第17話 欲望の飴細工

欲望の飴細工

「飴……」


 俺が飴の名前を呼ぶと、飴はニッコリと笑う。ああ、ずっと見たかった、心の底からの、純粋無垢な笑顔。


「ありがとう伊聡君」


 いつもの妖美な飴ではなく、年相応の、それか少し幼めの顔をした飴がいる。良かった、飴が無事で。いや、首を絞められてたから無事では無いか。でも、俺が殺したからそんなことはもう起きない。


「さて、どうしようか、これ」


 そう、問題はこれなのだ。殺してしまった以上、このままにするわけにはいかない。しかも今は夏。腐るのも早いし臭いがすごい。


「また庭に埋めるかぁ」


 飴は呑気に言って立ち上がる。俺も立ち上がって服の裾で顔についた汚れを拭き取ろうとするが、裾も何処も血濡れていてちっとも拭き取れないどころか余計にベチャベチャになるだけだ。


「ああくそっ、」


 さっきまで動いていたから暑いし気持ち悪いしで無性にイライラしてくる。


「シャワー浴びる?」


「いいのか?」


「うん。こっち」


 飴は躊躇無く俺の血で濡れた手を引いて廊下を進む。風呂場に着く間にも、俺は流麗月晶の血をボタボタと床に垂らす。


「さ、使って」


「ありがとう」


 俺は服を脱がずに一気にシャワーを浴びる。汗と血と皮脂が一気に洗い流され赤く染まった水が流れていく。いくらか浴びた後、俺はようやく服を全部脱いで風呂場で服を洗うが、どんなに擦っても血は落ちない。俺は諦め、そのまま風呂から出て体を拭く。バスタオルはとてもフカフカで、柔軟剤の良い香りがした。ああこれ、飴の匂いだ。何の柔軟剤なんだろうか、後で聞いてみよう。

 そんなこんなで俺は全身拭き終わった後に気づく。俺の服が無いと。どうしようか、裸で飴の家をウロチョロする訳にもいかないし。


「飴ーいるかー?」


「ん」


 試しに呼んでみると、飴はすぐガラリと脱衣所に入ってくる。俺は勿論裸だ。


「あっ、ごめん!」


 飴は急いでバンとドアを閉める。飴は俺のことが好きだと言っていた、恋人的な意味で。そんな人の裸を見てしまったのだから照れるのは当たり前だろう。


「その、服、と下着、持ってきた。お父さんのだけど」


 俺は飴がいないのをいい事に顔を顰める。アイツの奴なんて着たくないが、今はそんなこと言ってられない。俺は飴から服を受け取るとそれを着る。少し大きいが大丈夫そうだ。


「飴、今のうちに埋めちゃおう」


「今雨だよ?」


「だからだよ」


 今日は雨、しかも豪雨だ。俺たちが何かする音は、声は、雨の音で全てが掻き消され、汗も油も血も、何もかもを流して綺麗にしてくれる。

 

 母親を埋める時はどうしたのか飴に聞くと、飴はビニールシートも何も使わずに引き摺って外に出したそうだ。家にビニールシートはあるかと聞くと、奥にある倉庫からよく見るデカい青色のビニールシートを持ってきた。こんな業者が使うような物よく持ってたな。それを聞くと、何でも父親が役作りのために色々な物を買うそうで、その名残りで色々あるらしい。あの演技力は天性の才能だけでなく本人の努力によるものでもあったのだろうか。しかし、だからと言って暴力が許される訳でない。それに、その努力の結晶は俺がさっき全て壊して殺して、今まさに土の中に埋めようとしている。

 俺たちはそのビニールシートで死体を包み、それを運ぶ。死体はドロドロのぐちゃぐちゃになっていて、四肢が繋がってなかったり脳みそが耳から流れ出ていたり、目玉がずるりと落ちていたり、もう酷い有様だった。醜いな。俺が殺したのに他人事のように考える。

 何とかして庭に運び出し、2人で協力してスコップで穴を掘る。雨で土が柔らかくなっていたから掘りやすい。しかも、この場所は飴の母親を埋めた場所でもあるらしく、一回掘っていたため余計に柔らかかった。何分か掘っていると、スコップの先がぐちゃりと嫌な音を立てて何かに当たる。


「うわ…」


 俺は思わず声を出す。そこには母親らしき死体があった。全身血だらけで、髪はボサボサで肌はいくつか皮がむけていてもうデロデロに溶けている。四肢はありえない方向に曲がって骨が肉と皮膚を突き破っていた。俺はその死体の横に流麗月晶の死体を投げ込む。ドチャリと音を立ててその死体は横の死体とドロドロに混ざり合う。何だか愛し合って死んだ夫婦みたいだ。


「お母さん、お父さんのこと好きだったんだよ、最初はね。………昔の、2人みたいだ」


 飴は少し悲しそうな、そして穏やかな顔になる。飴は望んでいたんだ、2人の仲が良くなることを。しかし、それは叶わずに2人は死んだ。


「さようなら。お父さん、お母さん」


 俺の血まみれの服と凶器の包丁も中に捨てた後、飴は土を2人に被せる。

 雨で全てが覆い隠すこの日。外には誰も居なくて、俺らが喋る声、喋る内容、スコップの音と土が掘り返させる音、そして死体が埋まる音。その全ては綺麗に隠された。


「疲れたー」


「そうだな…」


 雨だから土が重くて、余計な体力を使った。俺はまだ血の匂いが色濃く残るリビングにあるソファに座り、壁に掛かっている高級そうな時計を見る。時刻は6時。もうこんな時間なのか。確か俺が家を出たのは2時頃だったからかなり時間が経っている。俺は立ち上がって飴に話しかける。


「何か食うか?」


「うん。家でご飯食べるなんて久々だ」


 飴は何処からかお高めのカップ麺を2人分取り出してくる。電気ケトルで水を沸かした後にお湯を注ぎ、そのまま3分待つ。血の匂いが漂う、後ろを向けば血溜まりが、血のシミが染み付いているリビングで俺らは食べる。まるで地獄の番人とか、悪魔になった気分だ。実際、流麗月晶からすれば俺は急に牙を剥いてきた死神で、飴はそれを司る堕天使なのだろう。


 俺、何でこんな普通に食えてるんだろう。人を殺して、死体を埋めた後に。そんな疑問を抱きながらも俺は全てを完食し、飴が残したカップ麺も汁も残さずに腹に収めた。


「お風呂沸かしてくるね」


「ん」


「今日泊まってく?あ、でもお父さんが許してくれないか」


「…………いや、泊まってていいなら泊まる。俺はもうあの家の息子じゃ無いから門限なんて守る必要無い」


「そっか」


 数十分後、お風呂が湧いたと音が鳴る。飴にそれを知らせると、飴は驚く提案をする。


「一緒に入る?」


「は!?」


 俺の裸を見てあんなに慌ててたのに!?俺男だと思われてないのか?かなり心が傷ついたところで俺は拒否する。


「いや、お前1人で」


「分かった」


 飴が風呂場に行って数十分後、かなり薄着になった飴が出てくる。いつも制服は長袖だったが、今はノースリーブで下はホットパンツ、下着は着ているが服の隙間から完全に見えている。その視線に気づいたのか、飴はニヤリといやらしく笑う。


「伊聡君のえっち」


「はあ………」


 俺はそれに異議を立てないでそそくさと風呂に入る。好きな女のあんな姿なんて見たいに決まってる。そんな俺の欲望は下半身に現れていて、俺は極力それを見ないようにしていた。


「お風呂助かった」


「良かった」


 最初にシャワーを借りた時も思ったが、風呂がデカい。小さい旅館みたいな大きさで、一気に何人も入れてしまう大きさだった。使ってるシャンプーとかも高そうな物で俺には勿体無い代物だった。


「もう寝ようか。疲れたし」


「ああ。俺はここで寝るから…」


「え?私と一緒に寝ようよ」


「は?」


「伊聡君のえっち」


「それでいいから1人で寝てくれ」


「えー。でもここ血の匂い凄いよ?」


「大丈夫だから」


 俺は飴からブランケット一枚だけ借りてソファに寝転ぶ。俺の家にあるソファもデカいが、これはそれ以上にデカい。大人3人が寝ても余るくらいで、フカフカだから本当にベッドで寝ているみたいだ。時刻は夜の7時30分。かなり早い時間だが、俺は疲れも溜まっており、目を閉じたらすぐに夢の中に誘われた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 夢の中で誰かが俺の名前を呼ぶ。姿は見えない。


「伊聡」


 ああ嫌な声。いつも殴って蹴ってくるあいつの声だ。


「伊聡」


 黙れよ、俺のこと助けてくれなかったくせに。


 父と母の声が聞こえる。ああ最悪な夢だ。夢と分かっている俺は起きようとするが、どうも体が動かない。


「お前が、殺したんだ」


 父が言う。何で知っているか疑問に思ったが、夢だから何が起きてもそれは当たり前で、常識なのだ。


「何でこんなことに…」


 夢の中で母が泣く。何でだろう、一体何処で間違えたんだろうな、俺たちは。それはきっと、ずっとずっと最初からだ。俺を産んだところから、きっと間違っていたんだよ、母さん。


「お前が」


 聞き覚えのある声がする。それは俺が憎いと思った人物。


「お前が俺を殺したんだ」


 今度はハッキリと姿が見えて、流麗月晶が俺のことを指差す。テレビの中の流麗月晶ではなく、俺が実際に会ったあの憎き流麗月晶が俺の目の前に立っている。指を差された俺は一気に血塗れになる。全身から汗がブワッと噴き出して、血と皮脂と一緒に混ざってドロドロのベトベトになっていく。その感覚が生々しく気持ち悪くて、俺は起きようと必死に脳に信号を送るが脳は何も反応しない。


「お前はどうするんだ?」


 流麗月晶が俺に問いかける。夢の中の俺はゼイゼイとあの時みたいに息を上げる。冷や汗と脂汗をかいていて、これが現実なのか夢なのかも分からない。


「俺を殺したその手で、飴の手を取るのか?」


 その言葉を言われたとき、俺は叫び声を上げて飛び起きる。気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い!

 俺は急いでトイレに駆け込んでそのまま思い切り吐く。さっき食べたカップ麺がまだ消化しきれておらず、ところどころ形が残ったまま体外に出てくる。


「伊聡君?」


 叫び声を聞きつけた飴がこちらに来るが、俺はそっちを見る暇もなくトイレに吐き続ける。あの特有の不味さと苦さと酸っぱさを混ぜた固形と液体の物が俺の喉を通って逆流してくる。俺は胃の中の全てを吐き、それでも足りずに今度は変な酸っぱい液体を吐く。ようやく全てを吐き終わった俺は涙と鼻水と涎で顔がベシャベシャになる。


「伊聡君、やっぱり一緒に寝ようよ。きっと、血の匂いでやられてるんだよ」


「ちが、ゆ、夢、夢なんだ、」


「うん、それも血のせいだよ。全部あの血が、もたらしてるんだ」


 飴はゆっくり俺の背中を叩く。俺はボロボロと泣きながら飴に縋り付く。


「飴、飴、飴」


「伊聡君、伊聡君、伊聡君」


 外はまだ雨で、蒸し暑くて。その暑さのせいで服が体にへばりついて気持ち悪い。それなのに寒気が止まらない。


「お風呂、一緒に入ろう?」


「…………ああ、入ろう」


 俺は拒否することもせず、抜かないでおいた風呂に一緒に入る。汚れきった俺の顔と汗でベタつく体をシャワーで洗い流し、広い浴槽なのに2人ピッタリとくっついて風呂に浸かる。飴の体は前よりもずっとあざと傷があって、より酷くなっていた。


「ねぇ伊聡君」


「何」


「君は物好きだね。私の体を見て興奮するなんて」


「悪かったな」


 俺の下半身はこんな時なのにどうしようもなく欲を孕んでいる。


「伊聡君えっち」


「そうだな」


 本日3回目の言葉を貰ったところで、飴は俺の方を向いて頬にキスをする。それをされた俺の頭はもうクラクラだ。


「飴…好きだ。本当に好きなんだ、愛してる」


 俺はもっと飴に密着する。お互いの鼓動が伝わってきて、それはどちらともドクドクと早く脈打っている。


「……嘘じゃ、無いんだね」


「ずっと言ってるだろ」


 俺は飴の唇にキスを落とす。手を絡めてもう片方の腕で飴の頭を固定して逃げられないようにする。


「ふぁ…」


「飴」


「まっ、待って、お風呂だから、」


「風呂じゃなければいいのか?」


「…………いいよ」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は飴を抱いて風呂から出る。飴はバタバタと足を動かしている。


「ひゃあ!あははは!お姫様抱っこだ!」


「本当にするぞ、いいのか?」


「良いよ。私、伊聡君のこと大好きだから。あ、でも私初めてだから優しくね」


「俺だって初めてだ」


「あはは!同じだあ!あはは!伊聡君の初めて貰っちゃうー!」


「飴の初めてもな」


「きゃあー!」


 自分の父親が殺された後とは思えないはしゃぎっぷりに、他の奴が見たらドン引きするだろう。俺だって、好きな人の父親を殺した後にその娘とヤるのだ、狂ってる。


 しかしもうどうでも良い。俺らを咎めるものは、咎められるものはもう何も無いのだ。


 俺と飴は服を着るどころか体も拭かないで飴の自室に行ってベッドの上に飴を優しく下ろす。すると、飴は急に頬をカァっと赤く染める。


「今更駄目とか言うなよ、」


「い、言わない。ただ、は、初めてだし、その、伊聡君カッコいいから、…」


「くそッ…、」


 俺は何だかイラついて飴にキスをする。唇の少しの間に舌を捻じ込んで、飴の口の中を蹂躙していく。飴が戸惑っているのがよく分かり、それに俺は楽しくなる。唾液が混ざり合ってよく耳に響く水音を立て、息を忘れて舌を絡め合う。飴の唾液は何だか甘くて、ずっとキスをしていたかった。唇が離されたとき、飴はハァハァと息を上げ、グロテスクな花が咲いたその体を白のベッドシーツに沈める。


「や、優しくって、いったあ、」


「だから、俺も加減分かんねぇんだよ。辛かったら遠慮なく言ってくれ、無理強いはしたくない」


「あ、あんなにさっき、がっついたのに…」


「ごめん」


 飴は文句を言いながらも嫌とは一言も口にしない。俺はそれを了承と捉え、飴の体を弄っていく。飴のピンクの甘い声が俺の耳を貫いて脳を、身体を、全て溶かしていく。


「飴」


「い、伊聡君、」


「名前、呼び捨てで呼んでくれ」


「い、伊聡…?」


「ああ。飴、可愛い」


 飴は恥ずかしがって手で顔を隠す。可愛いなんて言われ慣れてるはずなのに、何で今更恥ずかしがるのだろうか。


「いさ、とく、」


「呼び捨て」


「っ、伊聡、伊聡!」


「ハハッ、やば…」


 

 俺はもう止まれなかった。門限を破った、人を殺した罪悪感、飴を助けられた満足感と達成感、飴と両思いになった嬉しさと、こんな飴の姿を見れている優越感。全てが俺を掻き立てて欲望に変えていく。






 飴の父親が死んだ日、俺が殺人を犯した日、飴の父親を殺した日、








 俺たちはピンクの飴みたいにドロドロに溶け合った。



 

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