君と観た映画が、僕の本当の青春だった

紡識かなめ

第1話 演じる僕と、誰も見てない彼女

東京の空は、今日も高すぎた。

グレーに染まった高層ビルの隙間から、ちぎれた雲が流れていく。

日曜の午後、渋谷。どこを向いても笑顔のペアがいて、スマホのカメラが、今日という“リアル”を切り取っていた。


「ねぇ、成哉。次、こっち行ってみよ?」


振り返ると、三浦美月が軽く手を振っていた。

今日の彼女は、ピンクのニットに白いスカートという春めいた装い。

それが似合うことを、彼女自身が知っている。


「うん、いいよ」


野上成哉はそう応えて、歩き出した。

表情は柔らかく、口角もちょうどよく上がっている。

「彼氏役」としては、合格点だろう。


実際、成哉は悪くなかった。

容姿も運動神経も、そこそこ以上。

学校ではスクールカーストの上位──そんな空気の中で、自然と“このポジション”にいた。


美月と一緒にいるのも、居心地が悪いわけじゃない。

でも、それは“演じる自分”としての居心地の良さであって、本当の自分が安らげるわけじゃない。


「ねぇ、これめっちゃ可愛くない?」

美月が店頭の雑貨を指差す。カラフルなアロマキャンドルの山。

「インスタでバズってたやつだよ?」


「へえ、すごいな……」


そう答えながら、成哉は心の中で息を吐く。

バズってるとか、流行ってるとか、そういう基準で物事を見るのは、もう慣れてしまったけど──

どこかで、自分の心がそこにいないのを、成哉はずっと感じていた。


そして、帰り道。


「ちょっとだけ寄りたいとこあるんだけど、いい?」


「……うん、いいよ」


その返事のあと、二人は坂道を下っていく。

駅前から少し外れた裏通り。落ち着いたカフェや小劇場が点在する、渋谷の裏顔。


ふと、成哉の視線が止まった。


古びた建物。ポスターが色褪せたガラス張りの入口。

そこは、ミニシアター──大型シネコンでは絶対に上映しない、昔の名作や単館系の映画が流れる空間だった。


成哉の目が、ロビーの一角に映る人影を捉える。


──杉浦、しおり。


薄いグレーのカーディガンに、紺のロングスカート。

真新しいものじゃないけど、よく手入れされたそれは、彼女らしい地味さと清潔さをまとっていた。


きっと、誰も彼女に気づかない。

だけど成哉は、すぐにわかった。

クラスでは存在感の薄い彼女が、今、そこにいる。


その瞬間──しおりが、小さく笑った。


劇場ロビーの中、手にしたチケットを見つめながら、ふわりと、頬を緩めた。

誰にも向けたものじゃない。

スマホも構えていないし、誰かと話しているわけでもない。

けれど、その笑顔は、心から嬉しそうだった。


(……あいつ、こんな顔、するんだ)


成哉は、知らなかった。

教室でいつも無表情に見えた彼女が、映画の前では、まるで別人のように生き生きしていることを。


その映画館の前に立つ彼女は、

SNS映えとも、トレンドとも無縁の時間を、たった一人で、大切に抱いていた。


(あの映画……もしかして、観に来たのか?)


ポスターを見る。

タイトルは『名前のない午後』──10年以上前のフランス映画だった。

淡々とした会話と、空気のような人間関係の中に静かに溺れていく、そんな作品だったはずだ。


クラスの誰かにこの映画の話をしても、きっと通じない。

いや、まず興味すら持たれない。


──でも、自分は観たことがある。


あのラストシーン。

雨の中、傘を差しながら立ち止まったあの表情。

成哉は今も忘れていない。


(……この映画、好きなのかな)


小さく、つぶやいたその言葉は、美月には聞こえなかった。


「成哉?」


「……あ、うん。なんでもない」


気づけば立ち止まっていた足を動かし、成哉はその場を離れた。

けれど、胸の中に残ったものがあった。


あの“地味な子”──杉浦しおりの、嬉しそうな笑顔。


それは、誰にも見せることのない、自分だけの“好き”を大切にしている人の顔だった。


(……本当は、俺も、あんな風に映画を観たいと思ってた)


気づかれないように、黙っていた。

趣味の話も、感動した作品も、自分の中だけに閉じ込めてきた。


だけど、彼女は違った。


誰に見せるでもなく、“好き”を隠さずそこにいた。

静かに、誇り高く。


──胸の奥で、錆びた歯車が軋むように動き出した。


ガタン、と。

誰にも聞こえない音を立てて。

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