとしたがビクともせず、わけもわからぬまま口腔を犯された。


(何が起こっているのっ……!?)


 上顎を舐められ、逃げようとする舌を絡め取られて吸われる。ゾクッ…と震えた腰を、鬼の手に撫でられる。


「‥ぁふ‥…はぁ‥‥っ、はぁ‥‥!」


「ふ…………クク」


「‥‥!?‥‥!はぁ‥‥ぁ」


(いやだっ…やめて、離して…!)


 焦れば焦るほど裏目に出て、呼吸ができなくなる。角度を変えて何度も差し込まれる舌の感触は隠微で…水音もいやらしい。


「ふっ、お前……」


「‥っ‥はぁ……ぁ、ぁっ‥…はぁ‥‥!」


「…っ…そそる…顔だな」


「‥‥っ」


 口付けのあわいで、熱い吐息とともに鬼が囁く。


 巫女は…自分がどれだけ男を誘う顔になっているかも知らずに、健気に口を開けて息を吸っている。


 鬼の男は満足そうに笑みを浮かべた。


「いいだろう……奥の間で丁寧に愛でてやろうぞ」


「‥ッ‥‥!?」


 ハァハァと苦しげな彼女を抱き上げ、鬼は屋敷の中へと戻る。


 粉々にされた無惨な錫杖(シャクジョウ)だけが、その場に残された。







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