第6章 黒い月の記憶
その晩、僕はいつもよりも深く、長い夢を見た。
夢の中に現れたのは、真っ黒な月と禍々しい影の群れだった。静寂の中、どこか懐かしい声が呼びかけてくる。
「――ユウト、どうして……?」
少女の声だった。手を伸ばしても、その姿は遠く霞み、すぐには触れられない。
どこかで見覚えのある駅、白い息を吐きながら歩く夕暮れのホーム。制服姿のまま立ち尽くしていた自分――そして、向かいのホームで、泣きそうな顔をして手を振る少女。
「約束、忘れないでね。」
彼女の声が夕闇に溶けていく。
僕はなぜ、その時、あの言葉を無視したのだろう。なぜ、伝えたい気持ちを飲みこんでしまったのだろう――。
気がつくと手の甲の黒い痣が、闇の中で儚く光っていた。
「ユウト、本当に伝えたかったことは?」
夢の境界でクロの声がした。
それは、現実と夢を繋ぐ細い糸のように僕を引き戻す。
――本当に、本当に言いたかったこと。
「ごめん」と、呟いた。「ありがとう」「好きだった」「ずっと、隣にいてほしかった」
言えなかった千の言葉が、心の奥に澱(おり)を作る。
黒い月の下、影がゆっくりと僕に近づいてくる。
その影の中から、もうひとつの“僕”が静かに現れる。
「これがお前自身だよ、ユウト」
クロの声が重なる。
「受け止めてやれ。本当の未練も、恐れも、後悔も。そうしなければ、ここからは先に進めない」
黒い影の“僕”がこちらをじっと見つめていた。
――本当の自分から、逃げていたんだ。
涙が零れ落ちる。言葉にならない気持ちが胸を焼き尽くす。
そして、夢の中でそっと“もう一人の自分”に手を伸ばした。
その瞬間、闇がパッと晴れ、店の明かりが眩しく目に差しこんだ。
◇
「……おはようさん。ようやく戻ってこれたか」
気がつくと、僕は月影のカウンター席にいた。
クロが相変わらず仏頂面で紅茶を差し出してくる。
「今の夢……」
「それが“お前だけの答え”だ」
クロは紅茶を差し出しながら、いつになく優しい目をしていた。
「さて、ユウト。“本当の未練”を書いてみな。魂の奥底に眠っていた言葉を、今度こそ綴ってやれ」
僕はペンを取った。今度はもう、手は震えなかった。
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