第18話  暗闇の中、そっと重ねたもの

カフェの時計の針が午後3時を指していた。


アイスコーヒーの氷が、かすかに音を立てて溶けていく。


映画の話は、止まらなかった。

お互いの好きな作品。

好きなシーン。

心に残ったセリフ。


「……そろそろ出ようか」


しおりがそう言いかけたとき、

成哉が、少しだけ前のめりに声をかけた。


「……しおり。まだ時間ある?」


「え?」


「もうちょっと、一緒にいたいんだ。

映画、一本……観に行かない?」


そう言って、スマホで近くのミニシアターを検索していた。


(……あ)


胸の奥で、小さな波紋が広がった。


成哉が“わたしと映画を観たい”と、自然に言ってくれた。

その事実だけで、呼吸が浅くなる。


「……うん、行く。観たい」


しおりは、頷いた。


選んだのは、駅から少し離れた静かな映画館。

小さなビルの3階。

古いポスターが貼られたロビー。

客も少なく、雰囲気はまるで“誰かの秘密基地”のようだった。


上映作品は、二人とも初めて観るドイツ映画。


明確な恋愛要素はなく、静かで淡々としたドラマだったけれど、

席についてすぐに、ふたりは肩の力を抜いていた。


──そして、上映開始から30分ほど。


スクリーンの光に照らされた横顔。

沈黙を共有する時間。

セリフよりも、視線や間を感じ取る“映画”という空間。


成哉は、ふと、しおりのほうを見た。


彼女は、まっすぐに画面を見ていた。

でも、指先はソワソワと落ち着かず、

膝の上で小さく握ったり開いたりを繰り返している。


(……たぶん、緊張してる)


その様子が、いとしくなった。


そして、迷うようにして伸ばした手が、

そっと、しおりの手の上に触れた。


一瞬、びくりと彼女の肩が揺れる。


でも──

しおりは、逃げなかった。


むしろ、少しだけ手を返すようにして、

成哉の指に、指を重ねてきた。


(……ああ)


言葉にしなくても、伝わってしまう感情がある。

スクリーンの中の人物たちが語っていた“距離”を、

今まさに、自分たちも越えようとしている。


しおりの手は、少しだけ冷たくて、

でも、しっかりとそこにいた。


暗闇のなか。

ふたりは声を出さないまま、

「これが今の気持ち」と告げ合っていた。


映画が進むにつれて、

手は少しずつ、しっかりと繋がれていった。


エンドロールの音楽が流れても、

しおりは、手を離さなかった。


隣にいる彼の体温が、安心のように伝わってくる。


(……もう、逃げない)


彼女はそう、心の中で呟いていた。

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