虚数の想い
灰谷 漸
目に見えない
感情を数値化したら虚数なんじゃないかと思う。
複素数の中でも、純度が高い純虚数で表されていたら面白いと感じる。
感情なんて目には見えないし、虚数もまた「実在の世界」には存在しない。
実軸(real axis)に座標を持たず、虚軸という想像上の軸にのみ立っている数——虚数。
まるで、「実際には存在しない」とされながら、確かに世界に影響を与えている感情そのもののようだ。
たとえば、怒りは+3i、悲しみは−5i、喜びは+7i、愛は+11i、
不安や嫉妬は負の虚軸側に沈んでいるかもしれない。
どれも実数では測れない。
金銭にも、時間にも、距離にも置き換えられない。
けれど、確実に人を動かし、関係を変え、人生を方向づける力を持っている。
それに、電磁気学において虚数は極めて重要な存在だ。
フーリエ変換におけるe^(ix)、交流電流のインピーダンス、信号処理……
それらはすべて、「現実世界をより深く理解するために、虚数という概念が必要不可欠である」ことを示している。
つまり、虚数は「現実を超えるための道具」なのだ。
ならば、感情もまた同じではないか?
論理(=実数)だけでは辿り着けない場所に、
感情(=虚数)が橋をかける。
現実的には何も解決しないように見える「涙」や「ため息」も、
実は人間という存在の振る舞いを変える決定的な要素なのかもしれない。
感情という純虚数が、論理という実数と結びついたとき——
それは複素数という「より豊かな存在」へと昇華される。
感情だけでは不安定だ。
論理だけでは冷たい。
だからこそ、人間という存在は、実数と虚数が一つになった「複素数」なのだ。
それは、数直線上ではなく、複素平面(Argand平面)上を生きている。
ひとつの感情も、ひとつの理屈も、原点(0)からの距離と角度によって意味を持つ。
感情は虚数であり、
人間は複素数であり、
生きるということは、常にベクトルである。
——その角度(偏角)を、
誰かと共有できたとき。
人は「わかりあえた」と感じるのかもしれない。
たとえその絶対値が大きくても、
たとえその実部がゼロであっても。
そこには確かに、「存在しないはずのもの」によって支えられた、
かけがえのないリアルがあるのだ。
虚数の想い 灰谷 漸 @hi-kunmath
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